「芸術の秋」雑感(一)-モザイク画を観る-

 今年の秋は、何時になくそしてまた柄にもなく展覧会にもよく顔を出した。出掛けたのは、宣伝の行き届いた有料の大きな展覧会ではなく、入場無料の小さな展覧会である。5回も出掛けたところを見ると、気持ちの上で少しばかり余裕が出来たということなのかもしれない。

 秋に出掛けた展覧会とは別に、夏の終わり頃には専修大学の裏手にある岡本太郎美術館にも出掛けた。こちらは鑑賞というよりも遊びかたがたである。岡本太郎自身も天衣無縫というのか天真爛漫というのか、遊び心満載の人だったようだから、小僧二人を連れて美術館に遊びに行くには、ちょうどよかったのかもしれない(笑)。ついでに併設のプラネタリウムで星空も眺めてきた。

 そこで本題である。「芸術の秋」を飾る第一弾は、横浜市民ギャラリーあざみ野で開かれたモザイク展2019である。10月の初めに出掛けたのだが、そのきっかけは、同じ団地に住む住人として知り合いとなった宮内淳吉・冷子夫妻が、モザイク展に出品していたからである。多分ご主人の宮内さんから案内のハガキをもらったのではなかったか。団地でのペット問題をきっかけにペットクラブが出来たのだが、その場に顔を出しているうちにご夫妻とは親しくなった。

 俗人の私などは、モザイクと聞くと昔の成人映画やポルノビデオに頻出したぼかしや、人物が特定されないように顔を隠すものばかりが頭に浮かぶのであるが、これではモザイクが可哀想というものであろう(笑)。こうした品のないくだらない話は、書かない方がいいのかもしれないと一瞬思ったが、それが出来ないのがこの私である。山藤章二さんの本のタイトルではないが、『老いては自分に従え』(岩波書店、2015年)を実践しているということか。

 辞書によると、モザイクとは、小片を寄せあわせ埋め込んで、図像や模様を表す装飾美術の技法のことを言うとある。石や陶磁器(タイル)、有色や無色のガラス、貝殻、木などが使用され、建築物の床や壁面、あるいは工芸品の装飾のために施される。この装飾技法は、古くから世界の各地で知られており、宗教画や幾何学模様などさまざまなものが描かれている。歴史上とりわけ有名なのは、カトリック教会の聖堂であるカテドラルの内部空間やイスラム教の礼拝所であるモスクの外壁などの装飾である。

 そう言えば、20年以上も昔スペインに旅行した際に、バルセロナのグエル公園やアルハンブラ宮殿にもモザイクがあしらわれていたことを思い出した。この展覧会に出掛けるまでそんなこともすっかり忘れていた。モザイク画として意識して見ていたわけではなかったからであろう。展覧会には,御主人の方が「光に誘われて」と題した作品を、奥方の方が「夜の訪問者」と題した作品を出品されていた。タイルの質感を利用して、アブストラクトというのかシュールというのか、そんな空間や世界を巧みに表現されているように感じられた。素人のくせに何とも偉そうな物言いではあるのだが…(笑)。

 折角モザイクを使っているのだから、描く対象を具象のままに写し取っているだけでは、何とももったいない。モザイクにする意味があまり感じられないからである。そんな作品もいくつかはあったが、宮内夫妻のものはそれらとははっきり違っていた。すでにタイトル自体がその違いを物語っていたのかもしれない。思い描くイメージを、芸術的な作品として仕上げたいと苦闘されてきたからではなかろうか。芸術的な世界で生き続けていくことは大変な困難をともなうはずだが、にもかかわらず、御高齢となったいまでもそこに留まり続けていること自体が立派だと言うべきなのだろう。そんな思いも抱いた。

     宮内淳吉「光に誘われて」

     宮内冷子「夜の訪問者」

 ところで宮内淳吉さんの経歴であるが、以前彼の個展が開かれた際の紹介文には次のように記されていた。「1937年生まれ。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)で、わが国フレスコ・モザイク画の先駆者・長谷川路可に師事。卒業後、師の仕事の継承者として全国各地のフレスコ・モザイク壁画の制作に当たる一方、後進の指導に務めている。現在、武蔵野美術大学特別講師 モザイク会議議長」。私の家のすぐ側にこんな経歴の方がいたとは驚きである(笑)。しかし彼は自分を大きく見せようなどとは思わない人らしく、そんな人柄も私には好ましく思われた。

 知らないことなど山程あるもので、宮内さんと知り合いになるまで、モザイク画やフレスコ画のなんたるかもまったく知らなかった。展覧会に出品されたような比較的小ぶりのモザイク画ならまだしも、壁に描くモザイク画やフレスコ画となると、制作の苦労は並大抵ではないらしい。建築物にとりついて梯子の上で長期間にわたって絵を描いていくのだから、かなりの体力も必要であろう。

 フレスコ画とは、壁に直接絵を描く技法のひとつで、生乾きの壁に顔料を水で溶いて絵を描き、壁の乾燥によって定着させるものを言うらしい。フレスコという言葉は、イタリア語の新鮮な、生気のあるという形容詞であるfrescoに由来するようで、発色が鮮やかなことからこう呼ばれるようになったとのことである。宮内さんと知り合いになって、初めて知ったことである。

 当然ながら、宮内さんの師である長谷川路可(はせがわ ろか、1897~1967)についてもまったく知らなかった。ネットで検索してみたら、「大正・昭和にかけて国内外で活躍した日本画家・フレスコ画家。カトリック美術家としてキリスト教黎明期のキリシタンを題材にした宗教画の制作に取り組むとともに、日本のフレスコ・モザイク壁画のパイオニアとして旧国立競技場などの公共施設に多くの作品を制作する。また、文化服装学院をはじめ、いくつかの教育機関で服飾史を講じた」とあった。 

 最近宮内さんの自宅にお邪魔させてもらう機会があったが、その際に、宮内さんがこれまで手掛けられた作品の写真集や師匠の長谷川路可の画集を見せてもらったり、これまでの苦労話などを聞かせてもらった。勿論、家に置かれていた作品も見せてもらった。私も元々絵は嫌いではないので、実に楽しい時間だった。

 この機会にと思って、厚かましくも仕事部屋も覗かせてもらったのだが、実作者の仕事部屋はやはり凄かった。所狭しと広げられた画材に圧倒された(笑)。壁には一枚の油絵が掛けられていた。宮内さんは油絵も描くようで、その絵はルオーの影響を受けた作品だという。黒が何とも印象深い絵であった。

 宮内さんの作品は、市が尾駅近くの市が尾第三公園や青葉区役所前にもあるのだという。近所で彼の作品に触れることが出来るとは、何とも贅沢な話である。暇に任せてそのうち見に出掛けるつもりである。そんなこんなで、私の狭い世界が少しばかり広がったような気がした。多分錯覚ではあろうが…(笑)。ご夫妻ともお元気なのは、「創造」という行為がもたらす精気の所為なのかもしれない。私も少しは見習いたいと思っている。