早春の上州紀行(七)ー碓氷峠にてー

 最終日の午前中に碓氷製糸を見学したわれわれ一行は、昼に峠の釜飯を食べた後、横川駅のすぐ隣りに併設された「碓氷峠鉄道文化むら」に向かった。この施設は、横川駅のある安中市によって1999年に建てられたものである。先にも触れたように、信越線は1997年に群馬県の横川と長野県の軽井沢の間が廃線となった。ところで、この横川と軽井沢の間に鉄道が敷設されたのは随分昔の話で、1891年に着工して93年に完成している。近代化を急ぐ明治政府は、1889年に全線開通した東海道線に加えて、日本の東西を繋ぐもう一本の路線として、中山道を通る鉄道を計画したのだという。

 しかしながら、横川と軽井沢の間には標高956メートルにも達する碓氷峠が横たわっており、この勾配のきつい峠を越えるためには特別な方式の鉄道を敷設する必要があった。そのために採用されたのがアブト式鉄道である。このアブト式鉄道とは、スイス人のロマン・アブトという人物が発明した山岳鉄道のことである。蒸気機関車は平坦な地を走るには適しているのだが、急な坂を上り下りするのは苦手なのだという。そこでアブトは、機関車の動輪の内側に歯車をつけ、線路の真ん中に敷設された山形の歯を付けたレールと噛み合わせて、急勾配の地でも上れるようにしたのである。鉄道文化むらに入るとすぐに、この山形の歯が付いたレールを見ることができる。

 このアブト式鉄道に加えて、碓氷峠には数多くのトンネルや橋梁も建設された。26箇所のトンネルと18箇所のアーチ橋である。山や谷が多い難所だったからであろう。長野県民にはよく知られた県歌「信濃の国」にも、「穿つ隧道二十六 夢にもこゆる汽車の道」とある(この県歌は、先に触れた「上毛かるた」にも似ており、そこには「しかのみならず桑とりて 蚕(こ)飼いの業(わざ)の打ちひらけ」といった歌詞もある)。そのなかでもっとも有名なのは、「めがね橋」と呼ばれている碓氷第三橋梁なのではあるまいか。四連からなるレンガ造りのアーチ型をした堂々たる橋である。関連する著作や写真集には必ずと言っていいほど登場する橋なので、目にした方も多いはずである。私としてはこの橋も是非ともこの目で見たかったのだが、スケジュールの関係で今回は叶わなかった。

 ところで、今ここまで紹介してきたような話は、ものの本にはよく紹介されているような事柄であり、書いている私も何を今更という気がしなくもない。私は鉄道マニアではないので、鉄道文化むらに展示されていた機関車の重量感溢れる勇姿を見ても、特段の感慨を催すことはなかったが、ファンであれば大いに感激するに違いない。私はと言えば、子供っぽい意匠が散見されたこの施設よりも、終着駅となった横川駅の方に興味が沸いた。川の源流と河口が気になるように、鉄道の始発駅と終着駅が気になっていたからである。

 始発駅は何処も大きな駅舎なので、ほとんど何も感ずることはないが、終着駅となるとそうはいかない。鉄路の終わりは、旅路の果てのようにも思われるからであろう。その駅に最終列車が着けば、そこはもはや歌謡曲の世界である(笑)。周りはフェンスで囲われていたので、中までは入れなかったが、早春の季節の中で眺めた鉄路の終わりは、人影もまばらで物音さえしない静かな場所だった。売店を覗いて石井尚顕の『碓氷峠』(光村印刷、1997年)と題した写真集を購入した。四季の風景の中に捉えられた信越線の列車の写真集だが、今は峠の鉄路が廃線となったが故に、そこには懐かしさが溢れていた。

 ところで、アブト式の鉄道でようやく超えた碓氷峠であるが、この峠は、群馬県と長野県の県境にあって、信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺なのだという。峠の長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へと流れていく。話のついでになるが、碓氷峠の碓氷という表記が気になった。何故「氷」なのかが不思議だったからである。調べてみたら、碓氷峠は万葉集にも登場しており、由来はかなり古い。これまでさまざまに表記されてきたようだが、近世以降は碓氷で統一されたとのこと。「氷」は「ひ」と読むが、それが「い」に転じたのであろうか。そう言えば、初日に立ち寄った「こんにゃくパーク」は甘楽(かんら)町にあるが、この甘楽なども珍しい表記だからきっと由来があるに違いなかろう。

