「砂の器」補遺

 前回、「連載にあたって」と題した初回の文章を紹介しておいた。続いて本題の「砂の器」である。以前ブログの載せた時よりも大分書き加えてある。「われもこう」には(上)(下)に分けて掲載されたが、ここでは通してまとめて載せておく。

 名画や名作のように「名」と付くものは、意外にも敬して遠ざけられることが多いものである。いわゆる食わず嫌いというやつであろうか。在宅時間が増えている今だからこそ、たまには名画をじっくり観る機会があってもよいのではないか。自宅映画館で珈琲でも飲みながらの映画鑑賞も乙なものである。それに、何時でもトイレに立てるのも年寄りには有り難い(笑)。

 いい映画を見ると、世俗の塵埃にまみれた心が洗われるのはもちろんだが、「人間」と「社会」を見る眼が養われるような気がする。えてして、「人間」に関心のある人は「社会」を忘れがちであり、「社会」に関心のある人は「人間」を忘れがちである。両者をともに視野に入れているのが、名画なのではあるまいか。

 前置きが長くなってしまった。私のいつもの悪い癖である。第1回目に取り上げたのは、「砂の器」(1974年、監督・野村芳太郎)である。理屈や解説など何一つ語らなくても、映画の醍醐味、愉しみ、素晴らしさを、文字通り肌で感じ堪能してもらえる作品である。

 この機会にもう一度見直してみたが、この映画のエッセンスは「それも、あげな思いをしてきた親と子だよ」との一言に込められているように思われた。上京してきた被害者の緒形拳が、犯人の加藤剛に詰め寄って吐く科白である。「あげな思い」とは何か。親と子の宿命とも言うべき「絆」に秘められた過去が、ミステリアスに描き出されていて、観る者をして最後まで飽きさせない。

 この映画は、ある殺人事件を担当した二人の刑事(丹波哲郎と森田健作)の、捜査にかける執念から描き始めるのであるが、その過程で浮かび上がってくるのは、ハンセン病を病んだが故に村を追われ、遍路乞食となって各地を放浪することになる父の本浦千代吉(加藤嘉)と子の秀夫(春田和秀)の哀切きわまりない姿である。

 新進気鋭の音楽家・和賀英良(加藤剛)として上流社会に浮かび上がろうとする子は、恩人でもあった元駐在所の巡査・三木謙一(緒形拳)を殺すことになる。過去を切り捨てるために犯さざるをえなかった殺人によって、栄光の階段を上り詰めようとしていた和賀の運命は、「砂の器」のようにもろくも崩れ暗転していくのである。

 この映画の原作は、松本清張の同名の長編小説である。昔映画を観て感激のあまり、原作にも手を伸ばしてみたが、映画の出来映えの方が圧倒的に優れており、その落差に驚いたことがある。何とも生意気な言い草ではあるが、今でもそう言って間違いなかろう。脚本は橋本忍と山田洋次、撮影は川又昴、音楽は芥川也寸志という面々なのだから、原作を凌ぐのも当然なのかもしれない。

 この映画では二つの旅が交錯する。一つは、二人の刑事が犯人を追って、秋田、出雲、大阪と訪ね歩く旅であり、もう一つは、父と子が遍路乞食となって各地を放浪する旅である。とりわけ放浪の旅を描いたカメラワークに、観客は息をのみ涙をこらえることになる。日本の美しくも厳しい春夏秋冬を背景にして、村人たちの差別と迫害に耐えながら放浪を続ける父と子の姿を、カメラは追うのである。哀切極まりないシーンである。

 映画では一言も科白を発しない子であるが、村の子どもたちに石を持て追われ怪我をした時に見せた、意志の強そうな眼差しが忘れられない。この二人を救うのが緒形拳演ずる村の純朴な巡査であり、その妻である。二人とも好演である。観る者は、二人の優しさに溢れた無私の行為に泣かされることになる。

 巡査は、ハンセン病の治療のために父を施設にあずけ、子を我が子として自宅に引き取ろうとさえするのであるが、にもかかわらず子は出奔する。父と子の駅での別れ、物陰に隠れた子を探し求める巡査の必死な姿、そうした一齣一齣が田舎の美しい情景の中に写し撮られていく。

 終盤は、二人の刑事の捜査会議での報告、新進気鋭の音楽家として名声を極めようとする和賀英亮の、オーケストラをバックにしたピアノの演奏、そして父と子の放浪の回想シーン、これらがが絡まり合う。息詰まるような大団円であり、見事と言うほかはない。

 ハンセン病の療養所を訪れ本浦千代吉と会った刑事は、和賀の写真を見せて息子秀夫のことを尋ねる。写真を見て驚きながらも「おら知らね」と叫ぶ父、音楽の中でしか父とは会えなくなった子。その二人の宿命が、演奏会での「宿命」と題した演奏と重なりあい圧巻である。これほどまでに印象深い映画となったのは、緻密に組み立てられた脚本の力にあるに違いない。

 折しも、ハンセン病患者の家族に対する国家賠償請求が認められ、政府も謝罪した。そうしたことを背景に鑑賞すれば、この映画は更に味わい深いものとなるはずである。先日、横浜歴史博物館で開催されていた「緒形拳とその時代」展を見に出掛けてきた。「砂の器」では彼は主役ではなかったので、署名入りのパンフレットが展示されていただけだった。

(追 記)

 その後の自宅映画館、別名シネマ「敬徳書院」の様子を紹介しておきたい。西部劇の次に観たのが、「拝啓天皇陛下様」(渥美清、長門裕之)や「馬鹿まるだし」(ハナ肇、桑野みゆき)や「ビルマの竪琴」(三國連太郎、安井昌二)である。脈絡は何も無い。いずれも家人の勧めに従って鑑賞したのである。どれも見応えのある作品ばかりだった。

 「ビルマの竪琴」は、監督である市川崑がその後石坂浩二と中井貴一でリメイクしているので、ついでにそれも観た。そうしたら、しばらく「埴生の宿」が頭から離れなくなった。「埴生の宿」とは、いかにも粗末でみすぼらしい家のことであるが、その家は懐かしく、愛おしく、戻りたい家なのである。

 水島上等兵は勿論のこと、天皇の命によって戦地に趣き、そこで「水漬く屍」、「草むす屍」となって果てた数多の兵士たちも、どれほど「埴生の宿」に帰りたかったことであろうか。彼は最後の別れ際に、竪琴で「仰げば尊し」を奏でる。そこに浮かび上がってくるのは、「今こそ別れ目、いざさらば」の歌詞である。今でも、戦場となったアジア・太平洋の各地でそしてまたシベリアで、遺骨の収集は続いている。

 1950~60年代の日本映画の黄金期に撮られた映画には、沢山の傑作や名作や秀作や佳作がある。私などは未見のものばかりなので、言わば宝庫のようなものである。映画の迷宮に足を踏み入れた気分の今日この頃である、とでも言おうか。「来るな」と言っても「コロナ」がへばり付くので、シネマ「敬徳書院」はこの先も繁盛しそうな気配である(笑)。その繁盛は、この間右往左往してきた菅政権のお陰も被っていることだろう。

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