立夏から小暑へ(二)-金沢動物園にて-

 今回は6月の末に行われたウオーキングの話を書いてみたい。出掛けたのは横浜市立の金沢動物園である。年金者組合の集まりだから、当然のことながら参加者は年寄りばかりである。組合の新聞で6月の企画を見たときに真っ先に感じたのは、「年寄りが動物園ねえ」といったかすかな違和感だった。動物園には、子連れの若い夫婦や孫を連れたお年寄り、さらには若い男女あたりが行くものだろうと、勝手に思い込んでいたからである。何となく、大人だけでウオーキングに出掛けるような場所には思えなかったのである。

 実際私も、初めて動物園というものに出掛けたのは、大学に進学して上京してからである。田舎の福島には動物園などなかった。結婚前に家人と多摩動物園にデートで出掛けた。何故動物園だったのかは、今となってはわからない(笑)。50年近く前の当時の写真を見ると、当たり前だが二人とも実に若い。そして愉しそうである。その後結婚し子供が生まれて、上野動物園や野毛山動物園にも出掛けた。小僧たちが誕生してからは、近くに開園したよこはま動物園(略称ズーラシア)にもよく出掛けた。そんな個人的な体験から、動物園と聞くと子供を喜ばせる場所やデートスポットのように思うのであろう。

 当日はセンター南駅で待ち合わせ、高齢者用の無料のパスで上大岡駅まで行き、そこで京浜急行に乗り換えて5駅目の金沢文庫で降りた。私にとっては初めての場所である。駅名の由来である金沢文庫にも、これまで一度も顔を出したことがない。名前を聞いたことがあるだけである。こうした場所(あるいは人間、あるいは好みなども)というものはよくあるもので、どういうわけだか敬して遠ざけてしまい、何となく縁がないのである。特段の理由があるわけではないようにも思うが、もしかしたら、中世の印象が地味なように感じられるからなのであろうか…。

 この機会に調べてみたら、次のような紹介文があった。「金沢文庫は鎌倉時代のなかごろ、北条氏の一族(金沢北条氏)の北条実時が武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(現、横浜市金沢区)の邸宅内に造った武家の文庫です。その創設の時期についてはあきらかではありませんが、実時晩年の建治元年(1275)ごろと考えられています。蔵書の内容は政治・文学・歴史など多岐にわたるもので、収集の方針はその後も顕時・貞顕・貞将の三代にわたって受け継がれ、蔵書の充実がはかられました。金沢北条氏は元弘3年(1333)、鎌倉幕府滅亡と運命をともにしましたが、以後、文庫は隣接する菩提寺の称名寺によって管理され近代に至りました。現在の金沢文庫は昭和5年(1930)に神奈川県の施設として復興したもので、平成2年(1990)から装いも新たに中世の歴史博物館として活動を行っています。」

 金沢北条氏が滅亡した後も文庫だけは残ったというのが、歴史の断絶と連続を感じさせて何とも興味深い。文庫のある称名寺も公園の中にあるようだから、そのうち小僧たちを連れて散策がてら出掛けても面白いかもしれないなどと思ったりもした。そんな話はともかくとして、まずは金沢動物園である。金沢文庫の駅からバスに乗り、15~20分ほどで動物園に着く。終点近くに「夏山」という名のバス停があったが、何ともいい名前のように感じられて印象に残った。夏が間近に迫ったことを感じさせる陽気だったので、それも影響したのかもしれない。

 動物園は小高い山の上にあり、檻がたくさん並んだ平地の動物園とは大分印象が違った。ここであれば、年金者組合のウオーキングにも相応しい場所である。案内人からもらったチラシによると、「円海山・北鎌倉近郊緑地保全区域やいくつかの市民の森に囲まれた、緑豊かな金沢自然公 園内にあり、世界の希少草食動物を中心に約 50 種の動物を収集し、展示しています。園内 は、動物の生息地ごとに、アメリカ区、ユーラシア区、オセアニア区、アフリカ区の4大陸 にエリアが分けられています。動物は、エリアごとに、無柵放置式の動物地理学的展示方法で展示されています。 動物の種類は余り多くありません が、アップダウンのある広い敷地 をハイキング気分で回れます」とのことだった。まさにその通りの動物園であった。そしてまた、至る所に花がある美しい動物園であった。

 無柵放置式と言うだけあって、たしかにほとんど柵や檻がない。自然動物園あるいは動物森林公園といった趣である。山の中にある動物園なので、とにかく緑が多い。散策路も木々に蔽われているので、歩いていてもあまり暑さを感じない。のんびり歩いていると、所々に動物がいるといった具合なので、ズーラシアよりもさらに自然な動物園と言えるだろう。案内人の解説によると、ここでのお目当てはコアラであり、今の季節ならヤマユリや紫陽花も見頃だとのことだった。臍曲がりな私などは、人気者のコアラに何の興味もない。パンダなども同じである(笑)。「人気」というものに流されることを嫌う、何とも狭量な人間だからなのであろう。

 柵のない状態で動物たちを眺めていると、人間が動物を観察しているだけではなく、人間が動物たちに観察されているようにも感じられてくる。われわれも、「都会」というジャングルの中で「世間」というガラスの檻に囲まれながら生きており、その息苦しさは動物園の動物たち以上なのかもしれないなどと思ったりもした(笑)。散策の途中で、ひっそりと咲くヤマユリや紫陽花を見ることができたが、盛りは少し過ぎていたようだった。園内にある展望台の上に立つと、東京湾が一望でき、海からの爽やかな風がゆったりと流れていた。夏はもうすぐである。