春を探しに(一)-大倉山散策へ-

 ロシアのウクライナ侵略に触発されて、急遽映画『ひまわり』にまつわる話を投稿してきたが、それも終わったので、もともと考えていた話に戻ることにした。しかしながら、これまでの投稿の内容とはかなりの落差があるので、いささか戸惑いを感じなくはない。ブログの読者も同じような気分であろう。タイトルは「春を探しに」とし、3~4回に渡って投稿する予定である。

 日本は四季の国と呼ばれるように、春夏秋冬が世界の国々以上にはっきりしており、私のような人間でも季節の変化やその移ろいに心を動かされることが多い。だが、四季とは言ってもそれぞれの季節の期間は3か月ほどの長さとなるので、さらに細分化された呼称で呼ばれることも多い。例えば、春であれば早春であり仲春であり晩春であるといった具合である。それだけわれわれの季節に対する感覚が細やかだということなのであろうか。

 同じように、夏であれば初夏、盛夏、晩夏となるだろうし、秋であれば初秋、仲秋、晩秋となるだろう。この辺りの表現はかなりポピュラーだと思うが、冬の場合はどうだろうか。辞書には初冬、仲冬、晩冬と書かれているが、初冬以外はほとんど使ったことがない。春の早春も正しくは初春なのかもしれないし、夏の盛夏も仲夏ということになるのかもしれないが、それではどうも感じが出ない。冬の仲冬なども厳冬とした方がずっと感じがでる。

 しかしそれにしても、季節の盛りにはそれほど心を動かされることがない。どうしてなのだろう。あまりに出来上がり過ぎたものには、心を動かされないのとよく似ている。季節に拘わらず、絶頂期にあるものに対しては、これ見よがしの鬱陶しさ感じるからなのであろうか。『徒然草』の137段にも「万(よろず)の事も、始め・終りこそをかしけれ」とある。

 季節で心が動かされるのは、やはり初めであり終わりである。ただ、冬だけは初めは晩秋に、終わりは早春に気を取られてしまって、冬は冬としてだけあるような気がする。どうもその間の変化に季節感というものをそれほど感じないのである。年寄りとなった私などもそうだが、みんなも寒いのが嫌なので、早く暖かくなることを待っているからであろうか(笑)。

 去る2月23日の早春に、小僧二人を伴って観梅に出掛けた。この日は天皇誕生日ということで祝日になっているが、個人の誕生日を国民の祝日にするなどというのは、何やら独裁者の所業のようにも感じられて、私自身はまったく好まない。それはともかく、小僧たちとの待ち合わせ場所に向かうべく駅へと歩いていたら、団地で昔から知り合いだったSさんのご主人にばったり出くわした。挨拶を交わした後、「奥さんもお変わりないですか」などと何の気なしに気軽に声を掛けたところ、「実は昨日亡くなりました」とのこと。思いもかけぬ返答に驚いて、声を失った。

 天気も上々で早春の散策にはもってこいの日和だったが、Sさんの訃報を聞いて心はすっかり春愁に蔽われてしまった。そして、長い付き合いだったので、一人あれこれと想い出をたどった。何も知らぬ小僧たちは、この日を楽しみにしていたようで、電車の中でも元気にはしゃいでいた。私には、その方がかえって良かったようにも思われたのだが…。

 目的地の大倉山公園は梅の名所として知られたところで、以前にも顔を出したことがある。途中の高台となった坂道から、すっきりとした姿の富士が見えた。幾本かの梅は見頃を迎えていたが、多くはまだ綻び初めたといったところだった。春を探しに来たのだから、それがかえって嬉しかった。梅を観るのを観梅、桜を観るのを観桜と言うが、桜は観桜よりも花見で十分である。紅梅、白梅とのんびり眺めているうちに、野梅という標識の掛けられた梅を見付けた。「やばい」と読むのだそうである。野に咲く梅のことのようだが、「ヤバイかあ」と3人で笑った。

 梅林の手前に大倉山記念館という威容を誇る建物があり、観梅の前にここを覗いてみた。そうしたら、南米の民族音楽の愛好グループが小さな会場で演奏会を催すとのこと。珍しいと思い入ってみた。こんな機会は滅多にない。ケーナ、サンポーニャ、オカリナ、ドゥルサイナといった珍しい楽器の演奏があり、そして歌があった。小僧たちは促されて手拍子までしていた。

 日本に来た現地の人が指導しているグループのようで、結構本格的なものだった。もらったパンフレットによると、彼はイリチ・モンテシーノスという名で、作曲も手掛けていた。こんなところで無料で聞かせてもらっているのが申し訳ないくらいである。当初は少し聞いたら出ようかとも思っていたが、とうとう最後まで聞いた。遠い世界の音楽を聴きながら、亡くなって今は遠くに去ってしまったSさんのことを悼んだ。

 花より団子という諺通り、小僧たちには観梅よりも焼きそばであり蒸し饅頭だった。「もう少しで昼ご飯だよ」と言ったのだが、どうもそこまで待てないらしい。屋台を見ると何となくお祭り気分になるのかもしれない(笑)。年寄りとは違って、食欲が旺盛なのであろう。私は甘酒を飲んだ。のんびりと寛いだ後、大倉山駅に戻り3駅先の白楽に向かった。

 ここには昔からよく知られた六角橋商店街があり、私も一度来てみたいと思っていた。小僧たちも楽しみにしていたようだ。もしかしたら、観梅よりも商店街だったかもしれない。表通りはクルマも走るような何の変哲もないただの商店街だが、興味深かったのは裏通りである。何となく迷宮のようである。路地には、相当に古ぼけた作りの(言い換えればなかなか味のあるー笑)店がごちゃごちゃと並ぶ。変わった店があれこれあるので、ぶらぶらしながら覗いて歩いた。折角来たのだからと、お土産も少し買ってみた。

 小僧たちの食欲だが、商店街に着いたら「唐揚げを食べたい」とのこと。昼飯まで待てないらしい。路地を徘徊してから3人で京風のラーメンを食べた。なかなかボリュームがあったが、下の小僧までペロリと食べた。店を出てから、今度はデザートだということで、ベトナム料理の小さなレストランに入った。小僧二人は甘い芋とアイスのパフェを食べ、私はベトナムコーヒーを飲んだ。昔々調査旅行でベトナムに出掛けたことがあるが、その時にも物珍しくて飲んだ。

 当初は春を探しに観梅に出掛けたつもりだったが、いつの間にやら早春の食べ歩きになっていた(笑)。そんなところにも、春の訪れを感じた一日だった。もしかしたら、小僧たち自体が青春に向かう前の早春の時期に、今いるのかもしれない。日頃すっかり晩秋の時期を過ごしているこちらからすると、春の訪れはいささか眩し過ぎるようにも感じられた。