終刊号の「はしがき」から

 この間、旅日記を書く合間に、シリーズ「裸木」の終刊号の準備を始めた。冊子の構成や冒頭に入れる写真の選定等の作業を行ったのだが、それとともに、はしがきやあとがきの文章を書いてみた。冊子の載せるものだから、わざわざブログで紹介するまでもないような気もしたが、私から冊子を贈呈させていただく人は限られているので、あえてブログにも載せておくことにした。以下のような一文である。

 すでにブログで予告済みではあるが、今号のシリーズ「裸木」第10号が終刊号となる。創刊号が刊行されたのは2017年の9月であるが、その当時は、この冊子をいったい何号まで続けられるものやら皆目見当が付かなかった。だが、冊子のスタイルが整い始めたこともあって、3号あたりからそれなりに継続する自信も生まれてきた。そしてようやく10号まで辿り着くことができたというわけである。自分で言うのも何やら気恥ずかしいのだが、よくもまあここまで飽きずに続けられたものである。老後の道楽に過ぎないと意識的に思い定めたうえで、あまり肩肘を張ったりすることなく気儘に身を処してきたことがよかったのではないか、そんな気がしないでもない。何でもそうだろうが、頑張り過ぎるのは身体によくない。

 だが、そうした心構えや気構えだけでは、冊子を刊行し続けることは難しかったろう。続けることが出来たのは、それが可能になるような手立てを事前に取っていたからである。2018年の8月に「敬徳書院」という名の自分出版社を立ち上げ、「店主のつぶやき」と題したブログに雑文を毎週のように書き綴ってきた。毎週書き続けていれば、1年の間にはそれなりの量になる。これを使って冊子を作成するのであれば、あまり呻吟したり難渋しなくても冊子は出来上がる。

 創刊号から終刊号までの全10冊を前にすると、私のような狷介な人間にもさまざまな感慨が湧く。この間に起きたあれこれの出来事が、次々と思い浮かんでくるからである。勤務先の専修大学を70歳で定年退職するとともに、これを区切りに研究者を廃業して「敬徳書院」の店主となり、長岡まで出掛けて大きな扁額を入手し、75歳で後期高齢者となり、その後前立腺のガンを患い、喜寿を通り過ぎてもうすぐ80歳である。この間三匹の飼い猫もすべて昇天した。この10年の思い出話に関しては、第二部に「シリーズ『裸木』回想記」と題して触れておいたので、もしも興味があるようであればお読みいただきたい。

 今号もこれまでの号と同じように三部構成としてみた。しかしながら、中身は大分趣が違ったものになっている。まずは「鞄のなかのカメラから」と題した第一部だが、ここには、文章ではなく最近撮った32葉の写真を載せてみた。私にとって気に入った写真や気になる写真を取り上げているうちに、前号の倍近い枚数となってしまった。ここまで多くなったのは、シリーズ「裸木」の終刊後に予定しているシリーズ「晩景」のことが頭にあったからである。この終刊号が新しいシリーズの橋渡しになればと思って、写真の枚数を大幅に増やすことにした。

 続いて第二部であるが、ここには終刊号のタイトルと同じ「何処から、そして何処へ」と題して、日常の光景を切り取った文章などを3節に分けて載せてみた。1節と2節は、後期高齢者の目に留まった来し方と行く末を巡る光景である。近年とみに遠慮会釈や羞恥心や臆面といったものが小さくなり、書きたいことを書きたいように書いてきた。もともと品などには縁遠い人間だったが、それがさらに度を増しているような気がしないでもない。そして3節だが、終刊号だということもあってシリーズ「裸木」をあらためて回想してみた。とは言っても、新たに文章を綴ったわけではない。各号のはしがきとあとがきに少しばかり手を加えただけでる。

 最後の第三部には、何時ものように旅日記を載せておいた。これまでは二つの旅日記を載せていたのだが、二つだとどうしても第三部だけがやけに膨らんでしまい、それにともなって冊子も厚くなりがちであった。そこで今回は「晩夏の倉敷・水島紀行」だけを載せることにした。この旅日記は、2024年の9月に社会科学研究所の調査旅行に参加した時のものである。私は専修大学に転職する前に(財)労働科学研究所で15年ほど仕事をしたが、倉敷ではこの研究所の源流ともなった場所に立ち寄ることができたので、いつになく想い出深い旅となった。

 最後に一言だけ付け加えておきたい。完成した冊子をまず最初に手にするのは言うまでもなくこの私である。そして、もっとも熱心に読むのもこの私である。そうするとどんなことが起こるか。誤字、脱字やだぶりに加えて表記の不統一などが、必ずと言っていいほど見つかるのである。前号では、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画『悲情城市』のタイトルを間違えた。「悲情」を「非情」としてしまったのである。私が間違いに気付いたのではなく、中学校で同級だったS君から指摘されて気付いたので、かなり恥ずかしかった。

 しかしまあ、そもそも冊子を丁寧に通読するような読者などきわめて少ないいだろうし、そのうえさらに先のようなことを気にする読者なども皆無に近かろう。それぐらいのことはよく分かっているつもりなのだが、何故だかいつも気になる。何故気になるのだろう。こちらが神経質な所為なのか。もしもそうであるならば、校正の段階でもっと念を入れなければならないはずなのだが、そこまで念入りだというわけではない。そうなると、先のような誤りが生じてしまうのは、こちらが比較的ずぼらな所為でもあるのだろう。神経質なくせにずぼら、あるいはずぼらなくせに神経質とは、何とも困った性情である。しかしながら、よくよく考えてみるとど、神経質とずぼらのどちらか一方だけであったならもっとまずかろう。そんな年寄りなどとても食えたものではない。

 これまでに作った冊子で誤りが見つからなかった号など一冊もない。毎年作っているのだから、せめて一度ぐらいは誤りのない冊子を作ってみたいと想うのだが、それがなかなか難しい。先に触れたように、冊子はほぼブログの文章で成り立っている。だから、ブログに載せる際にも文章を読み直してはいる。さらに、冊子にする際にも当然ながら校正を行っている。今回などは終刊号だということもあって、校正にゆとりを持たせて取り組んでみた。しかしながら、果たしてミスを根絶できたかどうか。

 そんなことを冊子の編集をお願いしているYさんに話したところ、「文章を書く人は、原稿を読んでしまうからじゃないでしょうか」とのことだった。確かにその通りかもしれない。文字を追うのではなく、文意を追ってしまうから、誤りを見逃してしまうのであろう。毎年夏の酷い暑さのなかで既に読んだ文章に向かっていると、年寄りの私などはすぐに飽きてしまい、そして眠くなってくる。校正作業に身を入れ続けることができないのは年の所為でもあるので、やむを得ないと思って諦めるしかなかろう。そこには、数々の誤り多き我が人生を眺めているような気配すら漂っている。