酒井洋先生のこと(上)

 私の住む団地のすぐ側に県立川和高校がある。我が家の子供三人は、全員この高校を卒業した。もともと私立にやろうなどとは考えてもいなかったので、近くに世間の評判も悪くない高校があるなら、それで十分だというわけである。子どもたちの高校時代の想い出についても、触れてみたいことがないわけではないが、そんな話が読者にとって興味が沸くはずもないので、すべて割愛する。

 一番上の子が高校2年になった時、この川和高校のPTAの会長をやってくれないかと頼まれた。誰がどのようなルートで私に頼みに来たのか、今となってはすっかり忘れてしまっている。いずれにしても、そんな話があったので、川和高校まで出向いて校長室で酒井洋校長と会った。聞けば先生は元々は書道の教師だということであった(後で知ったことだが、先生はその世界では名の知られた書家で、号を「洋龍」と称しておられた)、最初にお会いした時点で、私は酒井先生の人柄にどこか惹かれるものを感じた。先生の物腰や言動には、ある種の柔らかさや謙虚さや落ち着きがあった。人間としての幅の広さや奥行きの深さとでも言えばいいのであろうか。

 当然ながら、先生から懇請されたわけだが、途中に出た話のなかで、「女性の方がPTAの会長ということになると、なかなかまとまりにくいものなんですよ」などとぽつりと言われた。私はそんなものなのかと黙って聞いていただけだったが、男の私に会長を頼んだのは、先生が長年の教師生活の中で得られた知恵だったのかもしれない。

 私の方は、子供が三人もお世話になるつもりであるならば、一年ぐらいPTAの会長を引き受けるのもやむを得ないような気もしていたので、あまりごちゃごちゃ言わずに引き受けることにした。1995年、私がまだ48歳の時である。高校にPTAがあることも知らなかった私のような人間が、会長に向いているなどとはとても思えなかったのだが…。

 今回ここに、小品どころかさらに短い挨拶文のようなものを投稿するにあたって、急に酒井先生のことが想い出されたので、懐かしくなってネットで検索してみた。著名な書家なので、最近の動静がわかるような気もしたからである。検索してみて初めて知ったのだが、先生は2012年の夏に亡くなっておられた。亡くなられてからもうすでに8年も経っている。先生のあのエール(先生は、たまに壇上から大声を発して生徒たちを励ました)を想い出すと、今でも元気にご活躍なさっているに違いないと、勝手に思い込んでいたのだが…。一人心の中で合掌するしかない。

 酒井先生との交流については、次回に詳しく触れることにして、今回は、私が会長在任中に「川和」と題したPTAのニュースに書いた二つの短文を紹介してみたい。一つは、「戦後50年目の年に」(1995年7月)と題したものであり、もう一つは、「賢者は学びたがり、愚者は…」(1996年3月)と題したものである。

 前者は会長就任の挨拶文である。このニュースには、私のタイトルとは別に、「『会長は今日も快調です』VS『校長はいつも好調です』」などといった面白い見出しが付けられている(笑)。後者は退任の挨拶文である。そしてこの時に、酒井先生も定年で退職され、教員生活に別れを告げられた。そのためなのか、先生の書も印刷されて配られた。そこに書かれていた文字は、「勇往邁進」(ゆうおうまいしん)である。勇躍という言葉は知っていたが、勇往は先生の書で初めて知った。恐れることなく、自分の目標に向かってひたすら前進するという意味である。如何にも先生らしい。

 私は型どおりの挨拶を好まない質(たち)である。受け狙いのあざとい文章などももちろん好きではないが、毒にも薬にもならない品行方正な文章、誰も読まないであろう「定型」の文章なども綴る気がしない。どこかで自分を表現したいと思っているからなのだろう。そんなこともあって、思うことを自由に書いてみた。そのために、「わすれられない小品」となっているような気がする。前置きはそのぐらいにして、以下に二つの短文を紹介する。

 ●戦後50年目の年に

 今年は戦後50年という節目の年である。50という数字に何か特別な意味があるわけではないが、こうした年に、日本が引き起こした戦争の結果をあらためて直視し、加害者としての真摯な反省をおこなうことは意義深いことだろう。2年の娘が使用している『世界史資料集』によれば、日本が攻撃し、占領し、支配したアジアの国々の被害は、人命だけに限っても2,000万人にも達するという。アジアの人々に強いた犠牲の大きさに、いまさらながらおののきを感じないではいられない。それと比べると今般の「国会決議」はあまりにも軽い。

 こうしたおののきを感ずるような数字は、戦後50年を経過した今日にもある。郵便局にある「ボランティア貯金」のパンフレットによれば、第三世界では1年間に1,400万人もの乳幼児が死亡し、またILOの報告によると、世界では1億人近くの15歳未満の子供たちが飢えを満たすためだけに毎日働いているという。川和高校で学ぶ生徒たちはなんと幸せなことだろう。そんな恵まれた世界に生きる彼らだからこそ、日本と世界の過去と現在にも深い関心を寄せ、自分の足で地球に立ち、自分の頭でものを考え、自分の言葉を発して、21世紀を生きてもらいたいと思う。酒井校長の入学式のエールには私も度肝を抜かれたが、あのエールにはそんなメッセージが込められていたのではなかったか。

 昔生徒会長が「会長は今日も快調です」などと書いているのを見て、私の川和高校に対する評価は高まったが、ひょんなことで会長となった私にも、そんな気の利いた台詞を吐ける日がいつかは訪れるのだろうか。少しは会員の皆さんのお役に立てればと思う今日この頃である。

 ●賢者は学びたがり、愚者は…
     
 外国の記者が、日本の状況を次のようにからかっていた。ゴールデンウィークになると、日本人は渋滞承知で遊びに出かける。ふだん会話らしい会話もないので、たまの休みに顔を合わせてもぎこちない。そこでどこかへというわけだ。父親は渋滞でイライラしながら運転しているのに、後ろの子供たちはゲームボーイやウォークマンに夢中、カミサンは隣で居眠りしている、というのである。戯画化されて皮肉がきついが、なんともうまく日本の現実をつかまえている。クルマやゲームボーイ、ウォークマンと「モノ」はあり、レジャーにも行く。それらは確かに世間並みの「豊かさ」の一つの指標なのかもしれないが、そこに心弾む会話はない。

 世間並みという横並びの「豊かさ」に疑問を感じ、自分なりの「豊かさ」を発見するためにも、卒業生諸君にはさまざまな場所で学び続けてもらいたいものだ。「賢者は学びたがり、愚者は教えたがる」という箴言がある。学ばなければ横並びを超える「意見」は生まれない。そして「私語」だけが際限なく広がっていくはずだ。こんな状況を逆転させることが必要ではないか。本校のもう一人の卒業生である酒井校長は、ひとがどんなにつまらない話をしている時でもきちんとそして静かに聞いておられた。あのエールとは対照的な姿に、私はなぜか妙に心惹かれるのである。

身辺雑記

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