早春の台湾感傷紀行(一)-初めての台湾へ-

 専修大学の人文科学研究所が主催した総合研究調査は、先月の2月23日から今月の3月1日にかけて実施された。「台湾東部研修」と銘打たれたこの調査旅行に、気分転換も兼ねて私も参加させてもらった。私の日頃の生活世界は実に狭く、しかも久方ぶりに出掛ける海外旅行とあって、文字通りのお上りさん状態であった。浮ついているつもりはないのだが、お上りさんには失敗はつきものである。同行したFさんに言わせると、「トラベルにトラブルはつきもの」であるとのことだが、けだし名言ではないか。
 調査旅行の6日目にわれわれは恒春に足を延ばし、恒春古城を眺めてきた。南北に細長い台湾の最南端にある町が恒春(こうしゅん、ハンチュン)である。かつて台湾や中国の町は城壁に囲まれていたとのことだが、ほとんどの所では、近代化の過程で城壁は取り壊されて道路などになり、城門も部分的にしか残っていないようだ。だが、恒春では再開発が小規模だったこともあったのか、清朝末期の1879年に完成したという城壁や4つの城門が、比較的良好な状態で残されている。「恒春古城」などと美しい名で呼ばれるのもそのためである。私も昔の町の姿などを想像しながら気儘に散策するつもりでいた。
 ところで、台湾最南端の小都市恒春が台湾で一躍知られるようになったきっかけは、2008年に公開された映画『海角(かいかく)七号 君想う、国境の南』の大ヒットだったようだ。監督は魏徳聖(ぎ・とくせい、ウェイ・ダーション)である。この映画は、戦前台湾に赴任していた日本人教師と台湾人の女生徒との悲恋の物語を下敷きにして、ミュージシャンになる夢に破れた台湾人男性と日本人女性との現代の恋愛物語をオーバーラップさせた筋立てとなっており、恒春を舞台に撮影されている。懐かしさを感じさせる町並み、古びた城壁や城門、 柔らかな色彩の 建物などが、映画のストーリー展開とうまくマッチしたこともあって、台湾の人々は大いにノスタルジーをかき立てられたのであろう。映画の主人公阿嘉(あか)の家も残されているらしい。
 現在もこの映画が撮られた街角を探しに訪れる人が絶えないようなのだが、言ってみれば、私たちもまあ同じようなものであったかもしれない。聖地扱いするつもりはなかったが、私も「恒春古城」に興味を抱いていた。西門の周辺では城壁の上を歩くこともできるということで、登ってみたのだが、トラブルが生じたのはその時である。古い石積の階段を上って最上段まで来た時に足を踏み外し、地面に額と肘を打ち付けて擦り剥いてしまった。昨年五島列島に出掛けた時も教会の階段で足を踏み外し、その時は後ろに一回転してしまったが、それに続いて二度目の騒動である。しばらくして、「毛がないのに怪我ありとはこれ如何に」といった自虐の笑いも浮かんだが、そんな気になれたのは酷い怪我ではなかったからであろう。不幸中の幸いとでも言うべきか。
 余りのみっともなさに情けなく恥ずかしかったが、その際に周りの方々が消毒したガーゼやバンドエイドや水を差し出してくれたので、ほんとうに有り難かった。こうなると、病後のために体力が低下したからではなく、老後のために転びやすくなっていることがよくわかった。すっかり年寄りになったこともあって、身体のバランスを崩すと直ぐに転倒に繋がるということなのだろう。そのために、「恒春古城」が醸し出すノスタルジーをこの機会にのんびりと味わおうなどといった目論見は、すっかり雲散霧消してしまい、写真を撮る余裕すらもなくしてしまった。こうして私の恒春は城壁での転倒という忘れられない記憶として脳裏に焼き付けられただけに終わったので、ノスタルジーは帰国してから先の映画を再見して味わい直すことにした。
