横浜市長選挙騒動記(三)

 しかしながら、林前市長は深刻なコロナ禍にも拘わらず、カジノの誘致を一時凍結するといった決断すらできなかった。考えも及ばなかったに違いない。「粛々と誘致の準備を進めていく」などと、市民の気持ちを逆なでするようなことを相変わらず語っていたからである。彼女は、何故いつまでも頑なにそうした姿勢を取り続けていたのであろうか。それが私にはよく分からなかった。これは勝手な推測に過ぎないが、もしかすると、彼女がカジノ誘致に固執しその罠から抜け出られなかったのは、「影の横浜市長」とまで噂されていた菅義偉の意向を忖度し、すっかりその傀儡(かいらい)となり果てていたからなのではあるまいか。

 そう考えると、何だか妙に辻褄が合う。彼の意向に逆らうことが余程怖かったのかもしれない。カジノの誘致を見直してもらいたいと、地元の市会議員に陳情に出向いたことがあったが、その際に自民党のある議員は、「菅さんは怖い人ですよ」などと真顔で語っていた。金玉が縮み上がるような経験でもしたのであろうか(笑)。私などは胸の内で苦笑してしまったが、横浜の市長や市会議員にとって、その睨みは相当なものだったようである。

 上に立つ人間の中身が薄っぺらであればあるほど、下には思いの他に権力を誇示し行使したくなるのであろう(笑)。そして、保身を考える人間は、そんな人物に迎合するのであろう。市長も酷かったが、自民党の市会議員はそれに輪を掛けた。ボス猿が右を向けば右、左を向けば左だったから、見苦しいほどの醜態を曝したと言っても言い過ぎではなかろう。

 説明責任を自覚することも、内容のある説明どころかまともな説明さえする力もない人物が、代議士にまでなれたことも考え合わせると、横浜で繰り広げられた騒動は、まるで「田舎」の猿芝居ようなものである。「田舎」の出である私などが言えた義理ではないが…(笑)。仲間内でならともかく、睨みだけで総理大臣が務まるなどと勘違いしたのが、あっという間の退陣に繋がる誤りの元だった。これぞまさしく悲喜劇である。

 「変節」や「自治破壊」に加えて、「傀儡」などといった何ともみっともない悪評までもが加わって、林前市長の評判はがた落ちとなった。彼女が自分で蒔いた種なので、それもやむを得ない。自業自得である。そして、市民運動の側の合い言葉は、「カジノよりコロナ対策」へと変わっていった。これまたごくごく当たり前の、そしてまた市民の共感を呼ぶスローガンだったのではなかろうか。市民運動の側から発せられる言葉のセンスが少しばかり光っていた。今であれば、「総裁交代よりも政権交代」といったところか(笑)。

 山中竹春候補をコロナ問題の専門家として売り込んだことが、功を奏したといったような訳知りの論評が多かったが、私に言わせれば、深刻なコロナ禍の最中にも拘わらず、カジノの誘致に前のめりのままであったこと自体に、敗因はあったのではなかったか。「負けに不思議の負けなし」とはよく言われる格言だが、林候補は勿論のこと小此木候補も負けるべくして負けたように見える。いずれにしても、ここまで悪評が重なってくると、林前市長では市長選挙には勝てないと横浜の自民党は踏んだのであろう。彼女を降ろして、別な候補を立てて乗り切ろうと考えたようだ。

 しかしながら、次の候補はなかなか見付からなかった。それも当然だったろう。何故かと言えば、これまでの経緯からすれば、誰が候補者となってもカジノの誘致を進めると言わざるを得ず、そうなると、勝てるかどうかが怪しくなっていたからである。あえて火中の栗を拾うような「覚悟」を持った「立派」な人物など、どこにもいなかったのである。「先生」も落選すれば唯の人になる厳しい世界だから、躊躇するのが当たり前なのかもしれない。

 そんなふうに考えると、現職の大臣でもあった小此木候補は、立場上やむを得ず責任を取ろうとしたようにも見える。しかしながら、その責任のとり方が何とも異様であった。菅義偉の地元となる横浜の市長選挙で負けるわけにはいかないという判断からなのか、突如カジノの誘致を取り止めると宣言して立候補したからである。市民の運動に追い込まれてそうせざるを得なかったのであろうが、また逆から見れば、そう言いさえすれば勝てるのではないかとも考えたのであろう。だが、これが第三のボタンの掛け違いであった。

