真夏の出来事から(一)-クルマから離れて-

 この夏旅行に出掛けた話を書き終えたので、今回はそれ以外の夏に起きた出来事を紹介してみたい。タイトルに「真夏の出来事」などと書いたが、こう書くと若い頃に聞いた平山みきの同名の歌を思い出す。今でも覚えているところを見ると、ちょっとハスキーでセクシーな声、都会的なセンスの歌詞、抑揚の少ない妙にもの悲しいメロディーが、田舎出の当時の私にとっては印象深かったからであろう。この歌は、「彼の車の乗って真夏の夜を走り続けた」で始まるのだが、恋人とクルマに乗ってドライブするなどといった行為は、言ってみれば「真夏の夜の夢」ですらなかった。夢のまた夢だったからである。「政治の季節」の余燼がまだまだくすぶっていた頃だったので、そんな世界にはまったくと言っていいほど無関心だったし、軽蔑すらしていた。勿論ながらクルマを買うような金もなかったわけだが…。

 私がクルマに乗り始めたのは、結婚し子供が生まれて、保育園の送迎にクルマが必要不可欠な手段となったからである。2人目3人目となれば、自転車での送迎はもう無理である。生活の必要からクルマに近付いたのであって、それ以上のものではない。クルマに何の興味も関心もない人間だったから、免許を取るのも一苦労だった。労働科学研究所の側にあった自動車教習所に仕事の合間に通い、免許証の取得や更新で二俣川の運転免許センターを何度か訪れた。不器用な人間だったので、クルマに乗るようになってからもさまざまなアクシデントに見舞われた。スピード違反や駐車違反、一時停止違反に加えて、あちこちを擦ったりぶつけたりぶつけられたりした。人身事故にまでは至らなかったのが、不幸中の幸いだったと言うべきであろうか。

 クルマを運転するようになれば、当然ながら通勤にも使うことになる。そして時々は家族でドライブに出掛けるようにもなった。泊まりがけでよく伊豆や箱根を中心にあちこちの温泉場に出掛けたのだが、そんなこともクルマがあったからこそ可能となったに違いあるまい。こうして家族に幸せな時間がもたらされたのである。世間の他の人々も同じようなものだったではあるまいか。幸せとは何かなどとは考えもしなかったが、考えないでいられること自体が幸せなのであろう。郷里の福島までは大分長い道のりだったが、家族揃って何度も出掛けた。今のようにナビも着いていないクルマだったので、道に迷って大変な目に遭ったりもしたが、今となってはそれもまた懐かしい思い出である。

 また、子どもたちが家を離れてからは、家人と2人で季節の変わり目ごとにあちこちに出掛けた。「真夏の出来事」の中年版のようなものだったのかもしれない(笑)。外に出るといい写真が撮れることがわかってきて、それまでの家族写真から徐々に風景写真にも興味を持つようになった。昨年アルバムを年代順に同じ形式で整理し直したので、開けば見たい写真が直ぐに出てくる。写真を見ていると、当時のことがあれこれと思い返されるので、見ていて飽きることがない。アルバムにたくさんの写真が残されたのは、そこには写っていないクルマのおかげである。陰の立て役者といったところか。このあたりのことは、語り出したらきりがない。

 しかしながら、クルマとともにあった何とも幸せな時代も、子供が成長し親のこちらが年を取るにつれて、ゆっくりと過ぎ去っていく。こうなるとクルマはもっぱら通勤手段と化していかざるをえない。退職すればクルマの役割が大きく低下するのは必然である。勿論ながら細々した用事では使ったし、ごくたまには長距離のドライブにも出掛けたが、それ以外は駐車場のお飾りと化してしまったのである。後期高齢者となってからは長い時間運転すること自体が億劫となり、ますますクルマの使用頻度が低下していった。電動自転車を購入してからは、愛車は自動車から自転車に代わったのである。

 そんなわけで、数年前からクルマも断捨離してもいいのではあるまいかなどと思い始めた。だが、クルマを手放す踏ん切りがなかなか付かなかった。何故かと言えば、クルマを手放すことによって、何時でも何処にでも誰とでも気儘に出掛けられるという「自由」が失なわれ、昔の幸せな時代から完全に決別してしまうようにも感じられたからである。そんな私がとうとうクルマを手放すことを決断したのは、運転に際して、これまで余り感じることのなかった緊張と不安を覚えるようになったからである。とりわけ、夜の運転や雨の日の運転が嫌になった。

 もしかしたら、こんなふうに思うようになった今こそがクルマから離れる時なのではないかと考え、この夏にクルマを売却するとともに運転免許証も返納した。未練を残したくなかったからである。短期のうちになかなか大胆な決断をしたものである。団地の知り合いからは、そこまでするのはまだ早いのではないかと言われたりもしたが、問題なのは絶対年齢ではないような気もした。一人一人にとって辞め時は違う。そんなふうに考えて、自分の心の動きに素直に従うことにした。免許証は身分証明書代わりになっていたが、それがなくなったので、代わりとなる顔写真付きの運転経歴証明書を受け取った。

 また、世情をよく知る知り合いからは、クルマを売っても二束三文にしかならないとも言われた。新車に買い換えるのであれば中古車も高い値段で引き取ってもらえるが、そうでなければ驚くほど安い値しか付かないと言うのである。そうかもしれないとは思ったが、先頃話題となったビッグ・モーターに売り払ったわけではなかったので、思った以上の値段で売却できた(笑)。息子に売却を依頼したのだが、店によって引き取り価格にはかなりの開きがあるようだった。浮世離れした自分などが一人で対応していたら、きっと適当に買い叩かれていたに違いない。仕事場にしていた部屋も売り払ったし、たくさんあった本もあらかた処分した。長い間世話になったクルマも、こうしてこの夏に手放してしまったので、これで処分しなければならないような大物はもう何もない。

 クルマから離れることによって「自由」を失うかのように思ってもいたのだが、処分してすっかり身軽となったので、その分だけ「自由」が増したようにも感じられた。もっともそこで言う「自由」の意味合いは大分違ってはいたのだが…。クルマ自体への関心はかなり低かったから、手放しても特段の寂しさを感ずることはなかったが、クルマがもたらしてくれたさまざまな出来事を思い起こすと、今でも懐かしさがこみ上げてくる。40年近くに渡って世話になった何台ものクルマに感謝するしかない。こうして、クルマとともにあった一つの時代が終わりを告げた。

 上記のような気分でいたものだから、クルマを手放したことをきっかけに年賀状の遣り取りにも区切りを付ける決心が付いた。今年で76歳となり、このまま元気に過ごすことができれば、来年は喜寿となる。それがどうしたと言われそうな気もするが(笑)、何となくちょうどいい区切り時なのではないかと思われたからである。後期高齢者となった去年もふとそんな気になったのだが、暮れになってから考え始めたこともあって中途半端に終わってしまった。惜しまれたり、大事にされたり、喜ばれたりしているうちが華であろう。たいしたものではなかろうが、たとえ僅かでも華が残っているうちに、ひとつひとつに区切りを付けながら人生の下り坂をゆっくりと降りていく、そんな生き方も悪くはあるまい。少なくとも自分の性には合っているような気がしている。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/10/06

初秋寸景(1)

 

初秋寸景(2)

 

初秋寸景(3)