新春の五島・島原紀行(八)-五島の女の話-

 「居付」となった五島の人々とその子孫の厳しい暮らしの一端については、先に触れたところであるが、そう書いたからといって彼ら・彼女らの暮らしの厳しさが直ぐには実感されないだろう。私だとて同じであり、よく分かったなどと簡単に言うつもりもない。このブログを書いているうちに、たまたま興味深い著作を手にしたので、それを取り上げてもっとリアルな五島の暮らしに迫ってみることにした。その著作とは、今井美沙子の『めだかの列島』(筑摩書房、1977年)である。

 彼女は五島市福江出身のノンフィクション作家であり、現在は五島市のふるさと大使も務めているとのこと。私が彼女のことを知ったのは、昔中野章子との共著で出版された『男たちの天地』(樹花舎、1997年)という本を読んだからなのだが、彼女が五島の出身者であると知ったのは、つい最近のことである。『めだかの列島』が出版されたのは今から50年近くも前のことであり、そこで取り上げられている話は、彼女がまだ小さい頃に母親から聞かされた話なので、今から80年近くも前の五島ことになろうか。本書の冒頭には、以下のような母親の独白の形を取った詩が載っている。いま詩と書いたが、詩と言うよりもこれはもう叫びであろう。圧倒される。

かあちゃんがなあ                                                                           筆ば持てとるじゃったら                                                                        五島のおなごどんの苦労ば                                                                       洗いざらい書くとに・・・                                                                        本土から離れた貧乏な島じゃけんど                                                                   こん島んおなごどんがおったけん                                                                    今んおなごどんが楽ばしてゆけるとぞ                                                                  自分の身ば売ってでん                                                                         こんまか弟や妹ば守ったおなごどんがおったけん                                                             今ん五島があるとよ                                                                          こん五島ん海にはなあ                                                                         びっしゃりの(たくさんの)人間どんの                                                                 辛か悲しか涙がしみちょると                                                                      みんなみんな                                                                             船ん上から                                                                              五島灘ん波しぶきば見て                                                                        涙ばはらはら流したと                                                                         麦でんよかけん食いたかーッ                                                                      イモでんよかけん食いたかーッ                                                                     おらんでん(叫んでも)おらんでん                                                                   よか衆ん人間どんにゃ届かんじゃった・・・                                                                しょんなかたい                                                                            食べんば死ぬとじゃもん                                                                        食べるために                                                                             たった食べるために                                                                          びっしゃりの人間どんが                                                                        こん五島ん海ば越えて行った                                                                      美沙子よ 美沙子                                                                           あがが大きゅうなったら                                                                        こん五島んおなごどんの涙ば                                                                      こん五島んおなごどんの無念さば                                                                    書いてくれろ!                                                                            書いてくれろ!                                                                            かあちゃんはそれまで                                                                         どげんことがあってん                                                                         生きちょるけん                                                                             生きちょるけん

 あまりにも赤裸々な五島の女の無念である。彼女は『めだかの列島』を書いて、母親から「書いてくれろ」と頼まれた約束を果たすのである。両親は、カトリックの信者だったので、「貧しいことを、不平不満をもらさず、それをありのままに受け入れる姿勢は、この世は短い、その短い間を、神さまの御心のままに過ごせ、必ず、来世の幸福が待っているというカトリックの教え」を信じており、この「来世の幸福が、今を、生きる、一つの大きな励まし」となっていたとのことである。それにしてもである。「来世の幸福」を信ずるだけでは五島の女の無念は消えない。「よか衆」に対する恨みも噴出している。

「美沙子、世の中っちいうもんは、うんにゃ、世の中っちいうよりか、よか衆っちいうもんは、勝手なもんたい・・・」                             「よか衆っち何のこと?」私が尋ねると、                                                               「よかっちいうのはなぁ、天皇陛下や皇族や政治家や、会社ば持っとる人や、土地や家ばようけ持っとる人どんのことたい」                          「なんで勝手じゃろうか?」また、尋ねると、                                                             「麦もイモも食えんと四苦八苦し、自分の身まで売らにゃならん娘どんが出ても、何ちゃ心配もしてくれんじゃったよか衆が、戦争ん時にゃ、みんなひとつ心でっち、歯の浮くようなことばいうた。 戦争がなかってん、ひとつ心は大事たい。イエズスさまは、人は皆兄弟じゃっちいうとられるんじゃけん。 じゃけんど、よか衆は勝手なもんたい。こん戦争が済んで、まあだ五年しかたっとらんとに、よか衆はもう、ひとつ心っちいうことば、きれいさっぱり忘れてしもうとる。情けなかもんたい。 美沙子、 あがが大きゅうなってん、 よか衆にはならんでんよかよ。 よか衆には、地面ばはうごとして生きちょる人間どんの気持が判らんけんなあ。 よか衆は、地獄極楽おとろしかっちいうことばば知っちょるんじゃろうか? あの世の地獄もおとろしかけんど、この世の極楽は、もっともっと、おとろしかー、おとろしかー。美沙子、よか衆は、自分らの都合の良かことしか書かんけん、 あがが大きゅうなったら、 イモと麦ば食うてでん、神さまに近づこうとして、一生懸命生きてきた五島ん人間どんの心意気ば書いてくれろ。 そして、五島んおなごどんの無念さもなあ」

