横浜市長選挙騒動記(二)

 前回の話の続きである。こちらが勝手に「お楽しみ」などと書いているのが、いささか不謹慎ではある(笑)。まともな勝因分析や敗因分析など、やろうとしてもできないので、気付いた雑感を書き散らしているに過ぎない。どうかお間違えのないように願いたい。話を戻せば、林前市長には勿論のこと、自公の市会議員諸氏にも、多くの市民が反対しているカジノ誘致を、自分あるいは自分たちだけで決定しようとしていることに対して、自らの進退を賭すほどの「覚悟」などまるで見えなかった。「IRとはカジノのことです」とか「私はカジノの誘致に賛成です」と公言するような人物など、どこにも見あたらなかったからである。

 本心を隠しながらこっそりと事を進めようとしていたのであり、そこに浮かび上がってきたものこそ、「二枚舌」の見苦しさに他ならない。市長も市会議員も市民の「代表」だと称するからには、争点となっている政策に関して自らの立場を表明する必要があるはずだが、それがなくては「先生」と呼ばれるような「代表」の資格もない。私などは、「先生」ではなく「センセ」の間違いじゃないかと思ったくらいである(笑)。それにしても、職業でもないのによく自分を「先生」などと呼ばせておくものである。

 その「覚悟」のなさは、林前市長が「やる」と言えば「やる」になびき、小此木八郎候補が「やめる」と言えば「やめる」にほぼ全員がなびくといった、みっともないほどの右往左往ぶりに顕著に表れた。あまりにも無節操で無定見な自公の市会議員諸氏であった。政治家としての信念や矜持など探しても何処にも見あたらない。そもそもそんなものが、はたして彼らにあったのかどうかさえ大いに疑問である。こうした「先生」方に、何時までも市会議員をやっていただく必要もなかろう(笑)。

 カジノ抜きのIRを考えてはどうかとの意見に対して、それはできないと即答したところを見ると、IRの厚化粧をごてごてと施していたとしても、所詮はカジノだということだったのだろう。林前市長は市の広報誌まで使ってバラ色のIR構想を喧伝し、カジノ隠しに躍起となっていたが、悪あがきにも程があると言うべきではなかったか。カジノは隠さなければならないような恥部だったのであり、他の上品な人ならいざ知らず、私のように品性下劣な俗人は、隠されるとついつい覗いてみたくなるのである(笑)。

 また彼女は、IRの誘致は「国家的なプロジェクト」であり、横浜の将来展望を切り開く大事な施策だなどと夢物語を語っていたが、そう語れば語るほど、それほど大事なものを選挙公約に掲げることもせず、任期途中で突如決定することなど、とてもとても許されるものではない。彼女は「おもてなし」の市長として知られていたので、その基本の基である他者に対する想像力ぐらいはわきまえているかと思ったが、まったく違った。わきまえていたのは、地元の経済界に対する「おもてなし」だけであった。

 だが、彼女の言う手前勝手な「おもてなし」などを、多くの市民は求めていなかったのである。また、「国家的なプロジェクト」となどといった大仰な物言いには、菅義偉の影がちらついていたようにも見受けられた。しかしそれにしても、カジノの誘致が「国家的なプロジェクト」だとは、わが日本も落ちるところまで落ちたものである。「貧すれば鈍する」とはこうしたことを指すのであろう。

 ここでついでに触れておけば、彼女の言う「おもてなし」とは、まさに裏ばかりあって「表なし」であった(笑)。言い得て妙である。晩節を汚すとはこうしたことを言うのであろう。にもかかわらず、市の広報誌に登場してIRを持ち上げていた岸博幸のようなお調子者で目立ちたがり屋の学者もいた。「理屈と膏薬はどこにもくっつく」という諺があるが、それを地で行くような文章だった。彼は慶應大学大学院の教授で、菅義偉の推薦もあったのか内閣官房参与も務めている。「俺様」病や「どうだ」病の患者の一人に違いなかろう。

