2019年7月15日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(完) 大宰府政庁跡に佇む 厳原を発って博多に向かったわれわれは、再び船中の客となって玄界灘を渡った。今回もまた拍子抜けするほど穏やかな海だった。福岡では九州経済調査会の方から、北部九州と韓国南部の経済交流についての話を聞い […]
2019年7月11日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(六) 半井桃水と吉田弦二郎 対馬では他にも見たいものがあった。樋口一葉の師でもあり恋人でもあった半井桃水の生家跡に建てられた「半井桃水館」もそうであったし、「島の秋」で知られる吉田弦二郎の文学碑などもそうである。時間の関係 […]
2019年7月6日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(五) 「海ゆかば」雑感 しかし、「防人歌」との繋がりで直ぐに思い起こされるのは、巻十八にある大伴家持の長歌からとられた「海ゆかば」であろう。「海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍 大君の邊にこそ死なめ かえりみはせじ」という […]
2019年6月29日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(四) 「太古の心性」と笑い こんなことを紹介して一体何が言いたいのかといえば、韓国の人間も日本の人間も、玄海灘を行き来してきただけあって、いかにも似た者どうしだとの素朴な思いである。社研の『月報』582号で、「性にまつわる […]
2019年6月23日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(三) 解放的な「エロばなし」のこと ところで、宮本の対馬に関する文章は、『日本残酷物語』の第二部「忘れられた土地」(平凡社、1960年)や『忘れられた日本人』(岩波文庫、1984年)にも登場する。前者には、「対馬はむかしか […]
2019年6月17日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(二) 宮本常一と対馬 対馬は、朝鮮半島に最も近い日本であり、日本と韓国はよく「一衣帯水」の関係だと評される。距離としてはわずか50㎞ほどしか離れていないのだから本当に近い。われわれは3月16日の昼に釜山港を発って、ジェット […]
2019年6月11日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 玄界灘を渡って-2017年春、釜山、対馬、大宰府-(一) 現在私は、「裸木」と題したシリーズものの冊子の完成を急いでいる。タイトルも「カンナの咲く夏に」と決まり、三部構成の原稿も揃い、いまは校正に精を出しているところである。この第3号の第三部には、「さまざまな旅のかたち」と題 […]
2019年1月20日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 韓国再訪(三) ●交錯する「過去」と「過去」 この「韓国再訪」が書かれた2008年の時点から見ても、光州事件からはや30年近くが経とうとしていた。この間、1988年には盧泰愚が光州事件を「民主化のための努力」と認めるとともに、全斗 […]
2019年1月14日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 韓国再訪(二) ●独立記念館における「歴史的時間」 今回の韓国再訪に気持ちが動かされたのは、その行程に独立記念館と光州の訪問が組み込まれていたからである。なぜそのような場所に強く惹き付けられるのか。おそらくは、そうしたところに私 […]
2019年1月8日 / 最終更新日時 : 2021年1月21日 keitokushoin 旅日記 韓国再訪(一) 以下の文章は、韓国を再訪した機会に書いたエッセーである。『専修大学社会科学研究所月報』のNO.553・554合併号(2009年8月)に掲載された。比較的長めのエッセーとなったので、3回に分けてブログに投稿することにした […]