春を探しに-遠近三題-(中)

 次は、私一人で真鶴に出掛けた話である。高校受験を終えた上の坊主と一緒に出掛けるつもりでいたが、その相棒が前日インフルエンザに罹って高熱を出したので、二人で出掛けるのは取り止めとなった。そんなことだから、4~5日は安静にしているしかなかったようだ。しかし、その間にあまりにも良い天気の日があったので、家にくすぶっているのももったいないように思われ、春を探しに一人で出掛けてみることにした。たまには、小僧なしの単独行もよかろうと考えたわけである。

 市営地下鉄で横浜に出て東海道線に乗り換え、2時間弱で真鶴駅に降り立った。真鶴にはクルマで来たことは何度かあるが、電車で来たのは今回が初めてである。若いときにはあちこち動き廻りたいのでクルマの方がありがたいが、年を取ってくるとそれほど動き回るわけではないから、電車の旅の方が楽である。平日の昼の東海道線は空いており、のんびりと車窓を眺めることができた。春光に煌めく海が見えると、何だか心までが躍るようである。せっかく日常から離れたというのに、どこでもスマホをいじっているのはもったいなかろう。停車駅のホームでは郷愁を誘う童謡のメロディーが流れていた。

 駅の側の案内所で、半島の先までどのぐらい掛かるのか尋ねたところ、距離で5キロほどとのことだったので、春の陽気に誘われて歩いて行くことにした。ついでに寄ろうと思っていた中川一政美術館はこの日は休館日だとのこと。彼の激しいタッチの絵を見て元気を回復しようなどと考えてもいたので、見ることができなかったのは残念であった。しかしながら、そうであれば時間はたっぷりとあるので、歩くのに好都合である。左手に海を眺めながら、あっちこっちで余所見や脇見やちら見やがん見しつつ、のんびり歩いた(笑)。通りの脇には、面白そうな場所がいろいろとある。

 前立腺ガンの放射線治療がようやく済んだと思ったら、今度は両目の白内障の手術である。たいした手術ではないと聞かされてはいるし、それほど心配もしていないのだが、それでも鬱陶しいことに変わりはない。そんな気分も、海を眺めながらのんびり歩いていると、いつの間にやら薄らいでいく。気分転換に出掛けてきた効用であろう。岬が近付くと、巨木が目に付くようになってきた。大分歩いてようやく半島の先端の真鶴岬に出た。

 途中から坂道になったりして結構疲れたので、岬の先端にある喫茶店でしばらく休むことにした。大して期待もしていなかったのだが、注文したスポンジケーキもアイスコーヒーもなかなか美味で、海を眺めながら味わうのは格別の気分である。燦々と注ぐ春の陽は目映いばかりで、水平線を眺めていると自分自身の存在がどんどんと小さくなっていく。店の人は暑かろうから中に入るようにと勧めてくれたのだが、海を見に出掛けてきたようなものだから、外の方がいいのである。店の柵の側には菜の花が咲いており、その先には海と空が広がっている。のんびりと景色を眺めているうちに、昼寝でもしたくなった。年寄りに昼寝は似合っている(笑)。

 その後海岸まで降りて岩場を歩き、海辺の写真をたくさん撮った。岩場があり、海、山、空と視界が広がっているので、なかなかいい写真が撮れた(ような気がする-笑)。だが、誰もがカメラを向けたくなるような場所での写真撮影は、いわゆる俗に流れる可能性が高くなる。そのあたりが気を付けなければならないところだろう。そうしたことはともかくとして、旅に写真を撮るという目的も加わると、案外外にも出やすかろうと思われた。

 岬の桜は満開には遠かったが、眼前に広がる春の海は何とも美しかった。いつまで見ていても飽きることがない。くり返し寄せる波は、永遠に続いていくように思われた。春の海をたっぷりと堪能したので、帰路に就くことにしたのだが、帰りも歩いて駅まで戻るような元気はもうすでに残ってはいなかったので、バスに乗って真鶴駅に戻った。午後の日差しはまだまだまぶしさを残していた。

 思い立った時にふらりと出掛ける一人旅も悪くはない。いつまでも小僧たちに頼っていてはまずかろうと思った次第である(笑)。もうすぐ彼らも巣立っていく。ふらりと出掛けた一人旅だったからなのか、今回のブログは珍しく短い文章である。長ければ立派というわけでもなかろうから(勿論短くても同じではあるが)、たまにはこうしたものもいいのではないか(笑)。店主の自画自賛である。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/04/04

真鶴半島散策(1)

 

真鶴半島散策(2)

 

真鶴半島散策(3)

 

真鶴半島散策(4)