福島から(一)-関根正二の絵-

 甲府から這々の体で帰宅した翌日、性懲りも無く今度は福島に出掛けた。というのは、こちらも既に予定が組まれていたからである。その予定というのは、福島高校以来の友人であるHやSとの2泊3日の温泉旅行である。3.11以来友人たちと復興支援を兼ねて福島での温泉巡りを続けており、その旅である。もっとも、「復興支援」とは名ばかりで、温泉に浸かって疲れを取り、飲み食いして雑談を交わすだけの旅となっているのではあるが…。

 台風の影響によって、新白河辺りで土砂崩れがあり、前日の午前中まで東北新幹線は不通であった。しかし、午後には復旧したので、翌日の夕方には特段の支障もなく福島に着いた。福島に近付くと、車窓からは懐かしい山や川が見える。駅に降り立つと、急に何だか自分が福島の人間にでもなったような感じがするのは何故なのだろう。温泉巡りで田舎に帰る時には、できるだけ弟や姉と会うことにしている。そうでもしないと、なかなか会う機会がないからである。夕闇が迫りつつあった福島駅には、弟がクルマで迎えに来てくれた。

 この日と翌日は弟の家に泊まり、その次の日から温泉旅行という計画である。弟の家は2年程前に新築されたので、もう昔の実家の面影はまったくない。父も母も仏壇にいるだけである。それで当然だろうしやむを得ない。その代わり、2階に新たにゲストルームが出来たのて、あまり遠慮すること無くのんびりと寝泊まりできるようになった。ロクという愛犬が亡くなって残念なことをしたが、弟夫婦も元気そうなのが何よりだった。

 翌日午前中は、近くにある姉の家に顔を出して雑談を交わすことにしていたので、その前に外に出て田舎の空気を胸いっぱいに吸い込んでみた。刈り入れの終わった田圃の先に、見慣れた吾妻連峰が何時もと変わらずに聳えていた。何とも清々しい朝である。姉夫婦も恙ないようで安心した。台風の時は、近くの川が氾濫しそうだとの警報があったので、大事な荷物だけは2階に上げたとのことであった。

 午後には知り合い二人と会って、市の郊外にある料亭風のレストランで昼食をとった。福島に顔を出した時には声を掛けてくれと言われていたからである。弟は、そういうのをリップサービスと言うんだよと笑っていたが、まあそうかもしれない(笑)。そこは田舎には似合わずなかなかしゃれた場所だった。食事の後お茶でも飲もうということで喫茶店に向かったが、クルマの中での二人の会話から、今県立美術館で関根正二展が開催されていることを知った。

 福島出身の画家で著名なのは、関根正二(1899~1919)と吉井忠であろう(版画家には齋藤清もおり、柳津にある彼の美術館にはやはりこの復興支援の温泉巡りで顔を出したことがある)。関根の作品は未見であり、話を聞いているうち是非とも見たくなった。何とも我が儘な振る舞いのようにも思えたが、こんな機会は滅多にないので、二人には県立美術館内にある喫茶室で待っていてもらい、私のみ短時間でいいから見てこようと思ったのである。

 開かれていたのは関根正二没後100年の回顧展だったが、当日は運悪く県立美術館の休館日で、彼の絵を見るのは叶わなかった。常日頃それほど強く見たいと思っていたわけではなかったのに、見ることが出来そうなものを見ることができなくなると、やけにがっかりする。不思議なものである(笑)。関根は福島の白河出身で、僅か20歳で早世している。そんな画家が今でも名を残しているところを見ると、天才と言うしかなかろう。

 『福島県文学全集第Ⅱ期』(2002年、郷土出版社)の第1巻には、関根の友人だった伊東深水の短い追悼文が収録されている。その「関根君に就いて〈関根正二君の死〉」によると、関根は「死ぬ前になってからは、死を恐れるというよりも死ぬと絵が描けなくなるという事を心配していたもので、石にかじりついても死にたくない絵が描きたいといっていたが、最後に自分は永く生きていて駄作を沢山造るより短くとも傑作を造った方がいいといっていた」とある。こんなところが如何にも天才らしい。

 美術評論家の酒井忠康には、『早世の天才画家-日本近代洋画の一二人-』(2009年、中公新書)と題した著作があり、そこにも彼は「幻視の画家」として登場している。早世の画家たちを眺めてみると、関根はその中でももっとも若くして世を去ったことがわかる。私が見たかったのは、彼の最晩年の作品である「三星」である。真ん中の人物が関根であり、両脇は恋人と姉だという。朱色のマフラーは彼のトレードマークだったらしい。この絵を見るかぎり、もうすぐ亡くなる人間が描いた絵のようにはとても思えない。

 

 先の酒井には、『関根正二画文集 雲の中を歩く男』(2000年、求龍堂)という著作もある。それによると、信仰にまつわる彼の作品は、病気がもたらした幻覚にもとづいているようなのだが、その所為なのか、当時から彼の作品は魔気や鬼気が漂うほどの凄みを持っていると評されていたらしい。酒井が「幻視の画家」と名付けたのはそのためなのだろう。もしも関根の絵に対面できたとしても、私のように平凡な人生を過ごしてきた者に、彼の凄味などが理解できるとも思えなかったが…。

(追記)
 ところで、現在書き連ねているこのブログの文章に関して、何人かの方から「1回当たりの分量がもう少し短い方がいいのではないか」とのアドバイスを受けた。電車の中などでスマホで読む人には、長すぎて読みにくいとのことであった。そうかもしれない。自宅で夜パソコンで読む人にとっては、どうということもなかろうが、隙間の時間にスマホで読もうとすると確かに長い(笑)。これまでは、4,000字ぐらいを目安に書いてきたが、これからはその半分ぐらいの分量を目安にし、長くなりそうであれば分割して投稿するつもりである。引き続きご愛読を乞う次第である(笑)。