4年目の「敬徳書院」雑感

 2018年の8月21日に、「敬徳書院」のホームページを立ち上げるとともに、そこに設けた「店主のつぶやき」欄にブログの原稿を投稿した。その時のことは今でも鮮明に覚えている。今日は2022年の8月26日だから、あれから丸4年が経過したことになる。その過ぎ去った歳月の流れは、意外に早かったようにも感じるし、またそれまでと比べれば、定年後はのんびりと暮らしてきたので、遅かったようにも感じる。ぼーっとして過ごしていた私には、どちらなのかよくは分かりかねる。まあどちらでもいいのかもしれないというのが、正直なところか(笑)。

 毎年8月の21日過ぎに「敬徳書院」雑感と題して過去1年間のブログについての感想を綴ってきた。去年書いた「3年目の『敬徳書院』雑感」では、過去3年間の様子をまとめて紹介しておいたので、今年の雑感では、この1年の出来事についてのみ触れておきたい。毎週ブログに投稿するとなると、1年間でほぼ50回ほど文章を綴らなければならない。この数字だけ見ると、なかなか大変そうに思われるかもしれないが、そのうちの半分ほどは予定されたもので埋まっていく。

 毎年社会科学研究所の実態調査に参加させてもらっているので、その調査報告を紀行文の体裁をとって10回ほど書いている。4年目は「早春の上州紀行」と題して書いた。また毎月実施されている地元の年金者組合のウオーキングに欠かさず参加しているので、そのたびに散策日記のようなスタイルで書いている。それが12回分ある。4年目もこれまでと同じように書いた。ブログに原稿を書くためにウオーキングに顔を出しているような気配が、無きにしも非ずである(笑)。それ以外に、この雑感や完成した冊子の紹介、さらには年末と年始にも毎年何かしら書いており、今年も同じであった。

 つまり、50回の投稿のうち半分近くは上記のようなもので埋まっていくのである。では残りはどんなものだったのであろうか。贈呈された本を読んでの感想やら映画を見ての印象やらに加えて、友人たちとの飲み会の様子も書いたし、「横浜市長選挙騒動記」と題した社会運動がらみの話も載せた。それぞれについて、少しは工夫を施して読んでもらえるような文章にしたつもりではあるが、どれもこれも雑文の類いなので、果たしてどれほどの効果があったであろうか。私は来月にはいよいよ後期高齢者となる。別に待ち望んでいるというわけではないが(笑)、そんな身には雑文のような文章こそが相応しいと言うべきか。

 この1年間に、新たなブログの閲覧者は1,500名ほど増えた。3年目とほぼ同様の増え具合であった。ブログを始めた時からの合計では6,000名を超えたので、正直かなり驚いた。予想を遙かに上回る嬉しい結果である。こんな文章でも読んでくれる人がいることに、この場を借りてあらためて感謝しなければなるまい。いまさら言うまでもないことだが、新たな閲覧者の増加が、ブログを継続する意欲をもたらしているのである。であれば、閲覧者がいなくなったら一体どうなることやら(笑)。

 ところで、「敬徳書院」のホームページを立ち上げたばかりの頃は、私自身ブログの何たるかも分かっていなかった。それと比較すれば、4年目のブログはようやくにしてブログらしくなってきたと言えるのかもしれない。ブログとは、Web(ウェブ)とlog(ログ)の造語であるweblog(ウェブログ)の略語のことのようで、Web上に残される記録を意味している。造語であり略語であるというのが何とも今風である。時間の経過とともにあっという間に曖昧となり消滅していく記憶を、そうはならないようにウェブ上にせっせと記録しているわけである。

 こんなふうに分かったような顔をして書いているが、私などはウェブとは何かと問われてもうまく答えられない。スマホに出てくる解説文を読んでみても、すっきりと分かるわけでもない。ただただぼんやりと理解しているだけである。そう言えば、ログの意味さえよく分かっていなかった。昔数学で習った対数(実はこれもよく分かっていなかったのだが-笑)やログハウスに登場する丸太の意味のログは知っていたが、もう一つの意味があった。日々起こったことの公式の記録という意味である。こちらはたんなる英単語の習得不足の問題である。

 閲覧しようと思えば誰もがいつでも閲覧可能な状態にあるので、「公式の記録」ということになるのであろうが、書いている本人からすると、まったくの私的な記録として書いているような気分なのである。だが、もしもほんとうに私的な記録だと言うのであれば、閲覧者の数に関心を抱く必要などないはずである。しかしながら実際はそうではない。俗物丸出しでいたく気にしているところをみると(笑)、やはり公開することによって「公式の記録」となっていると言わざるを得ないのであろう。

 「公式の記録」と書くと立派な記録のように思われがちであるが、公式であることと立派であることとはまったく関係がない。ここはきわめて大事なところなので、あえて強調しておきたい。「公式の記録」なのにどうでもいいくだらないものなど、山のようにある。私のブログなどもそのようなものに違いないので、せめて世の中に害毒を流さないように気を配るのみである(笑)。ブログを書いている本人が、自分は立派であると勘違いしている場合も多く、私的な呟きのような形をとりながら、世の中のことをあれこれと論じそしてまたあれこれと人に教え諭しているのである。蒙を啓いてやっているつもりなのだろうが、余計なことであろう。

 先日、『しんぶん赤旗』(8月14日)の書評欄を眺めていたら、次のような興味深い文章に出くわした。貴志俊彦さんの『帝国日本のプロパガンダ』(中公新書、2022年)という著作に対する、ジャーナリズム研究者の丸山重威さんの書評である。本来であれば、その著作をきちんと読んでから引用すべきでなのあろうが、今の私にはそこまでの気力がない。その書評には次のようなことが書かれていた。

 いわゆる「世論」は、新聞、放送、雑誌など、政治や経済を取り上げる「硬派メディア」が担っているように見られてきた。しかし、「時代の空気」は、それとは少し違って、ここに取り上げられたような、錦絵だったり、絵葉書、写真グラフ、映画、最近で言えば、スポーツ紙や週刊誌、さらにインターネットやSNS、ツイートや掲示板にはじまるおしゃべりや議論を含めた空間で創られている。

 丸山さんはこんなふうに書いているのである。言われてみて、「世論」と「空気」は重なり合ってもいるがずれてもいることに思い至り、なるほどなあと感心して読んだ。老後の道楽でブログを書くのであれば、時代の「空気」に一石を投じてみたいような気もするが、老いの身にそんなことは果たして可能であろうか。いまさら言うまでもなく難しかろう(笑)。あとは、時代の「空気」から離れようとする「空気」、そんなものが滲み出た文章を、気楽に気儘にのんびりと綴るのみである(できればの話しではあるがー笑)。炎暑の夏にぼーっとして過ごしながら、そんなことを考えた。