二つの調査旅行から戻って
先月の末に、社会科学研究所の調査旅行で和歌山と奈良に出掛け、今月の半ばには、人文科学研究所の調査旅行で南信州に出掛けてきた。その中身についてはおいおいブログに何時ものような旅日記を書いてみるつもりである。少しはまとまりのあるものに仕上げるためには、この間収集した関連の著作や資料などに目を通さなければならないので、もうしばらく時間がかかりそうである。もう焦る必要もないので、愉しみながら取り組むつもりである。
社会科学研究所の調査旅行には、当初参加を予定されていた方が二人欠席された。健康上の理由のためである。80歳が間近に迫ってきた私なども、いつまでも調査旅行に参加できるわけではなかろう。旅に出掛ける前は勿論のこと旅先でも、体調を崩さないように気を付けなければなるまい。今回の二つの調査旅行では、取り立てて不安を覚えることもなく無事に帰還することができた。しかしながら失敗はあった。社研の調査旅行では、朝の集合時刻を間違えて皆に心配を掛けてしまったし、人文研の調査旅行では、カードキーを差し込んだままドアを閉めてしまい、ホテルのフロントにお世話になった。
旅先で気を付けたことがいくつかある。まずは食べ過ぎたり飲み過ぎないように心したことである。旅先の食事は朝昼晩ともに珍しいもの、旨いものがテーブルに並ぶので、貧乏性の私などはついついあれもこれもと食べ過ぎてしまう。夜はアルコールが入るので、こちらも飲み過ぎないように気を付けた。年を取って酒が弱くなったとは言え、愉しい酒席の場ではどうしても酒がすすむ。自宅では基本的に飲まないので、外に出るとはしゃぎすぎるのかもしれない。
もっとも注意したのは転倒である。人文研の調査旅行では二度も経験済みである。二度あることは三度あるとも言うので、ゆっくりと歩き極力無理はしないことにした。ところどころでカットした行程もあった。私はいつも旅の荷物を最低限のものしか持たないことにしているが、これは旅慣れているからそうしているわけではなく、足腰への負担をできるだけ小さくしたいがためである。かさばるお土産に手を出さないようにしているのも、同じである。
社研の調査旅行では、最終日に一人となって奈良から京都に向かい、そこで新幹線の切符を購入して帰ってきた。人文研の調査旅行では、最終日は夕方茅野で解散となったので、帰りの指定席特急券を購入して帰ってきた。もう何処でもそうなのであろうが、切符は券売機と対面してボタン操作で購入しなければならない。家でパソコンを前にして予約している分には落ち着いてできるのだが、券売機を前にするとどうもまごつく。京都駅では近くにいた駅員の方にお世話になった。年寄りが困惑していたので、優しく対応してくれたのであろう。
二つの調査旅行にはそれぞれ目的があったが、私がそれとは別に期待していたのは、春を探すことであり、それを写真に収めることであった。社研の調査旅行では、初日新幹線に乗って平野部を南西に向かって新大阪まで走ったから、俳句の季語である「山笑う」と言ってもいい景色が車窓から随所に見えた。真白き富士の嶺が、真っ青な空にすっくと聳えていた。その対照が余りにも鮮やかであった。独立峰であり裾野が広大なので、その美しさが際立つのであろう。
人文研の調査旅行では、中央線の特急列車に乗って山間部に入っていったので、「山笑う」とまではいかず「山微笑む」ぐらいであった。甲府を過ぎたあたりから山々の残雪が見え始め、それがどんどんと広がっていく。残雪なのだから、これも季語である「山眠る」とは言えないだろうが、笑ってはいない。車窓から見える山々の残雪が何とも美しい。茅野の辺りは、3月でも朝晩は氷点下となる世界のようだ。空気が澄んでいるから、山々がより美しく見えるのであろうか。
二つの調査旅行では実にたくさんの写真を撮った。電池切れに備えて予備の電池を2個も持参したが、今回はそれが役に立った。帰宅してから、撮った写真を眺め回して比較的よく撮れたと思えたものを選び出し、LINEで家族や知り合いに送ってみた。こんなことがごく簡単にできるのは、何ともありがたいことである。知人のMさんは、お礼とともにまさに「早春賦」の世界だと言ってきた。そうかもしれない。
中田章(なかだ・あきら)作曲、吉丸一昌(よしまる・かずまさ)作詞のこの曲は、1913年に発表された。よく知られた唱歌でありかつ名歌である。この二人はとも40代で亡くなっている。歌の題名の如くなんとも早い死である。モデルとなったのは長野県の安曇野の風景のようであり、現地には歌碑も建てられているとのこと。文語体の歌詞が素晴らしく、何とも郷愁を誘う。私はあちこちの南信州の景色を眺めながら、田舎の福島を想い出していた。二番の歌詞にある「あやにく」とは、期待に反してという意味である。
早春賦
春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず
氷融け去り 葦は角(つの)ぐむ さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを 聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か
そう言えば、上の小僧はこの4月から大学生となり、実家を離れて北海道で一人暮らしを始める。人生の春を迎えるということか。虚子の句に、「春風や闘志いだきて丘に立つ」がある。わかりやすい句である。私も高校を卒業して一人上京するとき、田舎の吾妻連峰を見上げて闘志を抱いた記憶がある。北海道はまだまだ寒い。小僧はいったいどんな闘志を抱いていることだろうか。

