年寄りの「おもちゃ」

 「忘れられない小品から」ということで、この間労働問題がらみの話を3回に渡って綴ってきた。紹介しておきたい小品はもう少し残っているのだが、読者の方は勿論のこと、投稿している私の方もいささか退屈してきたので、この辺りで別の話を入れておくことにした。閑話休題といったところか。

 最近ポンコツ寸前のデスクトップパソコンをノートパソコンに切り替えた話を書いたばかりが、その一月前にはスマホも新しくした。ワイモバイルの「らくらくスマホ」にしたのである。私が勝手に「年寄りスマホ」と呼んでいるものである(笑)。これまで使っていたスマホも角が割れて壊れかけていたので、コロナ禍でできた暇な時間を利用して、この機会に機種変更しようと思いたった。

 そんなわけで、地下鉄で二駅目の中山まで出掛けてきた。時期が時期なので、スマホショップは完全予約制となっており、待つこともなく機種変更を頼むことができた。すぐに機種変更のための作業が始まり、合間に丁寧な説明を受けた。しかしながら、難しいカタカナ用語が多くてとてもきちんとは理解できない。

 もともと時代遅れの人間なのだから、理解できなくて当然であろう。自分のやりたいことができればそれだけでいいと思っているので、面倒なところは適当に聞いていた。こうした姿勢だから、何時までたっても理解できないのであろう(笑)。それよりも、若い店員の方の、年寄り向けのてきぱきとした説明に聞き惚れ、スマホを動かすスピードについつい見とれてしまった。私のような人間からすると、これぞまさに神業である。

 これと似たような思いは、家に来て新しいパソコンをセッティングしてもらった時にも感じた。パソコン修理ショップから出向いて来たのは、こちらもまだ若い店員の方であったが、結構面倒そうな作業をスピーディーにこなしてくれた。また、私の要望や質問に対しても嫌がることなく対応してくれた。あまりの手際の良さに、「大したもんですねえ」と褒めたら、「それほどのことではないですよ」と答えて少し照れていた。若い人たちが元気に働く姿は、端で見ていて何とも美しく気持ちのいいものである。

 スマホの世界もパソコンの世界同様技術革新が急速に進んでいるようで、新しいスマホを家でいじっていたら、前の機種よりも格段に進歩していることがわかった。しかも年寄りスマホだから、使いやすく改良されてもいる。電池もだいぶ長持ちする。私などは、スマホに限らず電化製品は使えるようであれば何時までも使っている口なのだが、店の人に言わせると、電池も消耗するので3年ぐらい経ったら買い換えた方がいいとのことだった。

 これでパソコンもスマホも新しくなり、コロナ禍で何となく鬱陶しかった気分が一新されたような気がしたが、まあたんなる思い過ごしであろうが(笑)。パソコンで原稿を書くときは以前から一太郎を使っているが、このソフトも、ノートパソコンに替えたついでに最新の2020年版を入れることにした。これまでであれば、ソフトのバージョンアップなどはごくたまにしかしないが、今回はそれほど時間が経っていないにも拘わらず買い換えることにした。

 そのわけは、2020年版には一太郎Padという機能が搭載されていることを知ったからである。これはどういうものかというと、スマホで文字情報を撮影し、それをパソコンに転送するときちんと一太郎の文書にしてくれるという機能である。当然ながら、スマホで書いた文章もパソコンに送ることができる。そんなことができるのであれば、ブログに雑文を綴っている私のような人間には何かと便利である。そこで、早速今回投稿する祭にこの新機能を試してみることにした。

 私はしばらくまえに地元の年金者組合に加入したが、組合員になると月に一度『年金者しんぶん』が送られてくる。その新聞の367号(2020年7月15日)に面白いコラムを見付けたので、スマホで撮ってパソコンに転送してみた。ところどころに僅かなエラーはあったが、ほぼ間違いなく文字化されていた。たいしたものである。これだといちいち文章を打ち直さなくていい。らくちんである(笑)。本から長い引用をするときなども、この要領でやればいいはずである。年寄りの私はちょっと嬉しくなった。

 ところで、らくちんな作業で転送した当のコラムの内容だが、相当に激辛である。もっとも、コラムの筆者は、この程度のものを激辛と感じるようなひ弱な精神こそがわれわれの弱点なのだと、筆法鋭く指摘しているようにも感じられたのではあるが…。コラムに登場しているのは岡本行夫氏だが、もしかしたら、やはりコロナで亡くなった志村けんについても、同じようなことが言えるのかもしれない。そんな思いも頭をかすめた。彼などは、品のない笑いで清く正しく美しい世間の「常識」をからかってきたのだから、コロナで亡くなったからといって東村山市の名誉市民もないだろうと思ってはいたが…。
 
 2013年、イギリスで「ディンドン、悪い魔女が死んだ」という「オズの魔法使い」の曲が流行した。サッチャー元首相が死んだからだ。首相を降りた23年後も労働者はくらしを破壊した彼女を許さなかった。日本では「仏さんになった人のことをとやかく言わない」のが一般的。4月24日、コロナ感染で死んだ元外務官僚でマスコミによく登場した岡本行夫氏の訃報記事も礼賛一色で、ため息をついた。

 彼が「日米同盟=アメリカ追従」の推進役だったからだけではない。湾岸戦争の際、国会にも会社にも嘘をつき民間船を戦地に送り込み船員の命を危機にさらした事実には口をぬぐい手柄話に仕立てあげているからだ。真実には目をつぶり「後輩にごちそう」とつまらぬことでほめそやすマスコミ。きっと安倍首相夫人の訃報記事では「居酒屋を開き、幼稚園支援や若手歌手と仲良しの庶民派」と讃えるのだろう。

 以上が新聞のコラムである。パソコンもスマホも年寄りの道楽にはもってこいである。パソコンでは時折麻雀ゲームなども楽しんでいるし、夜寝るときにはいつもスマホで落語を聞く。今は小三治をよく聞いている。噺家の語るように文章を綴ることができたらいいだろうなあなどと、勝手に夢想することもある(笑)。しかしながらあれは「話」芸だから面白いので、文字にすると面白さは大分落ちる。やはり、「文」芸とは違うということか。

 こんななふうに見てくると、パソコンもスマホも、「大人のオモチャ」ならぬ「年寄りのおもちゃ」のような気がしてきた。書かずもがなの「大人のオモチャ」などと書くところが、何となく志村けん風ではあるが…(笑)。