「就労の困難」と「困難な就労」(三)

第2章 「就労の困難」と就労支援

 第1節 就労支援とキャリア教育

 今日、学校から労働の世界への移行プロセスにさまざまな亀裂が生じていることは、多くの論者が指摘するところである。学業不振やいじめなどの不幸な学校体験から自信を失い、不登校や引きこもりのような状態に陥って、学校を修了した時点から非労働力人口のままでいる者も存在するし、就職活動に失敗したために学校を修了した時点で失業者となり、その後の職探しを諦めてしまって非労働力人口に流入するようなケースもある。

 あるいはまた、就職はしたものの、あまりにも「困難な就労」を体験することによって退職を余儀なくされ、失業の時期を経てから非労働力人口へと向かうようなケースもある。このようにして非労働力人口のプールに流入してきた若者のなかには、就労を体験した者と体験していない者、就労を希望する者と希望していない者が入り混じっているので、就労を希望する者の場合は、適切な就労支援を受けることができれば就業者に転ずることもあるだろう。

 こうした現実を前にしたときに、就労支援の具体的な姿としてまず思い浮かぶのは、就労の具体的な姿である職業を重視した学校教育の必要性である。かつて本田らは、ニートを就労意欲を喪失した若者のように捉える構図を批判し、取られるべき対策は「不活発層」と「不安定層」を一緒にしたニート対策などではないとしたうえで、この間増大した「不安定層」への対応策として、「『学校経由の就職』というルートだけが特権的な有利さを味わえるような状況を変革するとともに、すべての若者が厳しい労働市場環境を生き延びてゆくための支えとなる、『職業的意義』の高い学校教育を作り上げていくことが不可欠」であると指摘した。きわめて重要な指摘であったと言うべきだろう。

 では現実はどうだろうか。昨今はキャリア教育やその一部をなすインターンシップなどが中学校や高等学校だけではなく大学においても定着した観があるが、こうしたものが「『職業的意義』の高い学校教育」の提唱に応えるものででもあるかのように思われているとすれば、それはまったくの誤解である。そもそもキャリア教育なるものが、現に存在する「不安定層」に着目しているかどうかにさえ疑問符が付く。

 児美川孝一郎によれば、文部科学省の推奨するキャリア教育は下記のような問題点を内包していると言う。第一に、「企業の採用行動や政府の労働力政策といった構造的要因を問わずに、若者たちの意識や意欲、能力の問題に主要な関心を集中させ」ていることであり、第二に、「キャリア教育の内容として重視されるのは、少なくとも小・中・高の学校教育に関する限り(一部の専門高校を除けば)専ら子どもたち・若者たちの『勤労観・職業観』をどう育成するかという点に収斂して」いるために、「職業教育(専門教育)の充実という視点が著しく弱い」ことである。

 さらに第三に、「現時点で重視されているのは、専ら中学校での職場体験学習の推進」であるが、これが「慎重に準備され、十分な教育的な意図と配慮のもとに実施され」ているとは言い難いことであり、そして第四に、「キャリア教育へのカウンセリング手法の導入が、今日の『若年雇用問題』をつくりあげている『構造的要因』への注目をますますそいでしまう」危険を内包していることである。

 このように見てくると、わが国におけるキャリア教育は、「態度」や「道徳」や「適応」や「心理」に偏ったものであると言ってもいいだろう。そうした傾向がかなり強いのである。働くことを「労働」ではなく「勤労」ととらえるような社会においては、こうした傾向がまとわりつきやすいようにも思われる。「就労の困難」を抱えた若者に対する支援においても、こうした傾向は現れやすい。いずれにしても、今日のキャリア教育が、「不安定層」の自立を可能にするような「『職業的意義』の高い学校教育」とは縁遠いことが明らかなので、本田らの主張は今でも色褪せてはいない。

 しかしながら他方では、本田らは世間に流通したニート言説を批判するのに急で、「就労の困難」を抱えた若者の中に滞留する「不活発層」の実像に迫ろうとしていたわけではない。彼らは、一般の若者からはもちろんのこと、「不安定層」からも切断されてきたからである。「不活発層」の場合は、今日のようなキャリア教育は勿論のこと、たとえ「『職業的意義』の高い学校教育」が実現したとしても、それでもって救われることはない。あらためてより実践的な就労支援が求められる所以であろう。

