早春の上州紀行(八)ー遺産あれこれー

 

 日頃狷介な生き方をしている私は、遺産と聞いただけで有り難がったりはしないが、さまざまな遺産の定義とその異同の概略ぐらいは知りたいと思う。誰が、いつから、どのような内容の遺産を、どのように評価して、誰に相続しようとしているのか、それが問題だからである。そんなわけで、暇に任せて関連の著作を探して何冊か購入してみた。遺産がタイトルに入った著作や写真集は文字通り山なすようにあるので、どれを購入すればいいのか選択に迷うほどである。

 迷った末に手にした著作だが、そのほとんどは遺産に関する総論などはほどほどにして、すぐに各地に点在する遺産の紹介に入っている。伊藤孝の『日本の近代化遺産』(岩波新書、2000年)にしてもそうである。他に手にしたのは、増田彰久『近代化遺産を歩く』(中公新書、2001年)、増田彰久・清水慶一『ニッポン近代化遺産の旅』(朝日新聞社、2002年)、北河大次郎・後藤治『日本の近代化遺産』(河出書房新社、2007年)、二村悟『ニッポン産業遺産の旅』(平凡社、2015年)、「旅人鉄道」編集部『鉄道遺産をめぐる』(山と渓谷社、2020年)などである。そのなかでは、増田彰久(写真)・清水慶一(文)の『ニッポン近代化遺産の旅』だけが、写真も文もともに見応え読み応えがあり、気に入ったのではあるが…。

 だが、多くの著作は似たような内容で、私が期待していた肝腎のものが見当たらない。どうも遺産を巡る旅が本のセールスポイントとされており、何となくガイドブックのような趣が漂っているのである。「百聞は一見に如かず」も間違ってはいない。私もまた今回の調査旅行に同伴させてもらって一見した結果、あれこれ考えることになったのだから、見ることにも確かに意味はある。しかしながらそれと同時に、「百見は一読に如かず」ということだってあるかもしれない。ふとそんな思いも抱いた。

 相変わらずの無駄話はともかくとして、今回の調査旅行は遺産を巡る旅だったような気もするので、自分自身の頭の整理のためにも、さまざまな遺産の様相を知り得た範囲で紹介しておきたい。まずは世界遺産(World Heritage)である。1972年のユネスコ総会で、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)が採択されたのであるが、その条約にもとづいて、世界遺産リストに登録された文化財、景観、自然などの人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を有するものを、世界遺産と呼んでいる。移動が不可能な不動産が対象となっている。

 慣習的な呼び方として、世界遺産の中の文化遺産を世界文化遺産、自然遺産を世界自然遺産と呼んでいるとのことである。現在日本には25件の世界遺産が登録されており、そのうち20件が世界文化遺産、5件が世界自然遺産である。ここで大事なことは、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を有するものが世界遺産なのだということだろう。人を呼び込むための観光資源などでないのは勿論のこと、国威を発揚するための道具などでもない。世界遺産の登録数を誇ったりするような姿勢などは、論外と言うべきであろうか(笑)。

 次に「近代化遺産」である。今回の調査旅行では、「近代化遺産を通して学ぶ社会変化」がテーマとして掲げられていたのだから、我々にとってはもっとも重要な遺産だということになる。近代化遺産とは、明治以降の日本の近代化を支えた総体を、広く文化遺産として捉えようとする概念であり、製鉄所、造船所、製糸場などの工場設備や、機械、鉱山、橋、ダム、トンネル、発電所、鉄道などの建造物、さらには河川施設や港湾施設などを指している。先のような遺産は、これまでは文化財の保護制度の対象となりにくかったようだが、それらを文化遺産として評価しようとする動きが強まっていくなかで、「近代化遺産」というカテゴリーが生まれたということである。

 文化庁の支援によって、1990年から「近代化遺産」の調査が始められるのだが、この調査は特に優れた「近代化遺産」を重要文化財に指定し、保護することを目的としたものであった。そうした動きを踏まえて、93年には重要文化財のなかの建造物の種別として「近代化遺産」が新設されたのだという。先に触れた碓氷峠の鉄道施設と秋田県の藤倉水源地の水道施設が、該当する重要文化財として初めて「近代化遺産」の指定を受けたとのことである。その後、96年には文化財保護法が改正されて、従来の指定文化財の制度に加えて保護の対象を広げた登録文化財の制度が導入され、保護が本格化したのだという。

