春を探しに(二)-泉の森公園を巡って-

 大倉山に観梅に出掛けた3日後に、今度は大和市にある泉の森公園に出向いた。いつもの年金者組合のウオーキングである。この日も好天に恵まれ、上々の散策日和だった。気持ちのいい日が続いている。目的地の公園は、小田急線の鶴間駅から大山街道を歩いて20分ほどのところにあった。事前に地図で確かめてみたら、かなり大きな公園である。

 昨年11月に、この年金者組合のウオーキングに同行させてもらって、田園都市線のグランベリーパーク駅から大山街道の下鶴間宿まで歩いた。この時は、そこで帰ることになった同行の人々と別れ、私は一人で「下鶴間ふるさと館」に立ち寄り、さらにその後大山街道を鶴間駅まで歩いてみた。今回出掛けた泉の森公園は、その大山街道を鶴間駅を突っ切ってさらに進んだところにある。

 そこまでの道は、大山街道とはいってももはや古道の名残は何もない。ただ、大山街道の元の名である矢倉沢往還の石柱が建てられているだけである。それよりも、驚いたのは近くにあったバス停留所の時刻表である。それを見るともなしに見たら、バスの便は一日にたった1本しかなかった。

 Ⅰ時間に1本でも少ないなあと感ずるはずだが、それどころではない一日に1本なのである。ここまで断捨離された時刻表を見たのは初めてである。このバスにいったいどんな人が乗るのであろうか。その乗客に少しばかり興味が沸いた。これぞまさしく現代の古道と言うべきか(笑)。

 案内人のSさんが何時も作成してくれるチラシを今回ももらったが、そこには次のように書かれていた。それによると、「引地川の源流地域・泉の森公園は巨大な森に約9,000 種類の植物が生育し、約50 種の野鳥が生息しています。特に『カワセミの生息地』と噂されるくらいカワセミ に遭遇できる確率の高い公園です。自然林や水源を巧みに生かし、『湿生植物園』や 『せせらぎ広場』、『野鳥観察デッキ』、『郷土民家園』などが整備されていて、自然の 中でゆっくり過ごしたい方にオススメです」。

 ここ泉の森公園は、引地川の源流となるようなところだから、都市部にある公園とはまるで違う。自然公園や森林公園とでも言うべき場所である。公園に入ってからしばらくは樹木の密集した細い道を歩いた。動向の女性陣は、「野鳥の声が聞こえるところらしいけど、聞こえないわねえ」などと語らい合っていた。野鳥にそれほど興味のない私には、彼女たちの語らいが野鳥のさえずりのようにも聞こえたのではあるが…(笑)。

 いま引地川の源流だと書いたが、この川のことは今回調べてみて初めて知った。ネットの記事をかいつまんで紹介すると、「神奈川県大和市上草柳の泉の森に源を発し、洪積台地を浸食して谷底平野を形成しながら南流。藤沢市稲荷付近から湘南砂丘地帯へ流れ出て、同市鵠沼海岸の湘南海岸公園から相模湾に注ぐ。全長21.3km」とある。この川は小田急江ノ島線に沿うように流れており、中流部に広がる水田地帯の農業用水として利用されているとのことである。写真を見ると、河口の先には江ノ島が見える。荷風に倣って、こちらも源流と河口が気になる性分である。

 途中に野鳥を観察できるデッキがあったが、その下には引地川の水源となる池があった。鬱蒼と茂った草むらに囲まれているのでその全貌がよく見えない。そこを過ぎて郷土民家園に立ち寄った。江戸時代に建てられたなかなか立派な農家である。そのうちの一つは養蚕農家だったので、入って中まで見たかったのだが、コロナ感染が広がるこの時期なのでそれは叶わなかった。

 ここに置かれていたチラシをもらって眺めていたら、屋根はススキの茎(くき)でできており、この茎を茅(かや)と呼ぶことから、茅葺き屋根と称されているとのことだった。何も知らない私は、こんなことも今回初めて知った。この民家の中には雛壇が飾られ、吊るし雛もあった。もうすぐ桃の節句である。もしかしたら、この家にあった雛飾りなのであろうか。先日出掛けた大倉山とは違って、廻りの梅は見頃を迎えていたし、桜もちらほら咲き出していた。

 そこからしばらく歩いて、この公園の中心部にあるせせらぎ広場に着いた。ここには、「しらかしの家」と名付けられた自然観察センターがある。この広場まで来ると、源流の池から流れ出た小川はせせらぎとなり、大きな池もあった。眺めのいい広場なので、ここで昼食をとることになった。

 この広場には、公園のシンボルともなっている「緑の架け橋」が掛けられていた。立派な木製の橋であり、写真心をいたくくすぐられた。木製なのが素晴らしい。聞けば、日本最大級の木製斜張橋だという。斜張橋は「しゃちょうきょう」と読む。調べてみると、塔から斜めに張ったケーブルを、橋桁に直接つないで支える構造の橋を言うらしい。だから珍しく、そしてまた美しく感ずるのだろう。最大ではなく最大級というのが笑えたが…。また、古びた水車小屋も移築されており、景観に彩りを添えていた。

 昼食は駅で買った少し高めの押し寿司を食べた。天気のいい日に緑に囲まれた場所で旨い弁当を広げる、そんなことが何とも贅沢に感じられた。勝手に少々の難を言えば、国道が走っているためか時折騒音が聞こえ、さらには厚木飛行場に着陸するジェット機が時折騒音を撒き散らして低空を飛んでいたために、静寂が破られたことである。公園のある上草柳地区は、厚木基地の騒音被害が深刻な場所として知られている。もしかしたら、これだけの広大な公園を整備するに当たっては、基地交付金のようなものが投入されているのかもしれない。

 帰りは大和駅まで歩いた。広場を過ぎると、せせらぎだった引地川は徐々に川らしくなり、そこには何本もの橋が架けられていた。ゆったりと流れる小さな川だったが、そんな川を眺めながら歩いているうちに、山村暮鳥の詩「春の河」を想い出した。

 途中興味深かったのは、台湾亭と呼ばれる建物がひっそりと建っていたことである。アジア・太平洋戦争時に、日本の海軍工廠では台湾出身の少年工がたくさん働いていたようである。その同窓組織が、1993年にこの建物を大和市に寄贈したのだという。当時の少年工たちは、当時どんな夢を抱き、その後どのような人生を送ったのであろうか。

 泉の森公園がかなり広いところだったこともあって、今回は大分歩いた。大和駅に着いてスマホの歩数計を眺めたら、15,000歩近くにもなっていた。年金者組合のウオーキングにしては珍しいほどの歩数である。春を探しに来た愉しさもあるからなのか、その割にはあまり疲れを感じることはなかった。午後になっても春の日差しは衰えず、まだ眩しさが残っていた。春爛漫の陽春の候も間近である。