 これが転倒による失敗であるが、失敗と言えばもう一つ写真を巡る失敗もあった。今回の台湾行では写真の撮影も愉しみの一つであった。風景写真に強く心引かれるようになったのはここ3年ほどのことなので、台湾に出掛けて感傷旅行に相応しい写真を撮ってみたかった。先々でいつも以上にたくさんの写真を撮ったのはそのためである。移動中は写真撮影のためにあちこち勝手に動き回ることはいささかためらわれたので(それにしては好き勝手にやっていたような気もするが…)、写真を集中して撮ったのは、ホテルでの朝食後から出発までの時間である。観光バスの運転手の労働時間規制のために出発はゆっくりだったから、その間ホテルの近辺の路地裏などを彷徨いた。
 今回の台湾行は天候に恵まれたとは言えなかったが、私は晴天の景勝地などよりも曇天の路地裏などに強く惹かれていたから、それほど気にはならなかった。日本で気持ちの塞ぐ出来事に心を痛めていたので、言ってみれば心中が曇天のようなものだったからであろう。このブログのタイトルを、たんなる台湾紀行ではなくあえて台湾感傷紀行としたのもそのためである。多くの写真を撮ると、1枚のSDカードでは保存しきれない心配もあったので、毎日ホテルに戻ってからその日に撮った写真を眺め、気に入らないものを削除した。私は写真を記録として撮っているわけではないので、どうしてもそうしたくなる。帰国してからもたくさんの写真を削除し、ようやく60~70枚に絞り込んだ。だがそれでもA3にプリントして部屋に飾りたくなったのは、そのうちの数枚に過ぎない。
 そうした話はともかく、失敗したのは、台湾に到着して2日目の夜のことである。台湾全土でもよく知られているという宜蘭(イーラン)の羅東(ルオトン)観光夜市に出掛け、同行したNさんとTさんのお二人の写真まで撮ったのだが、それを含めて前日とこの日に撮影した写真を誤ってすべて削除してしまったのである。カメラには削除方式が二通りあって、一つは一枚一枚確認しつつ削除するものであり、もう一つは同じ日付のものをすべて一括して削除するものである。当然ながら一枚一枚確認しつつ削除していたのだが、選択を誤って一括して削除してしまった。こちらも何とも情けない話ではないか。
 台湾に来て早々は何もかもが珍しくて何枚も撮ったが、夜改めて確認してみるといい写真はごく僅かである。どんどん削除しているうちに、うっかり操作を間違ったというわけである。身体のみならず脳まで耄碌(もうろく)してきたということであろうか。削除してしまったのが2日目だったからまだよかったが、これが最後の日だったりしたら、目も当てられないところだった。こちらもまた不幸中の幸いだったのかもしれない。宜蘭は農業が中心の町なので美しい田園風景が目に留まり何枚か撮ったが、削除してしまったなかにいい写真があったような気がして、何とも残念な思いであった。こうして羅東観光夜市の写真も宜蘭の田園風景の写真も、ともに闇に消えてしまったのである。
 旅の最後に、今回の調査旅行の企画者であるHさんがこんなことを語っていた。引率者としての彼の率直な感想だったのであろう。一つは、皆さん足腰が弱くなって歩く速度が遅くなってきたこと、もう一つは、皆さんトイレが近くなってきたこと、そして最後に、大学という業界の構成員は団体行動が苦手な人が多いということであった。私などはこのすべてが当てはまり、自らを省みて内心忸怩たる思いであった。足腰やトイレは年寄りになった所為でもあろうからやむを得ないが、団体行動ぐらいはHさんの指示にもっと従うべきであったろう。自由人でありたいと思っているからそうなると言えなくもないが、私の場合などは、すっかり年寄りになって我が儘になってしまった所為である。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2024/04/05

台湾・宜蘭にて(1)

 

台湾・宜蘭にて(2)

 

台湾・宜蘭にて(3)