「名画案内」補遺

 以前雑誌『学習の友』に、「名画紹介」と題して1年間にわたって短い文章を書いた。私はその文章をこのブログでも逐次紹介してきた。その際、タイトルを「名画案内」に変えておいた。計12本の映画を取り上げたのだが、そのことを知った地元の知り合いのKさんから、共産党の都筑区後援会のニュースである「われもこう」に、映画の話を連載で書いてくれないかと頼まれた。

 如何にもお堅いところからの依頼だったので、「映画の話なんかでいいんですか」と念を押した。そうしたところ、それでいいあるいはその方がいいし、ブログからの転載でもかまわないからとのことだった。その趣旨は、普通の人が読みたくなるようなものを掲載したいということだったのだろう。

 もっとも、自分の文章がそんなものになっているとはとても思えなかったのだが…。私は雑誌に書いた原稿をブログに載せる際に、かなり書き加えた。雑誌の原稿は1,000字弱の制約があったので、それに従わざるを得なかったが、制約なしで自由に書いていたらその倍ぐらいになった。しかし、そんなふうに大幅に書き加えるようになったのは3本目の映画からで、1本目の「砂の器」と2本目の「七人の侍」は、雑誌に掲載されたものとほとんど同じような分量だった。

 今回先の「われもこう」に「名画散策」のタイトルで連載するにあたって、ボリュームを揃えなければならなかったので、1本の映画を(上)で1,000字、(下)で1,000字に分け、計2,000字で纏めることにした。そのため、2本の映画については今回大分書き改めた。また、「連載にあたって」という文章も新たに付け加えてみた。タイトルを「砂の器」補遺、「七人の侍」補遺としたのは、そうした事情があったからである。ご了解願いたい。まずは「連載にあたって」である。

 今月から、この「われもこう」に「名画散策」と題して映画にまつわる話を書かせていただくことになった。知り合いのKさんや編集人のMさんから、「われもこう」の巻頭ページに少し長期にわたる連載記事を書いてくれないかと頼まれたからである。

 彼からすれば、毎月原稿を集めるのも一苦労なので、できうれば続けて書いてくれそうな人を見付けたかったのであろう。「敬徳書院」店主などと勝手に称してブログらしきものを綴っているようなので、もしかしたら閑そうに見えたのかもしれない(笑)。

 引き受けた私の方とて、何の見通しもなしに長期の連載に身を乗り出すようなお調子者ではない。それなりの目算はあった。じつは、『学習の友』という雑誌に「名画紹介」欄があり、それを一年間(2019年10月~20年9月)担当したので、そこで書いた映画評を活用できるかもしれないと考えたのである。雑誌では、邦画6本、洋画6本合計12本の映画を紹介したが、それぞれの6本のうちの3本は古典的な名画を、残りの3本は比較的現代の作品を取り上げてみた。

 私としては、『学習の友』の読者である若者たちに、名画というものはストーリーの面白さの中に奥行き深く人間を描き出しており、それ故に何度見ても飽きないものなのだという思いを伝えたかった。「われもこう」の読者は『学習の友』とは違って中高年の方々であろうが、私の伝えたいメッセージは変わらない。

 労働組合運動や社会運動にも似たようなところがあって、面白くなければ運動というものは長続きすることはないであろうし、人間をきちんと理解しようとしなければ、組織が広がっていくこともなかろう。何となくそんな気もするのである。

 連載を始めるにあたって最初に断っておきたいのだが、私は映画に関しては「通」でもなければ「マニア」でもない。ごく普通の一人の映画ファンに過ぎない。それ故、読者があっと驚くような映画を紹介したり、ドキっとするような映画評を書くつもりはない(そもそもやろうとしてもできないが-笑)。

 「通」や「マニア」にはその手の人が多いようにも思われるのだが、そうした人は私の好みではない。社会運動に関心を払ってはいるが、その辺にいる年寄りが書いた文章だと思って、さらりと読んでいただけたらありがたい。2年近いお付き合いとなる予定なので、ご愛読を乞う次第である。

 以上が「連載にあたって」と題した初回の文章である。ところで、こんな文章を書いているうちに、正月明けには二度目の「緊急事態宣言」が出された。またまた自粛生活を余儀なくされることになったので、前回同様自宅で映画を観る機会が増えた。こんな時にいささか難しそうな映画を観る気が起きないので、寅さんやコロンボやポアロに続いて西部劇を何本かまとめて観た。寛いで観るのにちょうどいいからである(笑)。

 予想外に面白かったのは、「荒野の決闘」や「真昼の決闘」、「OK牧場の決闘」であり「シェーン」だった。いずれも過去に観てはいるのだが、大分昔なので忘れていることも多かった。また、若い時には気付かなかった新たな発見もあれこれとあった。「シェーン」の監督が、私の好きな映画「陽のあたる場所」を撮ったジョージ・スティーヴンスであったことも、今回初めて知った。

 手元に置いている『洋画ベスト150』(文春文庫、1988年)によれば、「荒野の決闘」や「真昼の決闘」の評価の方がずっと高かったが、「シェーン」も45位にランキングされていた。私には「シェーン」の方が面白く感じられたので、我が家に顔を出した小僧にも勧めておいた。「シェーン」に登場する子供のジョーイに、好印象を抱いたこともあったかもしれない(笑)。

 芥川賞作家ではあるが、その後大衆小説や娯楽小説を量産した菊村到は、「シェーン」を強く推して次のように語っている。「ぼくはいわゆる芸術映画よりも娯楽作品が好きですし、もともと映画は娯楽だと考えています。そうした意味でこの映画は西部劇のもっている娯楽性をすべて見せている気がします」。

 「シェーン」を自分の好きな映画の第1位にあげ、こんなふうに言い切っている彼の姿勢が、何だかとても清々しくそしてまた潔く感じられた(笑)。いわゆる「通」の人(正確には「通」ぶった人と言うべきであろうか)には、決して吐くことのできない科白、あげることのできない映画のようにも思えたからなのであろう。

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