春を探しに-遠近三題-(上)

  この3月には、年金者組合のウオーキングで鶴ヶ峰に出掛けた他にも、あちこち歩よくいた。上旬、中旬、下旬と、春を探しにうろついたのである。そう言えば、2月末にも娘や小僧たちが大倉山に観梅に出掛けるというので、そこにも付いていった。天気のいい日に家を離れて、足の向くまま気の向くままにあちこちぶらぶらと歩くのは気持ちのいいものである。春という季節の到来が、ますますそんな気にさせるのであろう。辞書には探春という言葉も載っている。春の到来を待ちわびているから、わざわざ探しに少し遠くまで出掛けるのであろう。だからなのか、毎日の天気がこれまで以上に気に掛かるようになった。根が単純な私なので、好天だとわかると何となく嬉しくなる(笑)。

 3月の上旬には、上の坊主が高校入試も終わったということもあって、合格した高校まで見学かたがた歩いてみることにした。下の坊主も一緒である。二人はいつも連れ立ってじゃれつき、ふざけあっている。その高校は最寄りの駅からさほど離れていないところにあった。案外離れているように思っていたので、駅からバスにでも乗るのかと思っていたが、歩いて通うとのこと。たしかに歩いてみるとそれほどの距離ではない。

 昔あんなに小さかった坊主がもう高校生だとは、にわかには信じられない。身長も既に私を追い越している。足も速いので、こちらとしてはゆっくり歩いてくれと頼まなければならない。いささかしゃくではあるが、私の足腰がだいぶ衰えてきたので仕方がない。そのうち背中を押してくれなどと頼むことになるのかもしれない。私はあれこれ眺めながら歩きたい口なのだが、坊主たちはどうも目的地を目指して歩いているようなのである。この日だったかどうか忘れたが、私が「春の匂いがするね」などと言ったら、下の坊主が「そんな匂いはしないけど」などと返してきた。何とも無粋な小僧ではある(笑)。

 目指す高校に着いたので、中に入って校内を眺めてみることにした。そうしたら、校門脇に「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた看板が立てられていた。校門は開いていたので入ろうとしたら、下の小僧が「入っちゃ駄目なんじゃない」などと言って一緒に入ろうとしない。漢字も読めるようになったというわけである。「大丈夫だよ、3人とも関係者なんだから」と説得したが、何とも不安そうな面持ちである。相変わらずの生真面目ぶりである(笑)。

 高校ともなると校内には像や碑があって、それらを見て廻るのもなかなか面白いものである。自分が通った田舎の高校にもきっと何かあったはずなのだが、今となっては何も思い出せない。ただ、校歌にも謳われていた「心字の池水(ちすい)」だけは今でもよく覚えている。池の前で撮った文芸部の写真があったから、記憶として定着しているに違いない。写真の効用であろう。顧問は漢文の須田先生であった。写っていた部員は今頃どうしているのだろうか。

 あれこれ眺めてグランドに出たら、野球部が他の高校と試合をしていた。高校も球春なのである。3人でひとしきり見ていたが、高校ともなると野球も本格的である。坊主は、中学でやっていた剣道を続けてやるようなことを言っていたが、これからどんな高校生活を送るのであろうか。自分もそうであったように、自我に目覚めて、年寄りからは勿論のこと親からも自立していくことだろう。帰りには、歩きながら下の小僧に看板の文字を読ませて、漢字の読み方の練習をした(笑)。小学校も高学年ともなると、ずいぶんといろいろな漢字が読めるようになるものである。下の小僧もどんどん大きくなっていく。

 駅に戻って、その後電車で大きな文房具屋のある駅まで行き、上の小僧に入学祝いを買ってやった。ボールペンとシャープペン、それに少し立派なペンケースである。小僧も気に入って者が手に入って嬉しそうだった。彼らに教育資金を贈ろうなどといった気などさらさらないが(笑)、お祝いぐらいはやってもよかろうと思っている。物わかりの良い優しい年寄りを演じてみたいからである(笑)。

 シャープペンで思い出したが、私が高校に入学することになった時、父が私を文房具屋に連れて行ってくれて、合格祝いにシャープペンを買ってくれた。そんなことを今でもかなり鮮明に覚えているところを見ると、私もきっと嬉しかったのであろう。懐かしい思い出である。その後、3人で近くのレストランに入り、簡単なコース料理を食べた。いつも行くような店とは違ってちょっとばかり立派な店だったので、2人ともいささか神妙な面持ちであった。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/03/30

高等学校を訪ねて(1)

 

高等学校を訪ねて(2)