新春の五島・島原紀行(一)-福江まで-

 専修大学の人文科学研究所の調査旅行の一行に加えてもらって、五島列島と島原半島を巡ってきたのは、年明け早々の1月4日~7日のことである。今日は5月3日だから、あれからもう5ヶ月近くが経とうとしている。我ながら驚くほどの時間の流れの速さである。調査旅行に出掛けた際には、毎回旅日記のような雑文を綴ってきたので、今回もまたそうしようと思ってはいた。しかしながら、その後いろいろとやらなければならないことが生まれて、なかなか書き出せないでいた。

 書かないでいると旅の印象が薄くなり、そうなるとさらに書き出しにくくなってしまう。まさに悪循環である。一時は書くことを諦めかけたが、それではまずかろうと思い直した。雑文を綴るための資料も集めていたし、僅かながらだが義務感もあったからである。こうした状況をいつまでも放置しておくわけにはいかないので、思い切って一歩踏み出してみることにした。格好を付けようとするから書きにくいので、雑文や軽文(勝手な造語である)に徹することにした。

 私はこれまで人文科学研究所の調査旅行に一度しか顔を出したことがない。優柔不断な所為なのか、いつも踏ん切りが付かなかったためである。とりわけ年明け早々に実施される調査旅行の場合がそうであった。何となく気ぜわしく感ぜられたからであろう。しかし今回は違った。かなり前から出掛けるつもりだったからである。昨年前立腺のガンが見つかったので、2ヶ月に渡って放射線治療を受けてきた。それも11月末には終了したので、あとは普段の生活に戻ったわけだが、老いに加えて結構長い間の闘病暮らしのために、何となく自分の肉体と精神に自信が持てなくなってしまった。

 そんなわけで、気分転換と言うよりも自信を回復するために、今回の調査旅行に参加させてもらうことにしていたのである。一抹の不安がなかったわけではないのだが…。調査旅行に出掛けようとすれば、あれこれの準備が必要だし、少しは事前に関連した本も読もうとする。そんなことが年寄りの心身をかなりの程度刺激するのである。出掛けた先は、五島列島と島原半島であり、ともに初めての場所である。以下旅程に沿って話を進めてみる。初日1月4日の待ち合わせ場所となったのは、長崎市内にある長崎港ターミナルビルである。羽田空港で一緒になったHさんの案内でこのビルに向かった。五島列島の福江島に向かうには、ここからジェットホイルに乗る。

 五島列島も島原半島も長崎県に属している。島原については後に触れるので、まずは五島列島の地誌について簡単に紹介しておく。長崎は県内に1,000近い島々を抱えており、島の数は全国でもっとも多い県なのだが、そのうちの東シナ海に浮かぶ140近くの島々が五島列島である。九州本土の西に位置する五島列島は、北東側から中通(なかどおり)島、若松島、奈留(なる)島、久賀(ひさか)島、福江島の5つの大きな島およびその周辺の小さな島々からなる。もともとは連山だったものが海に沈んで高い部分だけが残り、それが島となったとのこと。こうして、複雑なリアス式海岸線を持つ美しい景観ができあがったようだ。

 この五島列島は、北東から南西に長く伸びているため、列島全体を大きく二つに分けて、五島最大の福江島を中心とする南西の島々を下五島(しもごとう、五島市)、2番目に大きな中通島を中心とする北東部を上五島(かみごとう、新上五島町)と呼ぶこともある。江戸時代に福江藩の中心であった福江島には、下五島の呼び名はあまり使われないとのことだが、上五島は中通島以上によく使われる呼び名だという。

 ジェットホイルが向かったのは、五島観光の玄関口となる福江港である。遣唐使は昔この福江島からも唐に旅立ったのだという。今生の別れを覚悟した旅だったに違いない。われわれの船旅はたいへん快適で、1時間半ほどで夕暮れが迫りつつある福江港に着いた。少しばかり寂しさを感じる港に降りたって、遠くまで来たことをあらめて実感した。こんな感覚を旅情とか旅愁と言うのであろう。

 羽田から長崎に向かう機内に薄い冊子が置いてあったので、見るともなく眺めていたら、そこに五島列島の記事があった。五島は「釣りの聖地」だということである(島は、どこも釣りの聖地と呼ばれるようだが-笑)。その所以は、さまざまな魚がじつによく釣れるからだという。列島の周りは、暖流と寒流がぶつかり合っているために、豊かな漁場となっているようだ。漁業関係者によると、魚自慢は種類の多さだけではなく、身が締まった旨い魚ばかりだからだとのこと。

 初日に泊まったのは、港の近くにあるつばきホテルというところだったが、先の冊子にはこのホテルの1階にあるレストランが紹介してあり、ここでは五島の食材を活かしたイタリアンが食べられるとあった。われわれもここで夕食をとったのだが、確かに旨い。参与となったFさんやMさんとテーブルを囲み、ワインを傾けながら食事をした。福江にまで辿り着いて、少しばかり自信が回復してきたようにも感じられた。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/05/04

長崎から福江へ(1)

 

長崎から福江へ(2)

 

長崎から福江へ(3)