 IRの誘致が議会で可決されれば、反対運動は時間が経つうちに弱まり鎮まるだろうし、広報活動を強めればIRに対する市民の理解も得られるだろうなどと、林前市長も自公の市会議員も高を括っていたようである(もしかしたら、「変節」を非難された市長は、内心ビクビクしていたのかもしれないが…)。そしてまた、IRが市の財政難を救うかのようなことも強調されるようになったが、他方では日本最大級のオペラハウスを作るといった無駄金使いの構想もぶち上げられたままだったので、何をか言わんやであった。

 その後の事態は、市長の思惑をはるかに越えて進んだ。カジノ誘致の是非は住民投票で決めるべきだとの、ごくごく真っ当な、そして誰しもが賛同できる主張を掲げた運動が、展開されたからである。「勝手に決めるな」が市民の側の合い言葉となった。こうして、署名運動が横浜市の全域で空前の規模で展開され、その結果、住民投票条例の請求に必要な法定数を遙かに越えて、20万筆近くにも及ぶ署名が集まった。

 リコール運動をやるべきだと主張された方々もおられたようだが、法定数のハードルもかなり高く、運動の狭さも抱えたリコール請求ではなかったことが幸いした、と言うべきだろう。私もまた、老骨に鞭打って何度も署名集めに駅前に足を運んだ。まあ本当のところは、閑を持て余して退屈していたこともあったし、どんどん集まる署名運動が結構面白かったからでもある。正しい運動も悪くはないが、面白い運動の方がもっといい。正しくて面白ければ最高である(笑)。

 私もそうだったが、市民の多くは林前市長に裏切られたと思ったようである。彼女は、もう少し温厚で落ち着きのある保守の人のように見えていたから、無茶はしないだろうと考えていたのである。しかしながらまったく違った。先に触れたように多くの署名が集まったにも拘わらず、彼女は「いま住民投票をやる意義が分からない」などといった詭弁を弄して、この署名をあっという間に葬り去ってしまったのである。ここに第二の大きなボタンの掛け違いがあった。引き返すチャンスだったはずだが、その機会は失われてしまったのである。

 この時から、林前市長はカジノ誘致のためには住民自治をも無視する、そんな強権的な存在として浮かび上がってきた。市民の願いがまったく見えなくなっていたのであろう。火に油を注ぐとはこんなことだと言えばいいのか。苦労して汗水垂らして集めた20万筆近くの署名を足蹴にされて、黙って引き下がるような温和しい子羊(実態は私のような老羊が多かったようだがー笑)ばかりではない。馬鹿にするなとの思いがさらに強くなった。こうなると、あとは間近に迫った市長選挙で決着を付けるしかない。市長選挙がカジノ誘致問題に決着を付ける天王山であるとの「覚悟」が、市民の側に広がっていった。

 地元紙である『神奈川新聞』の調査でも、市長がカジノ誘致を表明しても、議会がそれを承認しても、住民投票条例の請求を議会が棄却しても、カジノの誘致に反対する市民は依然として6~7割あり、いっこうに減る気配はなかった。カジノの誘致に嫌悪感を示す人は、いわゆる保守の人も含めて大勢いたということであろう。儲かりさえすれば(それすら怪しくなりかけてはいたが…)何をやってもかまわないなどというのは、ごく常識的に考えれば、真っ当な保守の思想などではない。公営のギャンブル以外の賭博行為を禁じてきた伝統は、やはり尊重されなければならないし、カジノなどは横浜には似合わない、そんな落ち着きを求める気持や地元横浜への愛着が、底流に存在していたのであろう。

 そうしたなか、コロナウィルスの感染が神奈川にもあっという間に広がってきた。その結果、市民の関心は急速にコロナ対策へと向かい始めた。命が危機にさらされ始めたのであるから、当然である。神奈川県にも「緊急事態宣言」が何度か出される事態となった。そうなると、これほどたたいへんな時に、カジノの誘致などを進めている場合ではないははずだ、との不満も強まってきた。市民に「不要不急」の外出控えるように呼び掛けているのなら、カジノのような「不要不急」の政策の推進など直ちに中止して、コロナ対策に全力を集中すべきであったろう。