静かな新年を迎えて

 2020年も過ぎ去り2021年の新年を迎えた。そして今日はもう6日である。年が改まったからといって、特に何かが変わるようなことはないのだが、それでもあれこれと思いを巡らすことはある。今年の正月は、何時ものように注文しておいた御節料理を広げ、雑煮を食べ、近くに住む子供や孫たちと顔を合わせた。特にすることもないので、映画を観たり、落語を聞いたり、朝寝や昼寝をしたり、家人とたわいもない会話を交わして過ごしただけである。

 何の変哲も無い正月であり、そのこと自体に特段の不満もないが、この間のいささか鬱陶しい気分を変えたくなって、玄関に架けてあった絵を取り替えた。これまでは、ラウル・デュフィの花の絵のポスターを飾っていた。近くのリサイクルショップに二束三文の値段で置いてあったものを手に入れたのである(笑)。こうした店には時々掘り出し物があるので、気が向けば入って眺める。古本屋が好きなのと似ているのかもしれない。

 ところで何故そんな額入りのデュフィのポスターを買ったのかと言えば、昔デュフィ展を観に行ったことがあって、それ以来彼の絵が好きになったからである。ポスターの絵は、軽やかではあるが落ち着いた色調の花の絵である。見ようによっては、少し地味な雰囲気もなくはなかった。

 そんな気もしていたので、ジョージア・オキーフの大胆な色彩と大胆な構図のポスターに替えることにして、昨年末にネットで注文しておいた。秋に横浜美術館に出掛けたことは既に投稿済みであるが、そこで気になったのが、クルト・シュヴィッタースとジョージア・オキーフの二人の作品であった。素人の私は、二人ともまったく知らなかった。

 帰宅してからネットで検索しているうちに、オキーフのポスターに遭遇したのである。タイトルは Red Cannasとなっていたから、赤いカンナの花をモチーフにした作品である。私は前からカンナの花が好きなので、そんなこともあって、一昨年のシリーズ「裸木」の第3号は、『カンナの咲く夏に』というタイトルにし、表紙の色も赤にしてみた。そんな繋がりを意識したこともあって、このポスターを購入することにしたのである。以前の額の大きさにうまく収まりそうだったことも、その気にさせた要因だったかもしれない。

 そのポスターが正月に届いたので、額に納まるように若干の細工を施して飾ってみた。ポスターは高さ80センチ、幅60センチほどの大きさで、ほぼ一面が赤いカンナの花である。玄関に飾ってみたら、家の雰囲気が一変した。私の気持ちもいささか高揚し、年が改まったことが自覚された。模様替えの効果ということなのか。我ながら何とも単純な人間である(笑)。

 今年も何人かの方には年賀状を書き、元日に届くように出しておいた。また年賀状をくれたゼミ生には、シリーズ「裸木」の第4号である『見果てぬ夢から』を返事代わりに贈呈した。こちらも元気でいることを知らせておきたかったこともあるし、冊子が何部も残っていたこともある。何となく売れ残りのバーゲンセールや初売りの冬物大処分のような気配である(笑)。

 年賀状にどんな文章を書くのかを考えるのも、暮れの愉しみの一つではあるのだが、今年はどうも愉しみという気分にはなれなかった。暮れからまたまた落ち着かない状況が広がってきたからである。年賀状で「コロナ」のことにも触れようかと思ったが、あれこれ考えてそんな話は一切書かないことにした。みんなが触れそうなことを敢えて避けるというのも、美意識の一つの有り様であろう。文面は以下のようなものにした。

 皆様もまた例年になく静かな新年を迎えられたことと思います。春になれば、私も退職後4年目の日々に入ります。老後の道楽として始めたブログ三昧の生活にもすっかり慣れ、「毎日が日曜日」の隠居暮らしも板に付いてきました。世俗の塵埃にまみれた話題からあえて身を離し、大愚と号して「聖にあらず、俗にもあらず」に「遊び」惚けていた良寛のような人生を送って、最期を迎えるのもいいのかもしれないなどと、一人で勝手に夢想している今日この頃です。この一年が、皆様のみならずすべての人々にとって平穏無事な年となりますことを、心から願っております。

 「大愚」と号する人に本物の愚か者はいないのが世の常なので(笑)、そうしたへりくだった言い方に心惹かれたわけではない。興味深いのは「聖にあらず、俗にもあらず」の方である。世の中に「聖」なる人は数多い。自らの考えを正しいと信じて疑いもしない人のことである。こうした人々は、「聖」のように見えながら実は「俗」そのものなのであって、これぞまさしく「大愚」である(笑)。

 良寛のことに触れたついでに、私が気に入った彼の俳句をいくつか紹介しておこう。小林新一・村山砂田男著の『良寛の俳句』(考古堂書店、2017年)には、「良寛にとって俳句は”遊び”だった」こともあって、「その魅力は、自然で純朴で気どらず飾らず、気楽に即興し、屈託なく口ずさんだところのおもしろさ」にあると書かれている。自分の日々の暮らしもこうありたいと願った今年の正月だった。

  ほろ酔ひの あしもとかるし 春の風
  春さめや 友をたづぬる おもひあり
  いざさらば 我も返らん あきの暮れ
  柿もぎの きんたまさむし 秋の風
  初時雨 名もなき山の おもしろき
   
  

 

散策日記

前の記事

晩秋の武蔵野を歩く
散策日記

次の記事

近隣の緑道を通って