ある映画を観て(三)

  映画『ひまわり』をめぐる話を綴っているうちに、この機会に少しばかり話題を広げてみる気になった。だから(三)は言わば蛇足のようなものである。ウクライナの国花はひまわりだが、では日本の国花は何だろうか。そう問われれば、ほとんどの人は桜と答えるに違いない。皇室崇拝者は「菊の御紋」だから菊だなどと言うのかもしれないが、そうした人々は恐らく少数であろう。3月も半ば近くになって春本番に近い暖かさとなり、桜の季節が足早に近付いている。

 桜の花があまりに美しいと、その美しさ故に花から何やら妖気のようなものが発せられ、そこから死のイメージが広がっていくことになるのかもしれない。私はそれほど鋭敏な感受性の持主ではないので、そうした感覚でいつも桜を見てきたわけではないが、少しは分かるような気もする。桜と死を結び付けたものとしてよく知られているのは、西行の辞世の句である「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」であろう。しかしここには無常観はあっても無気味さというようなものはない。

 西行に代表されるような無常観を越えて、無気味な死のイメージで桜を見ていたのは、梶井基次郎と坂口安吾の二人の作家である(彼らの作品は、ともにインターネット上の「青空文庫」で無料で読むことができる)。梶井の掌編とも言うべき「桜の木の下には」の書き出しは、次のようなものである。

 桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。(中略)いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。

 それは、よく廻った独楽(こま)が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲(う)たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。

 しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。

 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という梶井のこの文章は、そのいささかショッキングな表現故によく知られているようだが、では坂口安吾の場合はどうだろうか。「桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になります」と書く彼の「桜の森の満開の下」の冒頭は、次のような文章である。

 桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子(だんご)をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。

 近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。

 美しく咲き誇る桜が、さらに強く死と結び付けられることになったのは、アジア・太平洋戦争で多くの日本軍兵士の死が桜になぞらえられたからであろう。もちろんながら「咲く」ことにではない、「散る」ことにである。桜が散ることは、兵士が国のために死ぬこととしてイメージされたのである。

 例えば、あまりにもよく知られた軍歌「同期の桜」(作詞・西條 八十、作曲・大村能章 )をみてみよう。陸海軍を問わず歌われ、とりわけ死を前にした特攻隊でよく歌われたという。戦場で兵士が命を落とす姿を、桜の花に直接喩えた歌であり、強調されているのは、潔く散ることの美しさや雄々しさである。こうした歌を歌うことによって、兵士たちは生への執着を断ち切ろうとしていたのかもしれない。一番と四番の歌詞のみを紹介してみる。

 貴様と俺とは 同期の桜
 同じ兵学校の 庭に咲く
 咲いた花なら 散るのは覚悟
 みごと散りましょ 国のため

 貴様と俺とは 同期の桜
 離れ離れに 散ろうとも
 花の都の 靖国神社
 春の梢に 咲いて会おう

 もう一つだけあげておくと、これもよく知られた「若鷲の歌」(作詞・西条八十、作曲古関裕而)の歌い出しは、「若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨(いかり)」となっている。ついでではあるが、西条八十も古関裕而も随分と軍歌の流布に貢献したものである。古関裕而は私が育った福島市の出身者であるが、誇りに思ったりする気にはとてもなれない。彼は「さくら進軍」といった軍歌も作曲しているのだが、そこには「意気で咲け桜花 俺も散ろうぞ華やかに」といった歌詞も登場している。

 わが国でも、美しい桜の木の下には数多の死体が埋まっているのであろう。桜を見上げて一人耳を澄ましたときに、斃れた兵士の嘆きや呻き、哀しみや望郷の思いが、かすかにでも聞こえてはこないだろうか。とりわけ靖国神社の桜の木の下は、数えきれぬほどの死体で埋め尽くされていることだろう。

 今でも日本の侵略を正当化して止まないこの神社で、斃れた兵士が安らかな眠りにつけるはずもない。彼らを英霊視するばかりで、その死を哀しみ悼むことがないからである。夜ともなれば、妖気と化したその死臭がこの神社を覆い尽くしているに違いなかろう。

 桜の木の下には死体が埋まっている、そのことが深く自覚され、戦死を美化するかのような「散華」(さんげ)といった言葉が死語となった時にこそ、美しい桜は平和を象徴する花へとその姿を変えるのではなかろうか。そして、ある種の懐かしさを持って見返されることになるのではなかろうか。ちょうどウクライナの野に咲くひまわりがそうであるように…。