神宮外苑の銀杏並木を歩く(下)-聖徳記念絵画館を訪ねて-

  神宮外苑の銀杏並木を見に出掛けて、もう一つ興味深いものを見た。聖徳記念絵画館である。聖徳と書くと、聖徳太子を思い浮かべて「しょうとく」と読む人が多そうだが、絵画館は「せいとく」と読む。辞書で調べてみたら、聖徳とは世の隅々にまで及ぶ聖人の優れた智徳のことを言い、とりわけ天子の徳のことだという。そしてまた、天子とは一国の帝王であり日本の天皇のことだとのこと。聖徳記念絵画館は、だからとんでもなく立派な人物を記念した絵画館だと言いたいのであろう。

 実はこの絵画館は銀杏並木の奥に鎮座しているのだが、並木の入口からは人混みに紛れてそれが見えなかった。しかも、われわれは途中で球場側に左折したものだから、その存在に気付かなかった。食事休憩の間に近くを彷徨いていたら、絵画館の案内板が目に留まった。そこには、「徳川幕府を改め、日本史上空前の大改革が断行された、明治維新。西欧の諸国が300年を費やした近代化を、明治天皇を中心に、僅か40年ばかりで成しとげた、輝かしき明治の時代、世界に誇る、館内展示の80面の名画が語る日本近代化への飛躍の姿、歴史事件の数々」と記されていた。

 この案内板を読むと、絵画館が明治天皇の遺徳を記念したものだということがわかるが、絵画館という表記が気になった。美術館ならよく分かるが、絵画館とは珍しい。初めて聞いた。これも調べてみると、「絵画館(かいがかん、ピナコテーク)とは、美術館、博物館のなかでも絵画の展示を中心とする、もしくは絵画に特化しており、絵画館を正式名称としている美術館」のことだという。外国にも絵画館はあるようだから、それほど気にしなくてもいいのかも知れないが、ここの絵画館の場合、絵画に特化した美術館といった説明にとどまるものではなかろう。

 折角ここまで来たのだからと思って、聖徳記念絵画館に入ってみることにした。飾られている絵画についての感想は後で触れることにして、まず最初に度肝を抜かれるのはその堂々たる外観である。外から見ているだけで、立派といった表現ををはるかに超えて威圧されるような感じさえする。いささか威容が過ぎるので、私などには異様にも見える(笑)。入口で、明治神宮外苑編の絵画館のガイドブックを購入したが、そこには次のようなことが書かれていた。

 聖徳記念絵画館の横幅は、約112メートルあります。左右に長く伸びている部分が画室で、向かって右側には40点の日本画が、向かって左側には40点の洋画が飾られています。ドーム型の屋根の中央部は、吹抜けの中央ホールです。正面に見える大階段は、戦前までは皇族のみが利用しており、一般客は左右脇にある専用の出入り口から入館し、下足を預けて壁画を鑑賞していました。現在は誰でもこの階段から入館し見学することができます。わが国でもっとも歴史ある美術館建築のひとつで、平成23年に国の重要文化財に指定されました。

 これを読んで、なるほどそうだったのかと合点がいった。ここは、「輝かしき明治の時代」を誇らしげに称揚し、そこから生み出された大日本帝国の威厳を平民に知らしめるような美術館だったのである。中央ホールの天井までの高さは27メートルあり、内部に使われているのはすべて国産の大理石だという。ネット上には、この絵画館の威容は、「絵画を展示する建物というより、まさしく聖堂あるいは記念碑にほかならない」し、「この建築は”明治天皇の治世”という一時代を記憶し、悠久の未来へと伝承する使命を与えられた、生まれながらの”記憶装置”」であると書かれた記事もあった。過去を記憶する装置だとは言い得て妙である。

 そうであれば、ここはあくまでも絵画館なのであって美術館ではない。天皇の死去後の大正元年8月には早くも実業家渋沢栄一や東京市長阪谷芳郎といった有力者による有志委員会が組織され、神宮創設の具体案が公表されている。その骨子は、「神宮は内苑と外苑からなる」、「内苑は国費により政府が、外苑は献費により奉賛会がそれぞれ造営する」、「内苑には代々木御料地、外苑は青山練兵場を最適とする」、「外苑には記念宮殿、陳列館、林泉などを建設する」といったものであった。実現した神宮の構成とかなり近い。記念宮殿が絵画館となり、林泉が銀杏並木と絵画館前の池になったわけである。目端の利く渋沢は、こんなところにも顔を出していたのである。

