『見果てぬ夢から』について

 今日から9月、もうすぐ残暑の候も過ぎて晩夏に入っていくのだろう。今年の夏も酷く暑かった。このところ、毎年のように夏の暑さを感じるのは、地球温暖化の影響だけではなく年の所為もあるのかもしれない。「晩夏」という言葉には、一つの季節が過ぎ去っていく寂しさのようのものが感じられるので、どうしても感傷的な気分になる。「行く夏を惜しむ」といった言葉も似たようなものだろう。あたりにはなお衰えない暑さも残っているし、日差しにも夏の名残りはまだある。だが、それらは炎昼のものとは明らかに違っている。夏が暑ければ暑いほど、その季節が果てて行くといった感慨は深まっていくようである。

 前回の投稿は8月23日だったから、あれから今日で8日目である。前回、もう少し投稿の頻度を落としたいと書いていたぐらいだから、遅くなっても何の不思議もないのだが、今回はペースダウンして意識的に遅くしたわけではない。何時までもブログに向かう気分になれなかったからである。老後の道楽として雑文を綴るためには、一人になって静かに落ちついて机に向かいたいのだが、それが難しかった。

 この間、ある必要があって長い文章を書いた。そのドラフトを書き終えるだけでも1週間以上かかったような気はする。その後も加筆・修正の必要が生じ、そこにまたたっぷりと時間を取られた。どれもこれも大事な手直しなので、やむをえない。その結果、とてもいいものが出来上がったと周りから評価されたりもしたので、それはそれで満足したのであるが、何処かに寂しさも残った。何故かと言えば、他人の意見を取り入れて直せば直すほど、その文章が自分の手から離れていくようにも思われたからである。

 いずれにしてもその作業もあらかた終わったので、そこからすっかり離れてほっと一息つきたくなった。ざらざらした気分を落ちつかせないと、とてもブログには向かえない。そう言えば、神奈川労連の赤堀さんから、そのうち一杯やりましょうといったメールが来ていた(メールには、他にもあれこれと書かれていたが、本旨は「一杯」である-笑)ことを思い出し、連絡を取ってみた。突然の誘いだったが、その日は運良く午後から空いているとのことだった。

 赤堀さんに近くの駅まで出向いてもらって、小さな居酒屋で二人でのんびりと四方山話をした。随分長い時間居座ったが、話は尽きることなく続いて愉しかった。その店には私は既に二度ほど顔を出していたが、比較的印象は薄かった。赤堀さんが気に入るかどうかちょっと心配だったが、食べ物も飲み物も旨かった。飲み食いする相手が違えば、店の印象も結構変わるということなのかもしれない(笑)。次回もまたこの店でやりましょうという話にまでなった。

 その場で、私が毎年道楽で作っているシリーズ「裸木」の第4号を、彼に贈呈した。今回のタイトルは『見果てぬ夢から』としたので、表紙の色もタイトルに合わせてグレーにしてみた。私もごくたまに夢を見ることがあるが、カラーの夢は見たことがないからである。この冊子は8月28日に我が家に届いたばかりだったので、できたてほやほやのものを彼に渡したというわけである。

 添え文には、「『裸木』の第4号が出来上がってきましたので、早速贈呈させていただきます。こちらが勝手に贈呈するのですから、読んで感想の一つも送らねばなどとは、決して思わないでください。無反応で結構です。念のため(笑)」などと書いておいた。如何にも大人(たいじん)の振りをして、格好を付けたのである(笑)。しかし根は小人なので、赤堀さんに手渡せばきっと褒めてくれるに違いないと踏んでいた。その通りとなりいい気分であった。情けないが本心である(笑)。

 この冊子は、川崎市の宮前区にあるエスコムという印刷屋さんで作ってもらっている。エスコムとは労研時代からの付き合いであり、その頃は調査報告書の印刷でお世話になった。私が専修大学に転職してからは、ゼミの論文集の印刷やテキストの印刷をお願いした。ずいぶんと長い付き合いである。営業をしていたのは、社長の奥さんであった犀川さんであるが、そのまったく飾り気のない明るさが、気に入っていたこともあったのだろう(笑)。大学を退職してからも、こうして関係は続いている。

 去年の初夏に、あざみ野駅側の喫茶店で犀川さんとお会いして、第3号の印刷に関する打ち合わせをした。それも終わって世間話をしていたところ、彼女が娘さんの病についてぽつりと漏らした。なかなかたいへんな状況のようだった。私は励ます言葉も見付からずオロオロしていただけだったが、犀川さんは最後にこう言って笑った。「先生、どうせなるようにしかならないんですから。覚悟は決めてます。ははは」。私などには探しても見付からないような勁(つよ)さであり、心のなかで頭が下がった。

 娘さんの世話や孫の世話で追われることになったためなのか、犀川さんはエスコムの仕事からすっかり手を引き、その後は縁者にあたる草野さんという方が引き継いだ。彼女も私と同世代の人間のようだが、詳しいことは何も知らない。しかし、メールでやりとりしているだけでも自然に人柄は滲み出てくるものである。私の下手な冗談も通じる方のようだった。面倒な注文にも丁寧に応じてもらっており、今回も気に入った冊子が出来上がった。何とも嬉しい限りである。そのうえ、少しだが値引きまでしてくれた(笑)。

 その後、犀川さんを励ましてあげたいと思ってはみたものの、私などは怖くて電話も出来ない有様である。そこで、草野さんを通じて様子を聞いてもらった。しばらくして、その草野さんから次のようなメールが来た。メールにカンナの話が出てくるが、これは昨年の冊子のタイトル『カンナの咲く夏に』を受けている。彼女も読んでくれたのであろう。

 先日通勤途中で、労研サンの近くの菅生ゴルフ場の道端に咲くカンナをみかけました。赤でした。(昨年もあったのかしら?)先生のご自宅のベランダのカンナは今年は如何ですか?先だって○○○○さんから頂いたメールにも(笑)の文字が入っていました。この一文字に救われる気がします。(笑)……いいですね。先生の(笑)にはつい、クスッと誘惑されてしまいますものね。「命は何かに役立つために必要」と言うならば、○○さんもその「必要」にむかって、カンナのように咲き続けていてほしい!そう願わずにはいられません。

 何と心映えの美しい文章であろうか。私の書くものなど足許にも及ばない。いたく心を動かされたので、草野さんの許可を得てここに使わせてもらった。犀川さんの勁(つよ)さといい、草野さんの心映えといい、学ぶべきものはいろいろなところにある。そうしたものを追い求めて、私の「見果てぬ夢」はこれからも続いていくのであろう。

(追 記)
 シリーズ「裸木」の第4号『見果てぬ夢から』を入手ご希望の方は、「敬徳書院」のホームページから申し込んで下さい。お知り合いの方には贈呈させていただきます。