新春の鴨居・寺社巡りから

 前回年金者組合のウオーキングの話を書いたので、その続きのような感じで投稿してみたい。年をとってくると物忘れがひどくなり、時間が経つとどんどん忘れてしまい、書くに書けなくなるからである(笑)。この1月にも年金者組合のウオーキングがあった。松の内も明けようという7日である。

 去年の新春の寺社巡りでは、横浜線の中山駅近辺にある寺社を巡ったが、今回は同じ横浜線の鴨居駅の近辺である。受け取ったチラシには、「新春鴨居・東本郷寺社巡り」とあった。鴨居駅は中山駅の隣駅であるが、私はこの駅で降りたこともないし、町の名称である鴨居も東本郷もまったく知らなかった。

 鴨居駅で集合となったが、この駅は乗り継ぎはあるが、自宅からも直ぐに行ける距離である。今回のような新春の寺社巡りは会員の人気も高いようで、いつも以上の人が参加した。正月に寺社を巡り、あれこれのことを祈願したり、心新たにしたいといった思いがよぎるからであろうか。初詣の代わりのような感じもあるのかもしれない。

 この日は、日差しは明るいのだが、寒波が近付いているとのことで時折冷たい風が吹き付けた。出がけに家人に携帯のカイロを張ってもらったが、これが役に立った。鴨居駅に集合した際に、主催者の方が「鴨居駅は何時できたと思いますか」と問いかけた。私は横浜線が開通した時に出来たのだろうと思っただけだったが、しかしそれさえも何時のことだかまったく分からなかった。

 鴨居駅が出来たのは1962年だから、大分新しい。横浜線は横浜市の東神奈川駅と八王子市の八王子駅を結んでおり、開通したのは1908年とのことだから、鴨居駅はその時から50年以上経って出来たことになる。案内人の塩野さんから受け取ったチラシには、次のようなことが書かれていた。

 鴨居駅は、地元住民がお金を出しあって開業した「請願駅」です。南口に、「鴨居駅設置記念碑 昭和37年12月25日」が建っています。裏面に「鴨居駅は当時住民の切なる熱望により金壱億円の地元民寄附金を以て国鉄ここに設置す」とあります。

 塩野さんは、駅舎を出た直ぐのところで、「これがその記念碑です」と教えてくれた。碑の裏面には文字が刻まれていたが、直ぐ後に建った建築物に阻まれて全文を読むことは出来なかった。さまざまなところに知らない歴史が刻まれているものである。しかしながら、最早碑文を読む人などもう誰もいないのだろうし、この碑のあることさえ忘れられているかもしれない。

 その後まず岩岡家の長屋門を見に出掛けた。ここには今も子孫の方がお住まいなので、外から眺めるだけだったが、案内板を読むとなかなか歴史的な由緒のある門だったらしい。幕末の頃、品川の大崎にあった大名屋敷の門を解体し、船で江戸湾を通り鶴見川を上って小机まで運び、小机からここまでは陸路で運んだのだという。

 その後、杉山神社と鴨居天満宮に向かった。杉山神社と言う名称の神社は、鶴見川の水系を中心に川崎市や町田市、稲城市などに44社もあるという。私もそのうちの4つほどは知っている。鴨居天満宮の方は、明治の中頃にこの地の有力者が太宰府天満宮を詣で分霊してもらって建立したのだという。

 杉山神社には、日露戦役従軍記念碑とともに、アジア・太平洋戦争の犠牲者31名の氏名が刻まれた慰霊碑があった。そこには女性の名前も刻まれていた。従軍看護婦だったという。当時の鴨居は100戸足らずの集落だったようだから、こうしたところからも随分多くの犠牲者が出たのである。慰霊碑には、「国家の不幸人生の悲劇戦争より大なるはなし 殊に近代戦争は一朝にして千年の歴史を葬り一瞬にして数百万の人命を奪う 真に慄然たるものあり」とあった。読む人をして粛然とさせる言葉である。

 途中、墓地は広いがお寺は小ぶりな本柳寺を眺めて、林光寺に着いた。広い敷地の中に、山門や客殿などが並ぶ、なかなか立派なお寺である。辿り着くには急な坂を上らねばならず、年寄りには難所である(笑)。ここは高野山真言宗の寺院で、関東88箇所の第66番霊場でもある。

 林光寺で興味深かったのは、参道の途中にあった奇利吹(きりふき)の滝である。この滝は緑区遺産にも選ばれている。塩野さんの解説によると、出羽三山の山岳信仰の人たち(出羽三山講)が、この滝に打たれて修行したといわれており、また、三山参りに行く際には、代表者がこの滝に打たれ行の無事を祈願したともいわれているとのことだった。

 今見ると、宅地造成の影響で水も流れなくなったちっぽけな滝のようであるが、そんな歴史的由緒を聞いていると滝を見る眼が変わるのを感じた。この寺には、シダレザクラやソメイヨシ/や藤の花が植えられおり、とくに桜の季飾は素晴らしいとのことである。境内からの眺めも申し分ない。あらためて坊主でも連れて出直したくなるような寺だった。

 最後に辿り着いたのが東観寺である。林光寺のような立派なお寺ではないが、静かで落ち着きのある手入れの行き届いたお寺であった。ここには横浜市の有形文化財に指定されている「俗体男女並座像浮彫墓標」がある。墓標に俗体像を彫刻する例は珍しいとのことであった。

 しかし私はそれほど関心が湧かず、坂になった墓地の上まで一人で上ってみた。相変わらず日差しは明るいが風は冷たい。近くにあった送電線の鉄塔からは、風の音がゴーゴーと響いてきた。叫んでいるような、怒っているような、あるいはまた哭いているような風の音である。上空は、恐らく良寛が書いた「天上大風」のような状況なのだろう。墓地に建てられた大きな観音像の先には、歴史的な由緒を無くしてしまった明るい眺めが広がっているだけだった。

散策日記

前の記事

近隣の緑道を通って
芸術探訪

次の記事

「星月夜」のこと