 「態度」や「道徳」や「適応」や「心理」を強調した支援から離れた、より実践的な就労支援ということで興味深いのは、次のような事例である。秋田県の北端にある人口3、900人ほどの藤里町において、100人近い「就労の困難」を抱えた若者を「発見」し、彼らの力を活用して町おこしに取り組み始めた社会福祉協議会事務局長の菊池は、以下のように語っている。

 「『家に閉じこもってばかりじゃいけないよ。頑張って外に出なければいけないよ』。私自身がいろいろな若者に繰り返し、言い続けてきた言葉だった。『でも、どこへ?』。その問いに答えられなかったから、居場所を作ろうとしていた。高齢者デイサービスをまねた若者版デイサービス?そんな所へ誰が行きたいと思う?健康な体を持っていれば、いや、持っていなくても、人は自分が役割を担える居場所を求める。よね(高校一年生の時からひきこもっていた人物の名前-引用者注)の履歴書を眺めて、つぶやいた。『そうだよね、働きたいよね』」。

 菊池が自らの体験を通して指摘しているのは、例え居場所を作ったとしても、それがただの慰安のための空間しかないならば、「就労の困難」を抱えた若者労が外に出ようと思えるような場とはならないということである。必要とされているのは、たんなる慰安の場としての居場所ではなく、「自分が役割を担える」ような居場所なのであり、それは結局のところ働く場となるのだと言いたいのであろう。彼女は、「心の悩みを聞こうなんて、これっぽっちも思わない」(『朝日新聞』2014年9月18日)で、就労支援に取り組んでいるのであるが、そこが「態度」や「道徳」や「適応」や「心理」を強調してきたこれまでの支援のあり方を覆しているようにも思われて、何とも興味深いのである。社会的包摂のための就労支援の試みとでも言えようか。

 こうした菊池の試みを裏付けるような発言もある。横浜で不登校の子供がのんびりできるフリースペースを作り、そこのスタッフとしても働く不登校の子供を抱えたある主婦は、「一番の懸案は就労の場。週1日、1、2時間からでも働ける、しかも近場の受け皿をどう見つけるのか」(『しんぶん赤旗』2014年2月14日)と述べている。ここから浮かび上がってくるのは、就労支援というものが、困難を抱えた若者に対する働きかけにとどまらず、彼らが社会に出ることが可能になるような就労の場を、見つけ出したり、確保したり、創り出したりすることでもなければならないという現実である。菊池の実践が大きな注目を集めたのは、こうした現実に踏み込むことによって、注目すべき成果を上げてきたからに他ならない。                        
                            
 第2節 就労支援の具体的な展開-「ユースポート横濱」における取り組みから-

 上述したような実践的な就労支援に先駆的に取り組んできた「ネットワーク静岡」の活動や、大阪府豊中市の試みについては、すでに詳しく触れたことがあるので、ここでは、「ユースポート横濱」の活動について紹介しておこう。横浜で、就労が困難な若者に対する支援を行ってきたのは「ユースポート横濱」である。そのホームページには、綿引理事長の次のような挨拶文が掲載されていた。

 「いきなり私ごとで恐縮ですが」で始まるこの挨拶文には、彼女のなかに「『困っている人がいたら力になりたい』というシンプルな信念」が生まれた経緯や、「無職の若者に対するスティグマ的響き」をもつ「ニート」という言葉にもふれ、さらには「若者が働けない状態、働きだすことに躊躇せざる得ない背景は、社会の在り方と密接不可分」であることを指摘し、そして最後に、「志ある方々との様々な出会いは、まだまだ絶望しなくてもよいのだと、若者にも私たちにも社会に対する信頼を取り戻させてくれます」と述べて結ばれていた。

 「志ある方々」とは縁遠い筆者ではあるが、いささか気になる挨拶文であったこともあり、「ユースポート横濱」を訪ねた。もともと「ユースポート横濱」は、2005年に任意団体として活動を開始している。核になったのは、厚生労働省の施設であった「ヤングジョブスポットよこはま」の現場スタッフであったと言う。翌年にはNPO法人として認証され、この年の暮れには「よこはま若者サポートステーション」の事業を受託し、活動場所を開設している。2012年には2期目の事業を受託しているので、「よこはま若者サポートステーション」の活動は、「ユースポート横濱」を抜きにしては語れないということなのだろう。