 林前市長にすべての責任を負わせて、小此木候補は、自己批判は無論のこと、何らの説明をすることもなく中止を表明したのであるが、そのこと自体が市民の不信を招くことになった。その何とも怪しげな立ち居振る舞いを見た多くの市民は、このような人物を信用できないと思ったことだろう。説明しないという点では、横浜の自民党は(あるいは今の自民党全体が)菅義偉譲りなのである(笑)。そもそも小此木候補は自民党の県連会長であり、彼自身が語るように、林前市長にカジノの誘致を表明させた張本人の一人でもあったのだから、信用されなくて当然であったろう。

 ここにきて菅義偉は、彼の傀儡とも評された林前市長を切り捨てて、小此木候補の支援に廻ったのであるが、彼の支持表明もまた、多くの票を蹴散らしたのではあるまいか。コロナ対応であまりにも不人気な総理大臣が前面に出てきたことも、第三のボタンの掛け違いに輪をかけた。小此木候補は、カジノの中止を表明したのだから、カジノ誘致問題はもはや市長選挙の争点とはならず、あとは自公勢力で選挙に勝てるはずだと思ったのであろうが、その予想は大きく外れた。

 ネット上にはそんな薄っぺらな予想も結構あったが、この間の経緯を無視したあまりにも単純な論評だったと言えよう。ネットの世界での論評などこの程度のものなのかと、あらためて思った次第である。そんなわけだから、私などはネット情報をほとんど信用する気になれない(笑)。昔知人が、「意味のある情報はお金を払って手に入れるものであり、ただで手に入るものは情報ではなく広告だ」と語っていたが、まさにその通りであろう。それはともかく、小此木候補には菅義偉の不人気振りがとんでもなく大きなものであったことが、分からなかったに違いない。もしかしたら、内心では余計なことをしてくれるなとでも思っていたのか。

 また別な予想屋もいた。有力候補のほとんどがカジノの誘致に反対の態度を表明したので、カジノ反対票が分散してしまい、その結果林前市長が有利になるといった見立てである。これも大外れだった。当初私は、傀儡と噂されてまでも自民党に忠節を尽くしてきた彼女が、土壇場でちゃぶ台返しをされるというあまりにも理不尽な振る舞いに会い、ついに立ち上がって、最初で最後の反逆を試みたのかもしれないなどと思ったこともあったが、こんなストーリー展開は映画の世界にしかないのだろう(笑)。当の本人は、意地も勿論あっただろうが、地元の経済界の支援を当て込めば、「もしかしたら」ぐらいは考えていたのかもしれない。こちらはこちらで、自らの不人気振りをすっかり忘れていた可能性もある。

 カジノに反対を表明すれば、一匹狼でも勝てるのではないかと思い違いして、市長選挙に立候補した「著名人」もいた。自分のネームバリューに余程自信があったのであろう。たとえば、「なんとなく」立候補したかのように見えた作家で元長野県知事の田中康夫候補。2016年の参議院選挙では、カジノの推進役を買って出ている維新の会の公認で、東京選挙区から立候補し落選している。作家ということだが、私が知っているのは『なんとなく、クリスタル』と『東京ぺろぐり日記』だけである。メディアでは、『東京ぺろぐり日記』に触れるような人など、誰もいなかったようだが…(笑)。

 彼の書くものや語り口に目を奪われて、古賀茂明のように田中候補が有利だなどと予想するような評論家も現れた。結構いい加減な予想である。田中候補から、この間の市民の長い戦いに共感を寄せるような発言はついぞ聞かれなかったし、市民とともに市政を変えようとするような姿勢なども見受けられなかった。一匹狼の一匹狼たる由縁であろう。古賀茂明も、そのぐらいのことは思い返すべきだったのではあるまいか。「著名人」あるいは「著名人」を持ち上げる評論家の駄目なところは、「魚の目」で世の中の流れを読んだり、「鳥の目」で全体を俯瞰して解釈することにばかりたけて、地面を這いつくばっている「虫の目」を何時も忘れていることだろう(笑)。人は見たいと思っているものだけを見ているものなのである。