甲府にて(一)-武田神社から-

今月10月10日から13日にかけて、甲府に出掛けてきた。従兄弟の佐野眞人さんと会い、佐野家の歴史に関してあれこれと話を伺うためであった。もともとは、前年の秋に訪ねるつもりでいたが、団地の管理組合の野暮用に明け暮れていたために、その機会を逸した。物理的な時間が無かった訳ではないが、とても出掛けるような気分になれなかったのである。管理組合のうんざりするような仕事は、今年の5月末まで続いた。

一息入れているうちに暑さが厳しくなって、またまた出掛けようとする気勢がそがれた。では秋にでもするかなどと考えているうちに、どんどん時間が経っていくので、これではならじと、先に日程を決めそれに合わせることにしたたのである(笑)。勿論のことながら、大型の台風が近づく前の話である。出不精の人間は、そうでもしないとなかなか出掛けられない。

そんなに長居をするつもりは無かったので、元々は2泊3日の旅を考えていた。甲府であれば、この旅程でもゆったり出来るだろうと踏んでいたからである。10日の午後に家を出て、3時間程で眞人さんが予約してくれたホテルの「ドーミーイン甲府」に着いた。チェーン展開しているこのホテルは、大浴場と夜鳴きそばを売りにしているところである。風呂に入るまで時間があったので、ホテルの近辺を徘徊した。歩いてみると、どこかに昭和の匂いを残した路地裏や商店や飲み屋街もあって、何とも懐かしい感じがした。人通りが思った以上に少なくて、ちょっと寂しい感じがしなくもなかったが…。大浴場はホテルの最上階にあり、夜誰もいない露天風呂に浸かりながら、しばし月を眺めた。柄にも無く旅情を感じた時間だった。

眞人さんと会食する予定にしていたのは、翌日の夜であり、その前に山梨県立美術館に案内してもらうことになっていた。希望を聞かれたので、私がそう答えたのである。11日の午前中は何も用事が無かったので、まずは駅前に整備されていた城跡を散策した。眞人さんは「新しく作ったものなので、見なくてもいいですよ」と言っていたが、ホテルのすぐ近くなので寄ってみたのである。特に城郭に関心がある訳ではないので、ぶらぶらしながら見晴らしの良いところまで歩いた。展望台からは甲府盆地が一望できて、何とも爽やかな気分であった。

待ち合わせに時間までにはまだだいぶ間があったので、日頃の運動不足を補おうと思い武田神社まで出掛けることにした。通りすがりの人に道を尋ねたら、大分距離があるし少し上り坂なので、「バスかタクシーでも利用した方がいいですよ」との話であった。こちらが年寄りの所為もあったかもしれない(笑)。しかしながら、それでは当初の目的は果たせないと思ったので、暇に任せてのんびり歩き始めた。40~50分程は歩いたような気がするが、かなり歩いて目的の神社に辿り着いた。途中山梨大学前を通過したが、この大学は「山大」ではなく「梨大(なしだい)」と呼ばれていることを初めて知った。眞人さんによると、山大では山形大学と間違われるからだそうである。

武田神社には武田信玄が祀られている。私は古寺は好きだが神社は好まない。皇室などを持ち上げているところが多く、何ともいかがわしい気配が漂っているからである。この武田神社創建のきっかけは、大正天皇の即位に際して武田信玄の墓前に従三位(じゅさんみ)が追贈されたことにあるらしい。これを契機に、信玄の遺徳を慕う県民から武田神社創建の気運が沸き上がり、その後官民一体となった武田神社奉建会が設立され、浄財によって大正8年に社殿が竣工、4月12日の命日には初の例祭が催されたという。

それ以来、甲斐の国の総鎮護として祟敬を集めているというのだが、ホームページによると、甲斐の国の守護神であるばかりではなく、やはり戦国武将を祀っていることもあって、「勝運」の御利益があるのだと言う。勝負事に限らず「人生そのものに勝つ」、「自分自身に勝つ」という御利益があり、また、信玄が農業・商業・工業を振興したことから産業・経済の神としても信仰を集め、さらには、民政が巧みだったこともあって、政治家からも神として崇められているとのことである。何とも御利益だらけの神社ではある(笑)。

