贈られた本を読みながら(五)

 前回のブログでは、高木さんの自伝でもある『戦後革新の墓碑銘』の「墓碑銘」という3文字が気になったというころから書き始めたのだが、墓碑銘をタイトルに入れた本は他にもある。例えば白井聡さんの『「戦後」の墓碑銘』(2015年、金曜日、後に増補版が角川ソフィア文庫として刊行された)である。こちらは気鋭の政治学者の切れ味鋭い評論を集めたなかなか面白い本なので、この機会に読んでみたが、墓碑銘という言葉が気になることはまったくなかった。『永続敗戦論』で名を馳せ世評も高いこの著者が、まだ若いということも勿論あるのだが、それだけの理由ではない。

 高木さんが、戦後革新を支えた「社会党・総評ブロック」の内部に身を置いて、自らの行動の軌跡を赤裸々に描いているのとは大分違っているからである。私からすると、白井さんの安倍政権批判は鋭く的を射ているのだが、その立ち位置は何だか外在的(時には高踏的)なようにも見えなくはない。俗に言うアウトサイダーということなのであろうか。世代も視角も方法も異なっているのだから、両者が違っていて当然なので、そのこと自体について何かを語ろうとは思わないが、「社会党・総評ブロック」に代表される戦後革新が死んだが故に、どうしても政治評論といった外在的な批判にならざるを得ないのではないか、そんなふうにも思われたのである。例えば以下のような叙述がある。

 最後の、そして最大の問題は、「国民(有権者)の劣化」にほかならない。安倍 政権誕生から5年弱のこの間、政権の支持率は高止まりし続けてきた。それこそが、長期政権の根本理由である。 支持される根拠については、さまざまな推論がなされてきた。「他に適任者がいないか ら」「外交成果を挙げているから」「経済が上手くいっているから」といった理由づけである。その一つ一つには具体的に反論することが可能である。しかし、ここまで続いた高い 支持率の根拠はおそらく、こうした具体性の次元にはない。少し考えてみるだけで到底維持し得なくなるはずの「支持理由」が、これまで維持されてきたという事実、そこに事柄 の核心があるのではないのか。

 つまり、安倍政権が支持されてきたのは、「~だから」という具体的な理由づけに基づものではないのだ。具体的理由を全部取り除いたとき、残るのは「政権である」という事実のみであるが、政権支持者たちの日頃の言動から察するに、安倍政権の支持率を支えてきたものの核心は、これである。このメンタリティを「素町人(すちょうにん)根性」と呼んでも「自発的隷従」と呼んでもよい。

 こんなふうに、白井さんは国民の劣化を批判しそして嘆くのである。そう言いたくなる気分は私とて分からなくもないが、そうしたアウトサイダーの立場からの評論だけでは、時代を切り拓く運動の論理はいつまでも形成されないのではあるまいか、そんんふうにも思えなくはない。これに対して、高木さんの『戦後革新の墓碑銘』の方はどうだろうか。この本の面白さは、高木さんという異能かつ異才な存在が、戦後革新の二つの柱であった社会党と総評の組織と運動の真っ只中に身を置きながら、そこで見聞きし感じたことをその裏話まで含めてつぶさに描き出しているところにある。つまり、高木さんは評論家として自伝を書いているのではない。そこが違うのである。

 その面白さは、インサイド・ストーリーであることに由来しているに違いなかろう。インサイドに身を置いた高木さんは、国民のあるいは組合員の劣化を嘆いたりはしていない。戦後革新の軌跡に関心を寄せる私のような年代の年寄りであれば、こうした自伝に大いに興味・関心をそそられるのではあるまいか。そしてまた、戦後革新の「脚本家」としての高木さんの縦横無尽、八面六臂の活躍に瞠目し、あらためて深い敬意を評するに違いない。社青同から始まって社会党本部で働き、その間成田委員長のゴースト・ライターまで務めていたということだから、読者の私も驚いた。

 この本を一読すると、高木さんは、「社会党・総評ブロック」を彩ったさまざまなリーダーたちと接点を持っただけではなく、それに加えて、ブロックに接近し協力者となった多くの研究者と、幅の広い交流を持ってきたことがよく分かる。高木さん自身が優れた研究者であり、そしてまた組織者でもあったからであろう。私も少しは知る大勢の人々が登場するので、何だか戦後革新の人名簿のようでさえある。読んでいて興味深かったのは、高木さんが一貫して敬意を払ってこられた清水慎三さんや、敬意を払ったものの後に離れることになった向坂逸郎さんに関するエピソードである。また大内力さんに関する思い出話も印象深い。次々と知らない話が出てくるので、読んでいて興味は尽きない。

 個人的な興味や関心から言えば、労働戦線の「再編・統一」の裏話をもっと知りたかったような気もする。そこに関しては、さまざまな立場からの多くの著作もあるからなのか、あるいはまた、高木さんご自身が「脚本家」として事態を大きく動かしてきたわけではないからなのか、比較的簡潔な叙述に留められているようにも思われる。だが、総評を解体させたこの動きこそが、戦後革新に引導を渡した正体に違いなかろう。私はと言えば、「連合」の誕生にほとんどど何の興味も関心も抱かなかった。そして今も抱いていない。「企業社会」に包摂された労働組合運動に過ぎないと思ってきたからである。高木さんには、頭でっかちでイデオロギッシュな裁断だと笑われるかもしれないのだが…(笑)。

 さらにないものねだりで勝手なことを書けば、高木さんは共産党や全労連に対してはどんな思いを抱いておられたのだろうか。私のような人間からすると、戦後革新の支流の一つのようにも見えるのである。美濃部選挙の際の共産党の対応に対する批判的なコメントや、国鉄の「分割民営化」における対応については触れてはおられるが、もう少し知りたかったような気もする。もしかしたら、書くべき材料が表に出ることがないという共産党の体質が、問題だと思われているのかもしれない。共産党とも深く関わった研究者の手になる『戦後革新の墓碑銘』のような本も、あれば読んでみたいと思ったりもした。

(追 記)

 今回の投稿は前回から8日ほど経っている。律儀な私にしては、珍しくいつもよりも間が長めである。『戦後革新の墓碑銘』を読んでいるとあれこれと昔のことが想い出され、懐かしさを感じてぼんやりと物思いに耽っていたこともある。それと同時に、長い間の知り合いであるSさんが先日亡くなったこともあって、なかなかブログに向かう気分になれなかったのである。連れ合いの方は、「これからは一人で生きていかなければなりませんね」と寂しそうに言われた。そう言えば、中学以来の友人も去年の2月に亡くなった。もうすぐ3月弥生だが、まだ春は浅い。