故郷福島遠望

 この8月に久方ぶりに故郷福島に出掛けてきた。コロナが蔓延する前までは、友人たちと福島の温泉巡りをすることもあって、年に一度は顔を出していたが、それもできなくなって大分時間が経つ。友人たちとの温泉巡りは、東日本大震災後の福島の復興支援を名目に始めたものである。わざわざ名目などと書いたのは、ちょっと気恥ずかしいからである。温泉に入り、飲み食いし、四方山話に花を咲かせただけだったので、そんなふうに書いてみた。福島には温泉場が多いので、出掛ける場所には事欠かない。そうした温泉巡りの際には、時折実家にも顔を出した。

 福島の温泉巡りの前には、あちこちの温泉場で勉強会と称して集まりを持った。共通のテキストを読んできて勝手気儘に語り合ったのである。一昨年亡くなった友人のKはライターの仕事をしており、Hと並んで昔からかなりの読書家であったので、そうした集まりが大好きだった。もしかしたら、友人たちを前に自らの豊富な知識を披瀝したかったのかもしれない。酒もよく飲んだし、麻雀も強かった。私などは、毎度彼の話を感心して拝聴していただけだったが…。そんな集まりの常連だったのは、高校時代に知り合ったKとHとS、それに私の4人組だが、この4人に加えてKの知り合いと称したさまざまな人々が顔を出した。「飲んで騒いで」丘に登る代わりに温泉にか浸かり、いつも愉しい時間を過ごした。

 しかし、いつの頃だったか常連の4人組の中心にいたKが、体調を崩した。なかなか難しい病気のようで、そう簡単には回復しそうもなかった。フリーのライターがものを書けなくなれば、てきめんに経済的な困窮が襲ってくるので、温泉に遊びに出掛けるどころの話ではなくなった。彼がいての勉強会だったから、そんな集まりも間遠となりいつしか開店休業状態となった。先の復興支援の集まりは、Kを除いた3人で始めたものである。できうれば4人で集まりたかったが、それはもう無理であった。勉強会はなくなり、温泉巡りを愉しんだだけである。そして、その温泉巡りもコロナ禍でできなくなり、Kも亡くなった。昨年来福島で偲ぶ会をやろうとの話しは出るのだが、いろいろな事情で延び延びとなってきた。

 田舎の弟からは、子どもや小僧を連れて是非一度福島に遊びに来てくれと懇願されていたので、偲ぶ会とは別に帰郷することにした。今年の小僧たちの夏休みの期間を逃せば、出掛けることはさらに困難になりそうだったので、私と娘と小僧2人の4人で福島に出向いたのである。2泊3日の夏の小旅行である。お盆の帰省ラッシュの時期を外したので、行きも帰りも新幹線の自由席に座ることができた。乗るまでは結構大変だが、乗ってしまえば福島もあっという間である。弟のところは子供が3姉妹で孫も女の子だったので、小僧たちが珍しかったのであろう。大変な歓待ぶりであった。勿論ながら私が歓待されたというわけではない(笑)。福島はちょうど桃の収穫の時期だったので、美味い桃が毎日食べ放題の状態であった。こんな贅沢は田舎でしかできない。

 着いた初日は桃畑に寄ってたわわに実った桃を見て、その後、茂庭の奥まで行って水遊びに興じた。弟がクルマで案内してくれたのである。清流ではあるが、真夏だというのに水が余りにも冷たい。湧き水なのであろう。小僧2人としばらく水遊びをしていたが、すっかり身体が冷え切ってしまった。天然の冷房が効きすぎたので、側にあった共同浴場の湯に浸かって温まった。翌日は市の中心にある信夫山に登り、市街や吾妻連峰を眺めた。懐かしい街並み、懐かしい山並みが遠望された。その後山の麓にある県立美術館に出向いた。弟とはここで別れ、4人で美術館を眺めて廻った。その中身を詳しく書いていると話が先に進まないので、関根正二、斎藤清、佐藤忠良の作品に惹かれたことだけ記しておく。

