大晦日の書斎の窓から

 前回の投稿からたいして日にちも経っていないので、次の投稿は年が明けてからでもいいかと思っていたが、やはり今年最後の思いを簡単にでも記しておくことにした。「仕事納め」のようなことをしておかないと、どうにも居心地が悪いのである。今年もほぼ毎週のようにブログに投稿し続けてきた。いったい誰が読むのかと思うような文章しか綴ることはできないが、しかしこんなことをやり続けているのは、好きだからなのだろう。そんな訳なので、難行苦行で書いているというわけではない。しかしながら、だから駄目なのだとも言えるのかもしれない(笑)。

 ブログというのは個人の日記風のホームページということのようだから、昨年の今頃どんなことを書いていたのかも、調べればすぐに分かる。一昨年の6月から今年の5月までは団地の管理組合の理事長だったので、何とも気持ちにゆとりのない日々が続いた。しかしながら、その役目も終わって「自由」の身となった。もっとも、役目が終わっても余波がまったくなかったというわけではないが、私の興味や関心は最早そんなところにはない。

 理事長の任を終えるまでは、過去に書いたものを活用してブログに投稿することも多かったが、最近はそうしたものから離れて、日々の暮らしの中から題材を求めて書くことが多くなってきた。ようやくブログらしいブログになってきたということか(笑)。秋には旅に出たり、展覧会に出掛けたりしたので、それをもとにブログに投稿した。また雑誌に「名画紹介」欄の連載原稿を頼まれたので、これも活用した。

 そんな日々だけであったなら、如何にものんびりした閑居の身を楽しんでいるようにも見えるだろう。だが、現実はそうもいかない。地元横浜にカジノを誘致すると、林市長が8月末に突然表明したからである。これまで「白紙」、「白紙」と言い繕ってきた彼女がである。こういう人物は、「恥知らず」とか「二枚舌」とか「卑怯者」と言われても仕方あるまい。これを機に、反対運動が一気に盛り上がることになった。地域でも「カジノ誘致の是非を決める都筑区民の会」が発足し、住民投票を求める運動に取り組むことになった。

 私はと言えば、これまでの繋がりから地域に出来た会の代表の一人となった。腐れ縁とでも言ったらいいのか。まあただの飾りのようなものである(笑)。師走に入って、カジノ誘致問題を少しゆとりを持って眺めることが出来るようになったので、この機会に「横浜カジノ川柳50選」なるものを好き勝手に詠んでみた。その心はと言えば、権力者に対して真っ正面から論戦を挑むのが大事だし基本だとは思っているが、時には彼らを言葉でからかい、皮肉り、おちょくり、笑い飛ばすことも面白いのではないかというところにある。

 林市長は、よく知られているように、経営あるいは営業のカリスマとして持ち上げられ、「おもてなし」を売りにしてきたので、そんな彼女をからかいたくなったのである。自分でも案外良く出来たのではなかろうかと自画自賛しているのは、以下のようなものである。名句とも言うべき10句を存分に堪能いただければ幸いである(笑)。

 おもてなし 市長は誰を おもてなし
 晩節も 忘れてはしゃぐ 市長かな
 おもてなし 裏ばかりあり 「表」なし
 貧すれば 鈍する地でゆく カジノかな
 成長を カジノに頼る 依存症
 過労死と 非正規カジノ 日本死ぬ
 ラスベガス いつの間にやら 姉妹都市
 説明会 必要なのは 討論会
 カジノには 怪しい人金 たむろする
 優しげで 新しい振りして 古くさい 

 こんな年寄りの戯言のような文章を読まされて、些か閉口している向きもあるだろう。シリーズものの「裸木」という冊子を刊行している割には、何とも生臭い所業のような気もする(笑)。そんな気分を変えようと思って暮れに片付けものをしていたら、1970年に「プレオー8の夜明け」で芥川賞を受賞した小山高麗雄さんの、『人生、しょせん運不運』(草思社、2004年)という本に目がとまった。この本は、彼が81歳の時に書かれており、その後すぐに亡くなっているので、まあ彼の遺書のようなものである。タイトルは飄々としているが、中身はそれとは裏腹に驚くようなことが書いてある。

 その驚くような中身については別の機会に触れることにするが、この本には次のような文章もある。「老人に対して、老後のよき生き方だの、老いてもイキイキと生きる生き方だの、そういうことを言ったり書いたりする方がいらっしゃいます。頼んでもいないのに指導したがる質(たち)の人。あの思い上がりとお節介には閉口します。老人には、もうイキイキと生きる気持などない人もいる。いいじゃないか、イキイキでなくたって。クヨクヨだって、メソメソだって」。私ももうしばらくすれば、こうした老境に入るはずである。今日は大晦日、書斎の窓から見えるのは、午後の陽光の中で僅かにざわめいている裸木ばかりである。