読書四題(一)-本と「匂い」のこと-

 初回は、最近の読書にまつわるごくごく私事(わたくしごと)の話を書いてみたい。こんなふうに書くと、読んだ本に関するエッセーまがいの文章を思い浮かべる方も多いのではないかと思うが、書いてみたいのはそうしたものではない。また読書とは書いたが、ここで取り上げるのは、書籍としてきちんと纏められたものだけに限ってはいない。書きかけの文章なども含めていることを、最初にお断りしておく。

 まずは第一話として、私自身のことについて書いてみる。今でも調べ物のために本を手にすることは多いのだが、以前と比べればめっきり本を読まなくなった。その理由としてまず挙げられるのは、本を買わなくなったからである(笑)。昔は、Amazonや「日本の古本屋」のサイトから結構本(多くは古本の類いであるが)を注文したし、関内や町田の古本屋にもよく顔を出したものだが、このところその頻度がめっきり減った。

 何故そんな具合になったのであろうか。定年退職後年金生活者となったので、買いたいものを勝手気儘に買う訳にはいかなくなったことも勿論ある。「金と力はなかりけり」という科白は、「色男」だけではなく「年寄り」にも当てはまるのである(笑)。古本屋の醸し出している雰囲気やそこに漂う匂いは今でも好きなのだが、出掛けるとどうしても本を買いたくなるので、できるだけ近付かないようにしている。「目の毒」とはこのことか。

 しかしながら、読まなくなった理由はそれだけではない。今私は、定年退職を機に蔵書の減量を試みている最中だからである。これまでに段ボールで50箱ほど「もったいない本舗」という名のリサイクルショップに売り払ったが、仕事部屋を処分するためにはもっと身軽にならなければならず、そのために、この後も結構な量の本を売り払わなければならない状況にある。そんな時に、新たに本を購入する気にはなかなかなれないものなのである。好きなだけ食べてダイエットする訳にはいかないはずだが、理屈はそれと同じである(笑)。

 いささか自嘲気味に言うならば、私はどちらかと言えば、「読書家」や「蔵書家」と言うよりも細やかな「愛書家」ではないかと思っている。読書家とは本を読むという行為が好きな人のことを言い(世間では「本の虫」や「活字中毒」などと言ったりもする)、蔵書家とは本を蒐集することが好きな人のことを言う。それに対し、愛書家とは書物という物自体を好む人のことを言うのであろう。この三者は重なり合うことも多い訳だが「狂」の域にまで達すれば、どれもがビブリオマニアということになるに違いない。

 私に関して言えば、年がら年中本を読んでいるような人間ではまったくないので、とても読書家とは言えないだろうし、言う気もさらさらない。また、蔵書を平気で処分できるので、勿論「蔵書家」と言う訳にもいかないだろう。しかしながら、身の回りに本のある生活はかなり好きなのである。細やかな愛書家と言ったのはその謂いである。

 そう言えば、亡くなった父にも似たような気配があった。新聞の広告を見て買いたい小説本をチェックし、近くの本屋に注文し、手に入れれば入れたで、きちんとカバーを付け、「一橋文庫」と彫られた蔵書印を押し、本の整理番号を書き込んだシールを貼り、蔵書ノートにいちいち記録していた。買った本をどれほど読んだのかはよく知らない(笑)。あまり読まなかったような気もするが、そんなふうにして本と関わることが好きだったのであろう。

 私も、昔は蔵書印を作って押していたこともあったが、今は父がやったようなことは何一つやっていない。それどころか、本のケースや「腰巻」などもほとんど捨てている。しかしながら、父と似たようなところはある。私の子供が小さい頃は、「おじいちゃんは、本を買うからと言うとお小遣いをくれるよ」などとよく言っていたが(笑)、昔気質の父は、本は大事であるとの信念を持っていたのであろう。孫は孫なりに、なかなか鋭い嗅覚ではある(笑)。そんな父に似て、今の私も、孫に本を買ってやるとなると、いつもよりも財布の紐が緩くなっているような気がしないでもない(笑)。おかしなところが似たものである。

