私は2018年9月に71歳の誕生日を迎えたが、その日を前に自分の書いたものだけを出版する自分出版社を立ち上げることにした。自分出版社なので、何を書こうが、どれだけ書こうが、いつ書こうが、誰に遠慮する必要もない。そこで、勝手に出版社の店主を名乗っているわけである。
定年退職を機にこれまでの研究活動にピリオドを打ち、こうしたことをやってみたいという「妄想」は前から頭に浮かんではいたが、それを具体化するとなると、原稿を書くだけにとどまらないあれこれの面倒な作業が必要となる。
まず考えなければならないのは、自分出版社の名称である。無い知恵を絞ってしばらく考えた末に、いささか古風ではあるが「敬徳書院」とすることにした。
「敬徳書院」の店主を自称している私は、1947年に埼玉県の深谷市で生まれた。深谷葱(ねぎ)の産地で知られたところである。しかしながら、そこに住んだのはわずか6ヶ月程で、その後は高等学校を卒業するまで福島県福島市の五月町で暮らした。
このような場合、略歴などをどう書けばいいのか気になるところだが、しばらく前から、似たような状況にあった知人の真似をして、「埼玉県深谷市で生まれ、福島県福島市で育つ」と書くようになった。
小中は福島市立第一小学校、福島大学学芸学部附属中学校に通い、そして高校は県立福島高等学校で学んだ。だから、吾妻連峰がそびえ、信夫山や弁天山があり、阿武隈川や須川が流れ、その川に松齢橋や信夫橋が架かった福島の地は、今でも懐かしい場所である。懐旧の情が溢れるとでも言おうか。魚すくいやバッタ取り、模型飛行機作りなどに熱中していた幼なかりし頃の記憶は、これからも薄れることはないのだろう。
小学校の恩師の子息であった詩人の長田弘は、「やわらかな曲線と開かれた眼差しをもつ風景の記憶を、子どもの私にくれた」のが、故郷の福島という街だったと書いている。たしかにその通りかもしれない。
ブログなる言葉を聞いたことはあったが、何のことか今ひとつわからないまま暮らしていたような、何とも「時代遅れ」の私である。そんな人間が、突然「店主のつぶやき」」と題したブログを始めることになった。つぶやくのは「天主」でも「天使」でもない、「店主」である(笑)。間違いのないように願いたい。
『現代用語の基礎知識』によると、ブログとは、日記感覚で日々更新していくような形式のホームページで、ウェブログの略だとある。「日々更新」とは何とも恐れ入谷の鬼子母神である。「日々更新」しなければならないような出来事に溢れていて、しかも「日々更新」し続けるような人がいるらしいことに、驚きを禁じ得ない(こうした物言いには、いささか皮肉が混じっているはずであるー笑)。
もしかすると、現代は自己表現や自己実現や自己承認の欲求が途方もなく膨らんだ時代なのかもしれない。それはもはや「社会の病い」とでも言うべきものであり、かく言う私もまた、たとえ今のところは軽かったとしても(しかしながら、この先重症になる可能性は大いにある)そうした患者の一人であるに違いなかろう。
店主のような易きに流れがちな人間は、自発的な意志だけで文章を綴り続けることはできないような気もしている。強くなくていいが、何らかの強制が必要なのかもしれない。今は、1週間から10日に一度ぐらいの頻度で、つぶやいてみようかと考えている。
シリーズ「裸木」と名付けた冊子を作成するのが、「敬徳書院」の店主である私の老後の愉しみ、いわゆる「道楽」となる。辞書によれば、道楽にもいろいろな意味があって、本職以外の趣味であったり、酒色や博打などの遊興であったり、あるいはまた、仏道修行によって得られた悟りの愉しみであったりする。
でき得るならば、「悟りの愉しみ」にまで至りたいところだが、私のことだから恐らく無理であろう(笑)。この先何号まで続くのかわからないが、元気であれば一年に一冊のペースで作成し、友人、知人やゼミの卒業生などに配ろうかと考えている。
老後の愉しみで作られるような冊子を身銭を切ってまで買う人は恐らくいないであろうから(笑)、定価を付けてはあるが大部分は贈呈するつもりである。「時間はあるが金はない」身となった年金生活者にしては、身の程もわきまえない大盤振る舞いである(笑)。老後の道楽の極みと言うべきか。