 併設のレストランでちょっと変わったカレーを食べたが、その頃外は突然の雨に見舞われていた。晴れ間が見えていたから、いわゆる通り雨だったのであろう。雨が上がったのを見計らって、美術館の側から飯坂温泉行きの電車に乗り、終点の飯坂温泉に着いた。昔は賑わった温泉場だったはずだが、今はすっかり落ち着いた雰囲気に変わっていた。故郷の温泉なので、寂れたとは書きたくない。何処の温泉場もそうなのだろうが、宴会目当てで建てられた大きなホテルが苦境に陥っているようだった。

 駅の近くにある共同浴場の「鯖湖湯」(さばこゆ)に向かった。熱いと脅かされていただけあって、本当に熱かった。多分50度ぐらいはあったのではないか。水を入れてぬるめたかったが、温泉の主のような爺さんがいてそれを許してくれない(笑)。しかし、小僧たちが熱がって入りにくそうにしていたのを気の毒に思ったか、自分の周りだけならホースで水を入れてもいいと言ってくれた。温泉マナーの悪い外国人を平気で叱り飛ばしていたから結構な頑固者なのだろうが、人が悪いというわけではなさそうだ。都会では見かけない人種である。

 前日は水が冷たすぎて困惑したが、この日はその逆でお湯が熱すぎて困惑した。世の中「ちょうどいい塩梅(あんばい)」などというものはそうはない(笑)。今の「鯖湖湯」は明治時代の温泉場を再現したとのことで、クラシックな木造の外観に風情が感じられた。入浴後隣の店でかき氷やソフトクリームを食べたが、身体がほてっていたからやけに美味だった。「鯖湖湯」にはかき氷が似合っている。帰りの電車に乗ろうとした際、美術館で買った長谷川利行の格安カタログをベンチに忘れた。その後、忘れ物ではなく「忘れ者」の異名を取ることになった始まりである。福島駅で問い合わせてもらったところ、直ぐに見つかり駅まで届けておいてくれるとのこと。私には福島の人が皆親切に見えた。小僧たちにもそう見えたらしい。

 最後の日は姉の家に顔を出して久闊を叙した。2人とも何とかやっているようだったが、高齢なので身体はあちこち傷んでいる。そんなところに娘と小僧が遠くから顔を出してくれたので、ひどく喜んでいた。年寄り夫婦にとっては、側に若い元気な人間がいることが活力の源なのかもしれない。かく言う自分だってそうである。姉の家で歓待を受けたのも娘と小僧たちであり、私ではない(笑)。もっと長く話していたかったが、予約してもらった蕎麦屋に向かわなければならない時間が迫ってきたので、名残惜しさを感じつつ姉の家を辞した。「紅葉亭」という蕎麦屋は人気の店らしく、待ち人が何人かいた。待ってる間に外を見回したら、今度は昨日登った信夫山が遠望された。

 蕎麦屋で美味い蕎麦を食べた後は、高湯温泉に行くことになっていた。日帰り客として旅館の風呂にでも入れてもらうつもりでいたが、生憎それができなかったので、ここでも共同浴場に入った。ここの湯加減は「ちょうどいい塩梅」で、入っている人もほとんどいない。小僧2人は広々とした風呂に入りながらアブ取りに興じていた。10匹も殺したらしい。共同浴場は露天風呂なので、虫も風呂に入りに来るのである(笑)。高原には赤とんぼも飛び始めており、既に秋の気配が漂っていた。

 今回の福島行では、娘と小僧2人も一緒だったので、久しぶりにあちこちに出向いた。何処に行っても懐かしい思い出が蘇ってくる。田宮虎彦の色紙に、「古き山河にちちははの匂い」というのがある。故郷の匂いは、父や母から始まっていろいろな人々を思い出させる。兄弟姉妹、家族そしてさまざまな友人たち。亡くなったKもそうだ。帰宅してしばらくしたら、この秋にKを偲ぶ会をやることが決まったとの話や、中学校の最後の同窓会をやるかもしれないといった話が舞い込んできた。帰郷すれば、再び故郷福島の懐かしい匂いに包まれるに違いなかろう。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/09/22

故郷福島点景(1)

 

故郷福島点景(2)

 

故郷福島点景(3)

 

故郷福島点景(4)

 

 

 

 

 

 

 

 

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