その辺りのことに関しては何の興味も関心も無かったので、参拝もせずに人気の無い神社の周辺を散策した。ひとしきり静けさの中に身を置いていると、世俗の煩わしさが何ともつまらぬことのように思えてくる。この気分が何ともたまらない。帰りしなに、参道脇に立っていた案内板が目に入った。太宰治が、「春昼」という作品において、武田神社の桜に触れていることが紹介されていた。私など勿論未読である。

それどころか、「春昼(しゅんちゅう)」なる言葉もこの時初めて知った。のんびりとした春の日中を言うとのことだが、何とも美しい日本語ではないか。こちらにはかなり興味が沸いたので、帰宅してから全集に当たってみた。しかしながら、手元にある私の全集には収録されていない。仕方が無いので、例の「青空文庫」で探してみた。見付かったので早速読んでみたが、この作品は短編とも言えぬような小品であった。以下そのまま紹介してみる。

四月十一日。
甲府のまちはずれに仮の住居をいとなみ、早く東京へ帰住したく、つとめていても、なかなかままにならず、もう、半年ちかく経ってしまった。けさは上天気ゆえ、家内と妹を連れて、武田神社へ、桜を見に行く。母をも誘ったのであるが、母は、おなかの工合(ぐあい)悪く留守。武田神社は、武田信玄を祭ってあって、毎年、四月十二日に大祭があり、そのころには、ちょうど境内の桜が満開なのである。四月十二日は、信玄が生れた日だとか、死んだ日だとか、家内も妹も仔細らしく説明して呉(く)れるのだが、私には、それが怪しく思われる。サクラの満開の日と、生れた日と、こんなにピッタリ合うなんて、なんだか、怪しい。話がうますぎると思う。神主さんの、からくりではないかとさえ、疑いたくなるのである。
桜は、こぼれるように咲いていた。
「散らず、散らずみ。」
「いや、散りず、散りずみ。」
「ちがいます。散りみ、散り、みず。」
みんな笑った。
お祭りのまえの日、というものは、清潔で若々しく、しんと緊張していていいものだ。境内は、塵一つとどめず掃き清められていた。
「展覧会の招待日みたいだ。きょう来て、いいことをしたね。」
「あたし、桜を見ていると、蛙の卵の、あのかたまりを思い出して、――」家内は、無風流である。
「それは、いけないね。くるしいだろうね。」
「ええ、とても。困ってしまうの。なるべく思い出さないようにしているのですけれど。いちど、でも、あの卵のかたまりを見ちゃったので、――離れないの。」
「僕は、食塩の山を思い出すのだが。」これも、あまり風流とは、言えない。
「蛙の卵よりは、いいのね。」妹が意見を述べる。「あたしは、真白い半紙を思い出す。だって、桜には、においがちっとも無いのだもの。」
においが有るか無いか、立ちどまって、ちょっと静かにしていたら、においより先に、あぶの羽音が聞えて来た。
蜜蜂の羽音かも知れない。
四月十一日の春昼。

以上が全文であるが、「サクラの満開の日と、生れた日と、こんなにピッタリ合うなんて、なんだか、怪しい。話がうますぎると思う」と書いているところなど、如何にも太宰らしくて笑える。実際は、4月12日は信玄誕生の日では無く命日とされてるようだが…。それにしても、このような諧謔と軽みが何とも言えない。私もどこかであやかりたいと思っているのである(笑)。

今回のブログから、旅先で撮った写真も使ってみることにした。じつは、甲府に出掛ける前日に、ホームページを作成してもらった伊東宏之さんに自宅まで来てもらい、デジカメで撮った写真の挿入の仕方を教わったのである。こうしたものを入れると、如何にも旅日記らしい雰囲気が出てくる(勝手にそう思っているのである-笑)。旅先で写真を撮る時も、ブログに使うことを念頭に置きながら撮るようになるので、写真の腕前も少しは上がるかもしれない。