忘れ物を探す旅のこと

 前回のブログで福島行の話を書いたので、それと関連しそうな日帰り旅行の話を書いてみる。福島から帰った翌週に、小僧2人を連れて熱海に出かけてきた。今連れてと書いたが、もしかしたら一緒にと書き直した方が正しいかもしれない。そのうち、連れてから連れられてに変わりそうな気配もある。成長期にある彼らはぐんぐん大きくなり体力も日増しについてきているが、こちらは徐々に身体がしぼんで小さくなり、体力が急速に衰えてきているからである。2人についていくのが精一杯といったところであろうか。

 もともとは、福島に出掛けたあと島旅を予定していたのだが、それが台風の接近で取りやめとなった。荒れるのが分かっているのに、海に行っても仕方がない。そのため、どこか代わりのところを探し、近場の小旅行を計画することになったのである。どんなところに行きたいかと尋ねられたので、いい写真が撮れそうなところ、美術館があるところ、美味いものが食えるところなどと、好き勝手なことをほざいてみた。そうしたら、熱海はどうかと言ってきた。上の坊主は、以前に自分一人で行ったことがあるとのことであった。

 この夏は連日猛暑日が続いており、この日も朝から暑かった。市営地下鉄のブルーラインに乗って戸塚まで出て、そこから東海道線に乗り換えて熱海に出た。先ずは海を見に行こうということで、駅前の仲見世通りを抜けて海水浴場に向かった。最初は泳ぐつもりはなかったのだが、二人は我慢できなかったようだ。水に浸かって気持ちよさそうである。そんな二人を見ているうちに、こちらの爺さんまで我慢できなくなり、着替えもないのに服のまま海に入った。この暑さなので、あがってしばらくすれば乾くだろうと思ったのである。海辺の砂は火傷しそうな熱さで、とても素足では歩けない。

 しばらく遊んでから、小僧たちだけ着替えて今度は熱海城に向かうことにした。撮影スポットがあるとのことだったからである。濡れた衣類は私が持っていた袋に入れ、バスに乗って目的地に向かった。このあたりの段取りは、スマホを片手にした上の小僧任せである。山の上から見た熱海はなかなかの眺めで、いい写真が撮れた(ような気がした)。海とホテル群と山と雲と空の組み合わせが何とも素晴らしい。昨年出品した写真展の申し込みが近付いていたので、そこに出せるようなものを撮ってみたかった。帰宅してから1枚を選び、「果て行く夏に」とのタイトルを付して出品することにした。途方もなく暑かったこの夏も必ず果てる。そんな感じを表現してみたかった。

 山上からの景色を堪能し、レストランでソフトクリームを食べて一息入れた。そのあとMOA美術館に向かうためにバスを待っていたのだが、たまたまタクシーが来たので、それを利用することにしてあたふたと乗り込んだ。年寄りには、一息入れたりあたふたしたりする時がどうも危ない。美術館に着いてから、海で濡れたものを入れた袋とカメラが見当たらないことに気付いた。袋は直ぐにレストランに忘れたことに気付いたが、カメラは何処に忘れたのかさえ定かではなかった。当初はバス停のベンチに忘れたかと思い、熱海城の受付に届いていないかどうか尋ねてみた。尋ねてくれたのはスマホ小僧である。しかし届いていないとのこと。

 MOA美術館は世界救世教の創始者が建てただけあって、その名に恥じない実に立派な美術館であった。しかしそれにしても、世界を救世するとはとんでもなくすごいの一言である。余りにすごいので苦笑を禁じ得ない。北斎の展示を見て廻ったが、紛失したカメラのことが気に掛かって、なかなか身が入らない。世界はいいから早くカメラを救世ならぬ救出してもらいたいものだなどと、不埒なことを考えていたからである。3人で蕎麦を食べている時に、もしかしたらタクシーに忘れたのかもしれないと思い、念のために電話したところ、車内で見つけたので預かっているとの返事だった。運転手に「忘れ物はないですか」と声を掛けられているのに、振り向きもしなかったのが敗因である。人に話を聞かせるばかりで人の話を聞かないのも、典型的な老化現象なのであろう。

 旅先でカメラを紛失したらもう戻るまいと思っていたので、ほっとしたことは言うまでもない。美術館でタクシーを拾い、熱海城まで戻ってレストランで濡れたものを入れた袋を受け取り、その足でタクシー会社の営業所に寄ってカメラを受け取ってから、日帰り客でも温泉に入れる駅側の旅館まで乗せてもらった。忘れ物も無事に戻ったので、いい気分で広々とした温泉に浸かった。温泉から出たら小僧の推奨する店でマグロ丼を食べ、お土産でも買って帰るかなどと思って手足を伸ばして寛いでいたのだが、とんでもないことが起こったのはその後である。

 刺身を魚に旨いビールを飲み、娘や家人に喜んでもらえそうなお土産を手にして、ホームで電車を待っていたのだが、その時に時計を忘れたことに気付いた。諺では「二度あることは三度ある」と言うが、よくぞ言ったものである。風呂に入る際に貴重品入れに財布と時計を入れたのに、出る時に財布だけしか取り出さなかったのである。普段腕時計をしないので、それも忘れたことに繋がった。あまりの情けなさに小僧たちにも言うことができない。今更風呂に入った旅館まで戻ろうとも言い出しかねたので、帰宅してから電話して、もしも見つかれば送り返してもらうしかなかろうと腹を括った。こうなると、忘れ物の常習者となった私などは、もはや「忘れ者」と言うしかない。そのうちに、何を忘れたのかさえ忘れるに違いなかろう(笑)。

 家に戻ってから旅館に電話したら、預かっているとの返事があり、その後直ぐに時計が郵送されてきた。高級時計などではないが、息子からもらったものだったので、戻ってきてほっとした。こんなことがあって、僅かにあった爺さんの権威はすっかり吹き飛んだ。下の小僧にまで「もう忘れ物をしちゃ駄目だよ」などと諭される始末である。だが、小僧だってマグロ丼を食べた店に小さな扇風機を忘れ、追いかけてきた店の人に渡されたのである。しかしそれにしても、失くした物が3つとも戻ってくるとは、わが日本社会も捨てたものではない。見つけ届けてくれた人々に感謝するしかない。忘れ物をしないためには、自分がもう押しも押されぬ本物の年寄りであり、紛う方なき「忘れ者」であることを、深く自覚することが肝要なのであろう。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/09/29

 

果て行く夏に(1)

 

果て行く夏に(2)

 

果て行く夏に(3)