久しぶりの街頭演説で

 先月末に、近くのセンター南駅前でマイクを握って話をする機会があった。去年10月の総選挙以来だから、久し振りのことである。そもそも私は人前で話をするのが好きではなく、できれば断りたいと思うような人間である。だったら断ればいいではないかということになるのだろうが、他方では、人から頼まれると断れないような何とも気の弱い人間でもある(笑)。あれこれと迷った挙げ句に、立場上やむを得ず引き受けることにした。たった4~5分程度の挨拶を頼まれただけなのに、大仰だとからかわれそうではあるのだが…。

 では何故断りたいと思うのかといえば、下手だし、恥ずかしいし、面倒だからといった理由ももちろんあるのだが、もっとも大きな理由は、できれば自分の言葉を大事にしたいと思っているからである。しかしながら、駅前を流れていく人々を前に自分の言葉で話すことなど、どだい無理な話である。だから、あちこちで既に言われているような「正論」をなぞるしかないのだが、そのことに、なんとなくためらいやら戸惑いを感じてしまうのである。生来神経質な質だからなのだろう。こうした性格はいまさら変えようにも変えられない。

 原稿なしで自在に話ができるような、世の中の事情に通じた能弁家であれば話は別だが、私はそうした人間ではないし、なりたいとも思ってはいない。だから、話を頼まれた時には、事前に原稿を作ってその場に臨むことになる。気持にゆとりがある時には、原稿を何度か読んで頭に入れ、原稿なしで話をすることもあるが、今回は諸事情で気分的にそのゆとりが持てなかったので、やむなく原稿を読ませてもらうことにした。原稿を読み上げるような話が面白くなろうはずもない(笑)。以下のような原稿を準備したのだが、それをブログに投稿するに当たって、少しばかり加筆修正することにした。

 ただいま紹介いただきました高橋と申します。私は現在「つながり&変えよう都筑連絡会」の代表委員を務めておりますので、この場で街頭演説会を始めるに当たりまして、一言開会のご挨拶を述べさせていただきたいと思います。街頭でマイクを持ってお話しさせていただくのは久方ぶりなので、いささか緊張気味ではありますが、日頃考えていることを皆さんにお伝えする好い機会でもありますので、少し自由にお話しさせていただきます。

 「つながり&変えよう都筑連絡会」とはどんな会なのかと申しますと、一言で言えば、立憲主義に則って憲法を大事にしながら、日本の社会を住みよい社会に変えようと考える政党や市民団体や市民からなる会です。この会では、すべての人々が対等で平等な関係で手を繋ぎ合っております。今の社会が、特段変える必要もない立派な社会であれば話は別ですが、多くの国民はそんなふうに思ってはいないでしょう。さまざまな課題があります。そうした課題を解決するうえで大事なことは、会の名称が表しているように、つながる即ち手を繋ぐことではないでしょうか。

 ロシアによるウクライナ侵略が、今世界を震撼させています。侵略戦争が始まってから3か月経ちますが、未だ停戦の糸口を見いだすことができていません。ロシアのプーチン大統領は、侵略戦争を合理化するためにあれこれの理屈を並べたてていますが、まったく聞くに堪えません。何故かと言えば、戦争はロシアの地で行われているのではなく、ウクライナの地で行われているからです。この大前提を誰も崩すことはできません。

 ロシアは侵略戦争に踏み出すことによって、ウクライナ軍の粘り強い抵抗にあっていますが、それとともに、国際社会から強い非難を浴び、孤立の道を辿っています。国連憲章に違反した軍事行動なのですから、当然の非難であります。これ以上死者を増やさないためにも、国際世論をさらに強めていくことが大事なことは言うまでもありません。ここにも手を繋ぐことの大切さが現れています。

 私たちは、自己責任が過剰に重視された社会に日頃暮らしているものですから、バラバラでいることに慣れてしまっています。その結果、いつの間にか手を繋ぐことの大切さを忘れがちになっております。世の中には忘れてもかまわないいいことも多々ありますが、なかには決して忘れてはならないこともあります。時の政権が憲法を大事にすることを忘れ、市民が手を繋ぐことを忘れた社会は、混乱し、沈滞し、衰退していくに違いありません。

 こんな時期に便乗するかのように、「憲法九条で日本は守れない」、「敵の基地を攻撃できる能力を持つべきだ」、「軍事費を大幅に増やせ」、「核兵器を共有すべきだ」、「非核三原則を見直せ」といった、やたらに勇ましい議論が巷では繰り広げられています。しかしながら、こうした議論が、日本と世界の平和を真剣に考えた議論だとはとても申せません。世界の平和の危機に対する国民の不安を煽り、この機に乗じようとしているだけだからです。

 戦争か平和かといった大きな問題を考える時に、「受け」のいい議論に寄りかかることは大変危険なことです。「受け」のいい議論とは、感情的な議論であることが多いからです。感情的な議論から生まれるのは熱狂ですが、こうした時だからこそ熱狂ではなく冷静さが必要です。日本が軍備を増強すれば、相手側もまた更なる軍備の増強に走ることでしょう。際限のない軍拡競争の道です。ミサイル攻撃から原発を守るすべなどありません。 

 軍事費を大幅に増やしてGDPの2%、11兆円にまで増やそうという主張もあるようですが、そんなことをしたら、さらに社会保障費を削り、さらに消費税を増税するしか道はありません。そうなれば、日本経済の復活を望むことなど到底できません。更なる衰退が待ち構えています。軍拡競争に巻き込まれれていけば、昨今の物価高と相俟って、人々の暮らしは一層苦しさを増すはずです。

 世の中は、じつに多種多様な人々から構成されています。そうした社会が曲がりなりにも安定して運営されているのは、さまざまなルールがあり、それが守られているからでしょう。そうしたルールの根幹にあるのが憲法です。一時の熱狂で憲法を敵視したり軽視するような社会は、危険で野蛮な社会です。そしてまた、軍拡競争に突っ走るのは政治の自己否定でもあります。政治そして外交の重要な役割は、憲法を土台にしながら、どうしたら戦争を防ぐことができるのかを模索するところにあるはずだからです。
 
 参議院選挙が近付いてまいりました。いつの選挙も、主権者である国民の意思を表明する大事な機会ではありますが、世界の秩序が混乱する中で迎える選挙、戦争と平和の問題が問われる選挙、憲法の将来が問われる選挙ですから、今回の選挙はこれまで以上に大事な選挙であることは言うまでもありません。こうした時だからこそ、政治に大きな関心が寄せられてしかるべきでしょう。扇動する政治、熱狂する政治をこれ以上蔓延させてはなりません。

 ところが近年は、投票率が5割を切るような状況が続いています。残念なことに、有権者の2人に1人は選挙に行かないという現実があるのです。これでは、憲法を敵視し、軍拡競争に走ろうとする政府を、野放しにしているようなものではないでしょうか。そうした一見主権者が不在に見えるような社会にこそ、戦争はじわじわと忍び寄ってきます。現在の状況が危ういと考える政党や市民団体や市民は、幅広く、そしてまたしっかりと手を繋ぎましょう。手を繋げば事態は変えられます。そのための選挙なのではないでしょうか。「つながり」そして「変える」のです。

 冷静さを失わないで、今日本が何処に向かっているのかを皆さんとともに考えてみようとの思いで、今日この場をお借りして街頭演説会を開催させていただくことにしました。この後話されるさまざまな方の話をお聞ききいただき、そしてまた、チラシを手に取って目を通していただけたならば、たいへん嬉しく思います。少し長くなりましたが、以上をもちまして、私の開会の挨拶とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。