 本のある生活が好きなので愛書家だと書いた訳だが、にも拘わらずあえて「細やかな」という形容詞を付けたのは、大分中途半端な愛書家だからである。知り合いのなかには、本を処分する際に身を切られるような思いがしたと語る人が何人かいた。本に対する愛着が強く、本を自分の分身のように思っていたからであろう。その気持ちが分からない訳ではない。こういう人は本物の愛書家であろう。

 しかし私はと言えば、不要となった物を処分することに快感を感じるような「断捨離」人間でもある。昔は元祖断捨離人間を自称していたこともあるぐらいなので、簡素な生活がかなり好きである。本屋には断捨離本が並んでいるが、そうした本自体を断捨離したくなる(笑)。そんな人間だから、たとえ本であっても、いらなくなれば平気で処分できるので、それ程立派な愛書家という訳ではない。

 また、これまでに買い漁った本や読んできた本にはかなりの偏りがあって、最近の小説や話題の本、さらには衒学的な本や自己顕示の臭いを漂わせている本などには、まったくと言っていいほど近付かない。どういう訳か読む気がしないのである。年を取れば頑固になるので、尚更そうなるのであろう。そんな偏屈な人間なので、近頃の読書界の話題などについても殆ど知らないし、また、知りたいと思ってもいない。

 もしも私に自慢できるものがあるとすれば、大分前からファンとなっている田宮虎彦(1911-1988)に関する資料の殆どを、収集したことかもしれない。これらについては売り払う気はないので、この部分だけは蔵書家と言えるだろう。彼の著作のすべて、彼の作品が収録されている全集のすべて、彼のことに触れた著作のほぼすべて、さらには彼が書いたあるいは彼について書かれたエッセーの類いが掲載された雑誌類の多くを、収集し続けた。今ではかなりの点数になる。

 これらの資料を収蔵した部屋には、どことなく古本屋の匂いが漂っており、それが何とも言えない。こんなふうに書くと、何だか変態まがいである(笑)。「敬徳書院」のホームページを開いていただくと、「敬徳書院について」という項目が出てくるが、そこで使用されている写真は、収集したものの一部である。よく見ていただくと分かるが、そこには田宮虎彦の名前が並んでいる。

 それらのものを収集している過程で、『田宮虎彦論』(オリジン出版センター、1991年)を書かれた山崎行雄さんとも知り合いになった。とは言っても、直接お目に掛かったことは一度もない。この山崎さんは、先の著作を出された後、『田宮虎彦研究』と題した冊子を、ほとんど独力で6号まで出された方である。創刊号が1994年に出ており、6号は2004年に出ているから、何と10年がかりの仕事である。私などには想像もつかない程の熱意を、この仕事に注ぎ込まれてきたのである。

 田宮さんは1988年4月9日に自死されたが、山崎さんはその前に彼から資料を譲り受けたとのことである。その帰属を巡って山崎さんと遺族との間にはいざこざがあったようだ。私は大分前に、体調が今一つだと書かれた手紙を彼から受け取ったが、その後の消息はまったく知らない。先の『田宮虎彦研究』も6号以降は出ていないので、6号が終刊号となったのかもしれない。今頃彼はどうされているのであろうか。できうれば、田宮さんから譲り受けた資料を是非一度拝見したいと思ってはいるのだが…。この辺りの話に興味や関心を示す人など、恐らく誰もいないのではあろうが(笑)、そのうち機会を見て書いてみたい。

 こんなふうに偏屈で頑固で狭隘な人間ではあるが、世の中の多くの人からすれば、やはり本とは縁浅からぬ人間のように見えるのであろう。ブログで雑文を綴ったり、老後の道楽でたまに冊子を作ったりすれば、周りからはなかなかの読書家や蔵書家ででもあるかのように見られ易い。文章を綴る時に、あれこれの文献を引用しながら書くことが多いので(正直に言えば、そんなふうに書くしか能がないので-笑)、これもまた、先のような評価に繋がっているのかもしれない。私自身は細やかな愛書家に過ぎないが、そのように誤解されるのであれば、それはそれで何ともいい気分ではある(笑)。