 ついでのついでになるが、万葉集に登場する歌は次の二首。詠んでいるのはともに上毛野国の人間だが、その歌碑は軽井沢にあるようだ。歌番号3402の相聞歌「日の暮れに 碓氷(うすひ)の山を 越ゆる日は 夫(せ)なのが袖も さやに振らしつ 」(碓氷峠を越える日は、夫が袖をはっきりと振ってくれた)。もう一つは歌番号4407の防人歌「ひなくもり 碓氷(うすひ)の坂を 越えしだに 妹(いも)が恋しく 忘らえぬかも 」(ひなぐもり碓氷の坂を越えるときに、妻が恋しくて忘れられない)である。ともに情感溢れる歌である。峠というものが、別れをより切なくさせているのであろう。峠の近くに佇んだ私も、上州の空と雲と山を眺めているうちに、いささか感傷的な気分になった。

 ここが今回の調査旅行の最後の訪問地なので、見学が終われば後は高崎に戻り帰路に就くだけである。この碓氷峠の鉄道施設は「近代化遺産」や「産業遺産」や「鉄道遺産」として著名であり、そうした類のさまざまな著作には、写真付きで必ずと言っていいほど登場している。そうしてみると、今回の調査旅行では、「世界遺産」に登録された富岡製糸場を訪ね、桐生で「日本遺産」に出逢い、碓氷峠の鉄道文化村では「近代化遺産」を眺めたことになる。

 「世界遺産」として登録された富岡製糸場に関しては、後にあれこれと触れるつもりではあるが、遺産ということで言えば、近頃は世の中どうも遺産ばやりのようなのである。最近では、岸田内閣が、佐渡の金山の「世界遺産」への登録をユネスコに申請したことが、マスコミでも大きく取り上げられていた。金山では、戦時中に朝鮮人の強制労働が行われていたことが分かっており、その事実をも含めての申請でなければならないはずであった。だが一部には、「日本の名誉と誇り」を守る「歴史戦」だなどと称して、強制労働の事実を全否定するかのような暴論や愚論も横行しているようである。そうした勝手な歴史解釈が世界に通用するはずもない。

 2015年の長崎の軍艦島(を含む「明治日本の産業革命遺産」)の「世界遺産」への登録の際も、日本の徴用政策や朝鮮人の強制労働の事実を理解できるようにして、「犠牲者を記憶にとどめる措置」をとらなければならないはずだったが、日本政府はこれまで何も実行していない。そのため、2021年のユネスコ世界遺産委員会から遺憾の意を表されてさえいるのである。こうした状態では、日本に佐渡金山の「世界遺産」への登録を申請する資格など、ありようはずもないのだが…。

 それはともかくとして、遺産ばやりだなどと書いたのは、「世界遺産」とともに「近代化遺産」や「産業遺産」、「産業革命遺産」、「鉄道遺産」、「土木遺産」、「文化遺産」、「戦争遺産(遺蹟)」、「宗教遺産」そして「日本遺産」などが、しばらく前から相次いで登場してきており、何とも紛らわしい状況が生まれているからである。最近知ったのだが、「都市遺産」や「建築遺産」や「歴史遺産」といった言葉もあるようだ。

 他の人はいざ知らず、私などはさまざまな遺産の定義をほとんど理解することもなく、著作で紹介されるままにその名を使ってきている。きちんと定義もしないで、多くの遺産を紹介している方も変だと言えば変なのだが、遺産と名付けられさえすれば、「凄いもの」、「大事なもの」、「立派なもの」としてついつい有り難がるような、こちら側のおっちょこちょいな心性も、もしかしたら大いに問題なのではあるまいか(笑)。

 他者の評価をむやみに有り難がるのは、自分自身に自信が持てないからなのであろう。いわゆるブランド志向などにも似たような雰囲気を感ずる。そう言えば、わが国には「日本百○○」とか「△△十選」とか「三大××」といったランキングや、「●●コンテスト」なども、実に数多くある。著名なのは深田久弥の「日本百名山」だが、遺産ばやりの背景を突き詰めていくと、比較して評価したり序列付けなければ落ち着かない、日本社会の病弊にまで辿り着くような気がしないでもない。大事なことは、世の中を見る自分の眼を鍛えあげることであろう。これは、何時も我が身に言い聞かせている座右の銘でもあるのだが…。