 それでは「産業遺産」はどうか。「産業遺産」という用語は英語の Industrial Heritage を翻訳したもので、イギリスで成立した産業考古学の研究対象の明確化のために用いられるようになったとのことである。日本では、明治以降の産業遺産のなかでも優れたものは、上述したように、文化庁によって「近代化遺産」として重要文化財の指定を受けているので、「産業遺産」と「近代化遺産」は重なり合ってもいる。しかしながら、経済産業省は文化庁の「近代化遺産」とは別に「近代化産業遺産」を認定している。この辺りがいささか(いや、かなりか)紛らわしい。

 経済産業省によれば、明治から戦前にかけての工場跡や炭鉱跡等の建造物、画期的製造品、製造品の製造に用いられた機器や教育マニュアル等は、日本の近代化に貢献した産業遺産としての価値を持っている。しかしこれらの産業遺産は、よほどのもの以外はその価値が理解されにくく、一昔前のものとして廃棄されてしまうことも多いという。そこで同省は、産業遺産を地域活性化のために有効に活用するという視点から、2007年に産業遺産活用委員会を設置して各地に現存している産業遺産の公募に乗り出すのである。同委員会は、各地の産業遺産の実態と保全の状況を調査したうえで、現在575件の遺産を「近代化産業遺産」として認定している。かなりの数である。こうした試みで地域が活性化するものかどうか、いささかの疑問が生ずるのではあるが…。

 地域の活性化と言えば、文化庁までもがそうしたところに関心を示している。 地域の歴史的魅力や特色を通じてわが国の文化や伝統を語るストーリーを「日本遺産」(Japan Heritage)として認定し、そのストーリーを語るうえで欠かせない文化財群を活用する取り組みについても支援しているからである。同庁によれば、文化財や伝統文化を通じて地域の活性化を図るためには、その歴史的経緯や、地域の風土に根ざした伝承や 風習などを踏まえることが必要だからだという。

 世界遺産への登録や文化財としての指定は, いずれもその価値を評価して保護することを目的としている。しかしながら、「日本遺産」としての指定は、そうしたことを目的としたものではなく、 地域に点在する遺産を「面」として活用し発信することで、地域の活性化を図ることを目的としている点に違いがあるのだという。地域の活性化ということで、地元の誉れや輝かしい歴史を称揚するだけであっては、先の「近代化産業遺産」と同様に、これを遺産と呼ぶべきかどうか異論のあるところであろう。

 富岡製糸場は、「世界遺産」でもあり、「近代化遺産」でもあり、「近代化産業遺産」でもある。そしてまた「日本遺産」にも含まれている。碓氷峠の鉄道施設は、「近代化遺産」でもあり、「近代化産業遺産」でもあり、そしてまた当然ながら「鉄道遺産」でもある。では、この場合の「鉄道遺産」とは一体何だろうか。日本の近代化に寄与した鉄道は文化財としての価値を有しており、これを鉄道遺産と称しているわけだが、こうした呼称はあくまでも俗称であろう。

 わざわざ「鉄道遺産」などと称しているのは、「近代化遺産」や「近代化産業遺産」に認定されていないものまで含めて、分野別に区分しようとしているからなのであろうか。どこかに遺産ブームにあやかろうとの匂いも感じなくはないのだが…。「土木遺産」や「都市遺産」や「宗教遺産」などといったものも、似たような用法なのではあるまいか。こうして日本は、いつの間にか遺産だらけの国になってしまった。未来が見えないが故に、過去を振り返っているような気がしないでもない(笑)。

 戦後の日本が成長最優先の土木国家となり、旧き佳きものを壊し続けてきたことは誰しもが認めるところだろう。だが、そうした有り様に深い反省を加えることもなく、今度は一転して遺産ブームである。この振幅の大きさが、日本を文化国家として成熟するのを妨げている元凶なのかもしれない。テレビでは「なんでも鑑定団」という番組が人気のようだが、過去の栄光にすがろうとしている点で、遺産ブームもどこか骨董ブームに似ている、そんな気もするのである(笑)。遺産ブームを意味あるものとするためには、成長から成熟へと向かう時代の変化のなかに、過去をあらためて位置付け直さなければなるまい。