 「ユースポート横濱」が運営している「よこはま若者サポートステーション」は、横浜市との協働事業として展開されているだけではなく、厚生労働省からの委託事業(全国に展開されている「地域若者サポートステーション」のひとつ)としても展開されている。横浜市との協働事業という点から見ると、市のこども青少年局が構想する「ユーストライアングル」のネットワークのなかに位置付けられていることが重要であろう。、

 具体的に言えば、「よこはま若者サポートステーション」は、「横浜市青少年相談センター」(ひきこもりや不登校など、青少年が抱えているさまざまな問題について、電話相談や来所相談、そのほか、グループ活動や家族勉強会などを通じ、青少年やその家族をサポートする)や「地域ユースプラザ」(「横浜市青少年相談センター」や「よこはま若者サポートステーション」の支所的機能を有し、思春期・青年期問題の一時的な総合相談に応じ、青少年の居場所を運営するなど、地域に密着した活動を行う)と相互に連携しつつ、青少年の職業的自立支援を基本に置きつつ、相談や支援などの取り組みを行っているのである。

 2006年に設立された「よこはま若者サポートステーション」の事業を見ると、「地域や企業、NPO法人等とネットワークを構築し、若年無業者や社会的ひきこもり状態にある若者の、社会参加や就労に向けた包括的・継続的な支援を実施することで、社会的自立、職業的自立を図ることを目的とする」とあり、その対象者は、「15歳以上35歳未満の方とその保護者」とされている。市にはさまざまな就労支援施設があるが、そのなかでは、文字通り就労に向けて「『第一歩』を踏み出す施設」ということになるのであろう。本稿では活動内容の詳細にまで立ち入る余裕はないが、「現場の生の声」や興味深い相談事例については、毎年まとめられている業務報告書に詳しい。

 2007年度の業務報告書には、「働けない若者は私たちの生き方を、社会の在り方を再度問いかける存在である」との副題を付した「サポステから『あなた』へ」という文章が掲載されている。これは、現場のスタッフによる議論を踏まえてまとめられたものであるが、その最後は、「よこはま若者サポートステーション」の初心を確認するかのごとく、次のように締め括られている。筆者自身何故に就労が困難な若者に関心を抱くようになったのか、そのことをあらためて問い直させてくれたきわめて興味深い一文なので、そのまま紹介しておこう。

 「マイノリティが生きにくい社会は、マジョリティにとっても生きにくい社会である。私たちスタッフは、日々の中で、社会の歪みが弱い立場に置かれた彼らの上に重くのしかかっている事実を身をもって理解することができつつある。若者の無業問題は、『人が良く生きるとはなにか』『人と人、人と社会の良きあり方とはとは一体どういうことなのか』、そうした究極的な問いを私たちに投げかけていると考える。言い換えると、働けない若者たちの存在は、私たちが『より良く生きる』ためにどうすべきか、改めてそれを問いかけ、気づかせてくれる『光のような存在』である」。

 ところで、就労支援というものは、困難を抱えた若者に対する働きかけにとどまらず、彼らに対する就労の場を確保したりつくりだしたりすることでもなければならないのだが、「よこはま若者サポートステーション」の場合はどのような工夫がなされているのであろうか。「ユースポート横濱」のホームページには、「これまで110を超える事業所で若者のジョブトレーニングや有償訓練を受け入れていただきました。働くことに自信を失っていた若者が、ジョブトレーニングや有償訓練に参加し、少しずつ自信をつけ、就労の道を歩んできています。このような訓練や働き方は『中間的就労』と呼ばれています。横浜においてこの中間的就労が質量ともに広がっていくためにはどうしたらよいか、ユースポート横濱が呼びかけ、協力事業所の皆様と共に、検討会を開催しています」とある。

 そして、2013年には、この検討会すなわち「横浜市における中間的就労検討会」が、4項目からなる「生活困窮者自立支援の法制化を契機とした中間的就労の量的質的拡充のための提言」をまとめている。その4項目は、①各分野の中間的就労を促進する中間支援組織の設置運営、②対象者が参加できる条件整備、③生活困窮者自立支援事業相談窓口のアセスメント力を向上する取り組み、④受け入れ事業所の支援員と雇用創出を支える条件整備である。中間的就労の是非といった総論の議論にとどまらず、どのような中間的就労であれば意味のある中間的就労となりうるのかを検討しているようであり、そこには「現場の生の声」が反映される可能性が含まれているようにも思われる。