2019年5月27日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 映画日記 二つの映画から この短いエッセーは、もともとは「韓国再訪」と題した投稿のイントロとして書いたものである。かながわ総研の事務局長の石井洋二さんから、『研究と資料』(No.213、2019年4月1日)の巻頭言に何か書いてくれと頼まれた際に […]
2019年5月23日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 社会探訪 東日本大震災私記(完) おわりに 浄土ヶ浜から岩手の県央を抜けて盛岡に戻ってみると、夕方の駅ビルは土産物を抱えた多くの客でごった返していた。同じ県内でも雲泥の差である。ここには寂しさは見えなかった。東京駅に降り立ったら、震災の記憶などはもは […]
2019年5月18日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 社会探訪 東日本大震災私記(六) 第5章 再び被災地へ-気仙沼、大船渡、田老- 人間は年を取ってくると、未来ではなく回想に生きるようになり、昔出かけたことのある場所を再び訪れたくなる存在なのかもしれない。古風に表現すると、曾遊(そうゆう)の地を巡ると […]
2019年5月14日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 社会探訪 東日本大震災私記(五) 第4章 被災地へ-岩手、宮城、福島- 岩手県の南西部に位置する北上市には、専修大学の付属高校である専修大学北上高等学校があり、2011年8月にそこで修学支援相談会が開かれた。大学による被災者支援の試みの一つであった。 […]
2019年5月10日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 社会探訪 東日本大震災私記(四) 第3章 埋もれた記録から-もうひとつの福島とは- 毎年暮れには、福島に住む弟から林檎や凍豆腐(しみどうふ)、あんぽ柿などの田舎の懐かしい食べ物が送られてくる。2011年は放射能の影響のせいかあんぽ柿はなく、そのかわり […]
2019年5月4日 / 最終更新日時 : 2019年8月24日 keitokushoin 社会探訪 東日本大震災私記(三) 第2章 大震災が教えるもの-記憶される過去、蘇る未来- 大震災の年が明けて、2012年の新年を迎えた。新年などというものも、人間の知恵によって人為的に区切られた時間観念にすぎないから、新しい年を迎えたからといって、そ […]