 カトリックの信者であるが故の、「よか衆」に対する厳しい批判である。母親は、「おなかいっぱいご飯食べにゃ、落ち着いて信心もできんばい」とも語るのであるが、こうした両親の生き方に批判の目を向けたのが、ソ連船に拿捕(だほ)され抑留されて帰国した兄の岩男である。「二年ほどして帰ってきたときには、完全に洗脳されていた。貧しさと共産主義深く考えないうちに、すぐ結びついた。『ソ連は、何もかも平等たい。金持も貧乏人もなかとぞ!!! 土地もみんな国のもんたい。会社も国が経営しとっとよ。病気はしても、年ばとっても心配はいらん、何もかも国が面倒ばみてくるっとじゃもん 、頭さえ良けりゃ、大学でん国が出してくるっとよ、貧乏じゃけんいうて、 学間ば出来んもいうことはなかとよ。ほんに、共産主義はよかぞ!!!』」。

 この兄が、上記のようなことを父母に言うと、父母は、「カトリックも共産主義も、人はみんな平等じゃっちいうことは同じじゃけん、うなずけるけんど、共産主義は魂の助かりのことはいわんし、この世んだけの平等じゃけんなぁ。 共産主義も判らんじゃなかけんど、一番大事な神さまば信じらんちいうとじゃけんなぁ、神さまに造られた人間が、神さまば信じらんちゅうことは、おとろしか考えばい」と反論するのである。

 父母のそうした反論に対して、兄は「じゃけんど、 来世幸福も大事か知らんけんど、この世の地獄に苦しんどる人どんはどげんなる。たった食うために売られた娘のことば考えてみい、神さまが本当にいちょるんじゃろうかっち思う。人間が神さまん手の平ん中におるとなら、せめて、自分の身ば売らにゃいけん娘ぐらい助けてくれてもよかはずじゃなかか!!! おっが思うに、神さまは人間の心次第じゃ。人間が必要とするならばおるじゃろうし、必要じゃなかならおらんじゃろう、そげん思う」と答えるのである。この兄の言うところ、そしてまた著者の言うところををもう少し聞いてみよう。

 おらぁ、よく思うとよ。五島でキリスト教がなんで発展したか。五島ん人間どんは貧しすぎたんじゃ。食うものも食わんと、きつか仕事ばせにゃならん、漁師や百姓にしてみりゃ、何かにすがらんば生きてゆけん!!! せめて、死んだ後、幸福が待っとるっち思わんば、この世ん地獄ば生きてゆけんかったとじゃろう。心ん底から神さまば信じるっちいうんじゃのうて、こん、この世ん苦しみから逃げたかとの裏返しで、神さまば拝んどるとよ。おれにいわせたら、消極的な生き方ばい。 この世で自分の幸福ばつかまえんば。人間は平等っちいうことば知っとるんじゃけん…、それから考えて、天皇ばあがめまつっちょることはおかしかっちいうことに気付かにゃいけんとに······、 おりゃあ、はがゆか!!! 五島ん人間どんに目覚ましてほしかよ。

 抑留される前までは、月夜まわり(満月のころ、一週間ほど陸にあがり、身体を休養させる漁師の休日)に帰ってきたときなど、教会の御ミサをかかしたことのないほど、熱心な信者であった。ところが、抑留されて帰ってきてから、カトリックの思想と、共産主義がどうしても結びつかず、思い悩んだ末、決心して、神父さまの所へ、カトリックを今日限りやめますと、わざわざ宣言しに行った。父母はことばを尽して止めた。たったひとりの岩男兄さんの老母も、それだけはやめてくれろと涙ながらに頼んだが、岩男兄さんは、それを振り切って、行ったのだった。幼少のころから、殆んどイモがゆで過ごし、貧しいゆえ、頭が素晴しくよかったのに、中学を出るやいなや、知的な世界(学問の世界)から隔絶された痛みは、岩男兄さんに限らず、五島の若者たちの痛みそのものであった。

 何と悲しく切ない物語であることか。洗脳されたという兄の考えや棄教した行為を、いったい誰が批判することができよう、誰が笑うことができよう。カトリックの地であった五島にこうした物語があったとは。この兄はほどなくして事故で亡くなってしまう。私にできることがあるとすれば、「五島の若者たちの痛み」を胸に刻みつけることだけである。昔こんな文章を読んだことがある。「貧しい人々に施しを与えれば、聖者と呼ばれる。貧しい人が何故こんなにも多いのかと問えば、共産主義者と呼ばれる」と。『めだかの列島』を読みながら、貧しさとカトリックの信仰と共産主義について、あらためて思いを巡らすことになった。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/06/13

上五島にて(1)

 

上五島にて(2)

 

上五島にて(3)