新緑の季節を歩く(三)-薬師池散策-

 6月の初めには、町田市の野津田町(のづたまち)にある薬師池公園に出掛けてきた。手元の地図には「薬師池公園四季彩の杜」と書かれているから、これが正式名称なのだろう。薬師池の名前だけは聞いたことがあったが、出掛けたのは今回が初めてである。この日の年金者組合のウオーキングに参加した方々は、この公園を既に知っていたようだから、それだけ名の知られた公園なのであろう。もしかしたら、初めてなのは出不精の私だけだったのかもしれない。

 今回出掛けることになったのは、この時期菖蒲と紫陽花が見頃だったからである。ショウブやアジサイと書いた方がわかりやすいのかもしれないが、私はどうも漢字の方が好きである。旧い人間だからであろう(笑)。このところ写真にも興味が広がってきたので、もしかしたらいい写真が撮れるかもしれないなどと、密かに期待して出掛けた。風景を切り取って、そこに自分の心情を託すようなことが、何となく面白くなってきたのである。自らの美意識を、写真で表現するとでも言えばいいのか。ちょっと格好良すぎか(笑)。

 このところ健康上のことですっきりしない日々が続いているので、外に出て気分転換を図るのも一興かと思ったこともある。どうせなら、今の状況をすっかり吐き出したいような気もするが、そうすると、そのことを知った心優しい人たちから、「大丈夫ですか」とか「どんな具合ですか」とか「お大事に」などと声を掛けられることになる。それにいちいち応答するのがいささか気が重いので、止めておくことにした(笑)。無視してもらうのが最上のおもてなしということなのだが、そんなことを心優しい人たちに言うわけにもいかない。

 JRの町田駅に集合したわれわれは、野津田行きのバス停まで歩いた。バス停は案外離れた場所にある。途中盛り場を通ったが、私のような年寄りには縁のない店がごちゃごちゃと並んでいてうんざりした。パチンコ屋やゲームセンターには開店前から行列ができている。正直に書けば、町田は住みたくもない街だ(いささか駄洒落風ー笑)なあなどと思ったのである。その盛り場のど真ん中に、「絹の道」と彫られた石柱があった。たまたまこの間絹を巡る話を書いてきたこともあって興味を惹かれたので、帰りにあらためてじっくりと眺めてみることにした。

 それなりの時間バスに乗って、薬師池公園に着いた。この公園のある野津田辺りまで来ると、最早町田の奥であり駅前の喧噪が嘘のようである。裏門から入り深い緑に蔽われた坂道を降りると、見頃を迎えた菖蒲が目に飛び込んできた。大勢の見物客がいた。みんなスマホやカメラをかざしている。花に大きなカメラを向けているカメラマンらしき人もいた。単純な私などは、立派な一眼レフを手にしている人を見ると、ついついプロの人なのかと思ってしまうのだが、カメラの大きさだけでそんな判断をするのは愚かであろう(笑)。大勢の人がスマホやカメラを向けていたのは、咲いている菖蒲がそれだけ美しかったからである。予想以上の見事な景観である。

 この公園は、三方が小高い森に囲まれた窪地となっており、こうした場所は谷戸(やと)と呼ばれる。薬師池は、もともと水田用の溜池から出来上がっているとのこと。今は菖蒲や紫陽花が見頃だが、もらったパンフレットによれば、梅も桜も藤もあり、蓮や椿や紅葉も綺麗だという。いつ来ても花が楽しめる公園のようなのである。元同僚で旧知のFさんはこの近くにある団地に住んでおり、時折薬師池公園まで散歩に行くと語っていたが、ここなら何度でも来たくなるであろう。少々羨ましくも感じた(笑)。

 今菖蒲が見頃だと書いたか、似たような花にあやめやかきつばたもある。だが、私などにはまったく区別が付かない。調べてみると、咲いている場所と花で違いが分かるようだ。あやめは水気のないところに咲くようだし、菖蒲は花びらの中央に黄色い線があるが、かきつばたはその線が白という違いがあるらしい。しかしまあどうでもいい知識ではある。群生する紫や白の菖蒲を離れたところから眺めていると、何とも清楚な感じがするのだが、近くに寄ってよく見ると、艶やかで妖艶で結構派手な花である。

 暫く眺めてから、人気のない薬師堂の方に足を運んでみた。菖蒲を取り巻く大勢の人から離れたくなったからである。薬師堂の境内には樹齢不詳と書かれた大イチョウがあった。じつに堂々たる巨木である。500年ぐらいは経っているらしい。イチョウという木は火に強いらしく、多くの寺社にイチョウの木があるのは、火災から守ってくれることを期待してのことだという。年金者組合のウオーキングでは寺社巡りの企画が比較的多い。何処に行っても立派なイチョウの木を見かけたが、そのわけを今回初めて知った。

 薬師堂の側にあった案内板に従って、次にダリア園に向かったのだが、途中で道が分からなくなった。近くに道を尋ねる人もいないのでやむなく引き返し、今度はぼたん園に向かうことにした。案内板によれば、ダリア園とは反対側の方にぼたん園があるとのことだったが、こちらにもなかなか辿り着けない。たまたま路上で雑談中の地元の方に出くわしたので、行き方を尋ねてみたところ、もう少し手前の道を折れなければならないとのことだった。そうしたら、そのうちのお一人から「ぼたん園の近くまで行くので、クルマに乗りますか」という思いもかけない申し出を受けた。好意に甘えて農作業用の軽トラックに乗せてもらい、ほどなくしてぼたん園に着いた。嫌な人もどこにでもいるものだが、優しい人もどこにでもいるものである(笑)。

 地図には「民権の森」と記されていたが、そこがぼたん園である。後に詳しく触れるように、町田という場所は、明治の10年代に武蔵と相模の地域にも広がった自由民権運動のメッカであり、その頭領とも言うべき人物が野津田の豪農であった石阪昌孝(いしざか・まさたか)という人物である。入口にいた受付の方に尋ねたら、この石阪の屋敷跡と庭が民権の森と称されており、その庭がぼたん園となっているとのことだった。

 花が見頃となる連休の時期には、大勢の見物客で賑わうようだが、6月も半ばとなった今はぼたんも咲いていないし人もまったくいない。紫陽花がわずかに咲いているだけである。無料で入れてもらった広大な敷地を、一人で歩いてみた。静かである。町田駅前の喧噪や、菖蒲園の賑わいが遙か遠い世界のようである。その静けさが波立ってしまった心を落ち着かせてくれる。

 のんびりと歩いていたら広々とした東屋があったので、そこで一人で昼食をとった。町田駅のプロムナードで買ったおにぎりとクリームコロッケ、それに卵焼きを、ゆっくりと味わいながら食べた。気心の知れた知り合いたちと飲み食いするのも愉しいものだが、たった一人誰もいない場所で、自分の好きな物を食べるというのも贅沢な振る舞いではある。年金者組合のウオーキングに参加するようになって、そんな贅沢のあることを初めて知った。見上げると、今の私の気分を表すかのような薄曇りの梅雨空が、一面に広がっていた。