緑陰に遊ぶ

 前回、前々回と柄にもなく硬めの話が続いたので、今回からはまたいつものくだけた調子で低空飛行の文章を綴ってみたい。年金者組合の4月のウオーキングは、22日に実施された。朝は曇り空で少し肌寒い感じさえしたが、この時期であれば、何処に出掛けようとも緑、緑、緑のはずなので、カメラを片手に勇んで家を出た。待ち合わせ場所は長津田駅南口のバス停であった。いつもは14~5人の集まりだが、今回の参加者は25名とのことであった。私と同じように、みんな外に出て歩いてみたくなったのであろう。

 ウオーキングのテーマは「岩川源流と東名謎の橋」となっており、長津田を流れる岩川の源流部を訪ね、東名跨道橋(こどうきょう)の謎に挑むとのことであった。道路をまたぐ橋は跨道橋であるが、鉄道の線路をまたぐ橋の場合は跨線橋というらしい。なかなか趣のある表現ではないか。我々一行は、まずは長津田駅からバスで高尾山に向かった。高尾原のバス停で降り、しばらく歩くと小高い丘となり、その先に高尾山の飯縄(いづな)神社があった。小ぶりで素朴な神社である。

 この神社が創建された年代は不明なようだが、八王子の高尾山薬王院の飯縄大権現を勧請(かんじょう)し創建されたと言われている。勧請とは、神仏の分身・分霊を他の地に移して祀ることをいう。江戸初期にはこの近辺が高尾原と呼ばれていたことからすると、起源はそれ以前になるはずである。高尾山の名称も、八王子の高尾山に因んだものなのであろう。高尾山などと言うと小高い山を思い浮かべるかもしれないが、ここは山と言うよりも丘である。しかしながら、横浜市緑区内で100メートルの高さを誇る最高峰(笑)であり、山の東側は東京工業大学すずかけ台キャンパスの敷地になっており、やけに近代的な校舎が2棟聳え建っていた。

 西側の眺望は素晴らしいようで、冬場なら丹沢山系やその先の富士山までもがくっきりと見えるとのこと。今回は花曇りの天気だったので、高尾山からの眺望を愉しむことはできなかった。丹沢山系の山並みがうっすらと見えるだけであったが、野に咲いた廻りの花々が目を楽しませてくれた。現在ここは、長津田十景のひとつ「高尾暮雪」に指定されていつとのこと。長津田十景といい「高尾暮雪」といい、その表現が何とも優雅である。

 長津田地区は歴史的な遺産に富んだところだと言われているようだが、案内人のSさんによれば、大山街道の宿場町として栄えた歴史があるからだろうとのこと。自然が多く残されており、景勝地として見るべきものが多いので、「長津田十景」が選定されたようである。誰がどのようにして選定したのかは知らない。長津田十景の「十景」は、中国の湖南省の瀟湘(しょうしょう)八景がモデルとなった名称だということである。地元愛がそんなものを生み出したのであろうか。そう言えば、知り合いの石井さんの俳号が暮雪だったことを、歩きながら突然思い出した。

 その後畑の中を通り抜けて、跨道橋の道正橋に向かった。立派な橋が架かっていたが、車止めがあって人しか渡れず、渡り終えると階段になり雑木林が続くので、人が通った形跡もあるかないかといった寂しい場所だった。夜に一人ではとても通れない。Sさんは何故こんな所に橋が架かっているのか不思議だと語っていたが、同感である。雑木林を抜けると広々とした農業専用地域が広がっており、実に気持ちが良い。肥沃な土なのだろうか、土の色までもが実に美しい。小松菜の畑も鮮やか過ぎるほどの緑である。

 農家の庭先には花が咲き、四囲は緑一色。小川も流れており、まさに田舎の風景そのものである。ここが同じ横浜だとはとても思えない(笑)。区名が緑区となっているのも宜なるかなである。緑を堪能しながらのんびりと散策を続け、帰りは雑木林を抜けて玄海田橋に出た。ここを渡れば、玄海田公園の側にある大きな商業施設に辿り着く。橋を境にして、戸惑うばかりの大きな落差である。こんなふうにして、この日の散策は終わった。

 その翌日、団地の知り合いから野外での飲み会に誘われ、木漏れ日の林の中で飲み食いした。いつもはKさんの家で飲み会をしているのだが、せっかくのこの季節なので、外でやろうということになったのである。「芝刈り」に出掛けたというUさんは不参加だったが、いつもの5人が集まった。それにしても、世情に疎い私は「芝刈り」がゴルフのことだとは知らなかった。周りは緑一色に染めあげられており、実に気分が良い。今緑一色と書いたが、よく見れば実にさまざまな緑であり、黄緑から深緑までのグラデーションが、目に鮮やかである。団地の新聞である『ポポラーレ』に因んで言えば、緑に囲まれたポポラ(=広場)である。

 緑蔭のもとで語らう五賢人のようではあるが(笑)、話の中身はたわいもない雑談である。みんな年を取ったので、それでいいのであろう。木々の緑を愛で、新鮮な空気を吸い、旨いビールを飲む。団地の中で仲良くなった人たちとこんな時間を過ごすのは、至福の時ではないか。わざわざ遠くまで出掛ける必要などない。いつぞや鎌倉に出掛けた折に、ある寺に「寶所在近」と書かれた額が掲げられていたが、まさに宝は近くにある。緑蔭に遊んだ一時であった。

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/04/28