神宮外苑の銀杏並木を歩く(上)-神宮外苑というところ-

 このブログの読者の方は、私が年金者組合のウオーキングに出掛けるたびに、印象記のようなものを書いていることをご存知であろう。昨年の10月には立川市にある国営昭和記念公園に出掛けてきたが、その後もいつものように11月、12月と開催されている。私などは記憶の経年劣化が早いので、記憶が薄れないうちに印象記を書こうと心掛けてはいるのだが、この間「晩夏の両毛紀行」にたっぷりと時間を取られていたために、書く機会を逸していた。先日自宅に届けられた年金者組合の新聞を見ていたら、その都筑版には2月のウオーキングの企画が掲載されていた。年が明けたばかりだと思っていたら、もうそんな季節なのである。

 そこで、ここらあたりで思いきってウオーキングの話を纏めて書いておくことにした。あれこれと書きたいことがあるので、4回ほど続ける予定である。ウオーキングの企画は、年明けの1月にもあったのだが、これは私が五島列島と島原に出掛けていた時期と重なってしまったので、参加できなかった。毎年恒例の新春の寺社巡りだったようだ。年明けの気分を味わうことができる格好の企画なので、できたら参加したいところだった。その替わりと言っては何だが、2日には近くの正覚寺に顔を出した。正覚(しょうがく)とは、仏教用語で悟りを意味するらしいが、煩悩にまみれた人間が正月に身を清めるには、相応しいところであろう。

 さて、昨年11月のウオーキングであるが、今回は神宮外苑の銀杏並木を見に出掛けた。当日は秋晴れの好天に恵まれ、いつもの格好では少し汗ばむほどだった。地球温暖化の影響かと思ったりもした。銀杏並木は、地下鉄の青山一丁目の駅からすぐのところにあった。その素晴らしさを耳にすることはあったが、目にするのは今回が初めてである。黄色に色づき始めた銀杏並木はなかなか壮観で、確かに見応えがある。黄色だけではなく、緑や黄緑の銀杏もあり、並木道に鮮やかな彩りを添えていた。

 私は銀杏の大木も好きだが、並木もなかなか美しいものである。それはいいのだが、晴れ渡った週末の土曜日とあって、想像以上に大勢の人出があり、ゆっくりと景観を味わう気分になれない。横断歩道では、警備の警察官が立ち止まらないように呼びかけていた。道路の真ん中に立って、左右の銀杏並木を入れたいい写真を撮りたいと考える人が結構いるからであろう。見物客が大勢いるこうしたところで写真を撮ってみても、まあ通俗的なものしか撮れないだろうと思い、銀杏並木の写真を撮るのはほどほどにすることにした。

 銀杏並木の側に立てられた説明板には、次のようなことが書かれていた。「四並列の銀杏の大木が作り出した、世界に誇り得る銀杏並木の景観。 これを通し、正面に白亜の絵画館を望む人工自然美の素晴らしさ。 若葉・青葉・黄葉・裸木と四季折々の美しさ。長年にわたる管理、手入れの良さが見事な樹形を作り出しております。この、明治神宮外苑は大正15年(1926)10月22日の創建でありますが、その苑地造成に当り、青山通り正面からの直線主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することになりました。これは、銀杏樹が、樹姿端正・樹高よろしく・緑量も豊富・気品高く・公害にも強く、威厳を保ちつつ年間を通しての来園者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として最適なものとの考えによるものです」。

 これだけ立派な銀杏並木なので、自慢したくもなろうというものだが、ちょっと気恥ずかしくなるような褒めっぷりである。こう書いたからと言って別に他意はない。その背景には、神宮外苑が出来上がった由来などもきっと関係しているのであろう。その由来を記した大正15年建立の碑もあった。碑文はやたらに難しくて、私のような人間にはとても歯が立たない。そんなことを心配したのであろうか、碑文の大要を読みやすく示した説明板も立てられていた。それを紹介してみる。

 明治45年(1912)7月30日に、明治天皇(第122代の天皇・今の天皇の高祖父)、大正3年(1914)4月11日には、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)がお亡くなりになりました。これを伝え聞いた国民の間から、御二方の御神霊をお祀りして、 御遺徳を永遠に追慕し、敬仰申し上げたいという機運が高まり、その真心が実って、大正9年(1920)11月1日、代々木の地に、明治神宮の御創建となったのであります。

 明治の時代は、日本の歴史を通じて、政治・経済・文化・スポーツ等の各方面において、驚くべき躍進を遂げ、近代国家としての基盤が確立されましたが、その原動力となられた天皇の偉大な御事蹟と御聖徳の数々を、永く後世に伝えたいものと、明治神宮外苑の造営が進められることになりました。これがため、明治神宮奉賛会が設けられ、天皇が御在世中、しばしば陸軍観兵式を行わせられ、又、御葬儀がとり 行われた旧青山練兵場の現在地に、皇室の御下賜金(ごかしきん)をはじめとして、ひろく全国民の献金と、真心のこもつた労働奉仕により、10余年の年月をかけて、大正15年(1926)10月に、明治神宮外苑は完成しました。

 ここがそんなに立派なところだったことを初めて知った。あまりに立派すぎて、いささか胡散臭い感じがしないでもない(笑)。明治天皇の「偉大な御事蹟と御聖徳」などに何の興味も関心もない私のようなへそ曲がりの人間には、どうでもいい場所だということか。そう言えば、初詣に大勢の参拝客が押し寄せる明治神宮も、結構胡散臭い場所である。先の掲示板には、「崇高森厳の気漲(みなぎ)る内苑」などと書かれているが、そこは明治天皇と皇后を祭神とした神社なのである。

 二人はいつの間にやら神として奉られているのであるが、馬鹿馬鹿しいにも程があろう。似たような神社に、乃木希典を祭神とした乃木神社や東郷平八郎を祭神とした東郷神社などがあるが(軍神となった広瀬武夫中佐を奉った広瀬神社などもある)、私はこうした類いの神社が殊の外嫌いである。昭和天皇などは生きているうちから神になり、現人神(あらひとがみ)となっていたが、敗戦後の1946年にようやく正気に戻ったようだ。

 せっかくだから、昭和天皇の「人間宣言」のポイントとなるところを紹介しておこう。俗に「人間宣言」などと言われているが、「人間」という言葉は何処にもない。「朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」。現御神(アキツミカミ)とは現人神のことである。正気に戻ったと思ったら、今度は平和主義者に変身した。いやはやである(笑)。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/02/03

外苑の樹々(1)

 

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