 聖徳記念絵画館に展示されている絵画(ガイドブックでは、すべての絵画が壁に掛けられているため、「壁画」と呼ばれているとのこと)は全部で80点ある。一般の美術館であれば時折展示作品を入れ替えるはずだが、 ここは建物の完成以降現在ある80点の作品だけを展示し続けているのである。80点のうち、明治天皇の前半生にあたる40点は日本画で、後半生にあたる 40点は洋画で描かれているとのことである。

 美術館の中に足を踏み入れてみると、絵画の大きさにも目を奪われる。展示されている作品は、縦約3メートル横約2.7メートルにもなるため、画家たちの苦労も並大抵ではなかったようだ。普通のアトリエではこれほどの巨大な絵を描くことはできないため、多くの画家がアトリエを改築したのだという。絵画は最初から巨大なものとなることを予定されており、テーマも関係者から与えられたものであり、作品は奉納者に買い上げられてこの絵画館に献上されているのだから、こうしたものを芸術作品と呼べるかどうかは疑問である。眺めてみてもあまり芸術の香りは感じられなかったが、それは当然のことであったろう。

 80点の作品は、明治天皇の59年の生涯をその間に起きた事件や行事などを通じて描き出したものでおり、一大絵巻物のような感じがした。最初の絵は天皇の誕生を描いた「御降誕」であり、最後の絵は彼の死去を描いた「大葬」である。ともに何とも仰々しいタイトルではないか。私などは例の国葬を思いだしてしまった(笑)。奉納者は会社だったり、官庁だったり、軍だったり、爵位をもった人物だったりしている。

 因みに、子爵にまで成り上がった渋沢栄一は、「グラント将軍と御対話」を奉納している。ついでに書いておけば、28番目の絵に「富岡製糸場行啓」がある。奉納者は大日本蚕糸会である。昨年春に社会科学研究所の調査旅行で富岡製糸場を訪ねたが、その敷地にもたしか皇后の来訪を記念した碑があったような気がする。年端もいかない工女だった和田英は、その日のことを『富岡日記』(ちくま文庫、2014年)で次のように書いている。

 私はその頃未だ業も未熟でありましたが、一生懸命に切らさぬように気を付けて居りました。初めは手が震えて困りましたが、心を静めましてようよう常の通りになりましたから、私は実にもったいないことながら、この時竜顔を拝さねば生涯拝すことは出来ぬと存じましたから、能く顔を上げぬようにして拝しました。 この時の有難さ、只今まで一日も忘れたことはありませぬ。 私はこの時、もはや神様とより外思いませんでした。 六百名から工女が居ますから、ずいぶん美しいと日頃思った人が御座いますが、その人の顔を見ますと、血色が土気色のように見えまして、実に驚きました。 これより以上申しましては不敬に当りますから見合せます。

 神様のように見えた人の顔色が土気色であったことに驚いたと書いているのだが、「大人」の「訳知り」の「男」には決して書けぬ実に率直な文章である(笑)。前日には女官たちが下見に来たようだが、その顔があまりにも白かったので笑ってしまい、叱られた話なども書かれている。話を絵の方に戻すと、77番目には朝鮮総督府が奉納した「日韓合邦」と題した絵がある。絵画館の中の解説版には、たしか日韓が友邦となったと書かれていたような気がするが、それを見たら韓国の人々はいったいどう思うであろうか。併合によって韓国を植民地化したのが実態であって、「輝かしき明治の時代」は当然ながら負の遺産も抱え込んでいるのであり、それを忘れてはなるまい。

 現在神宮外苑は、大規模な再開発の波に洗われようとしている。後藤逸郎の『オリンピック・マネー』(文春新書、2020年)や『亡国の東京オリンピック』(文藝春秋、2021」年)によれば、そもそも神宮外苑の再開発こそが真の目的であり、オリンピックはそれを実現するための道具でしかなかったようだ。8万人収容の国立競技場に建て替えることによって、厳しい開発規制を取り払うことができたのであり、これからあれこれと再開発が進められていくのであろう。オリンピックが汚職にまみれたマネーゲームであったように、放っておけば、外苑の再開発もまた似たようなものになる可能性が高い。そうした世界にうごめく輩に、「聖徳」などが行き渡るはずもなかろう(笑)。必要なのは「聖徳」ではなく「民徳」である。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/02/23

聖徳記念絵画館にて(1)

 

聖徳記念絵画館にて(2)

 

聖徳記念絵画館にて(3)