(続)「冬の星座」を聴きながら

 前回「『冬の星座』を聴きながら」と題した文章をブログに載せたところ、知り合いの早川征一郞さんからメールをもらった。現代労働問題研究会でお世話になった方だし、年長者でもあるので、普通であれば早川先生と書かねばならないところなのかもしれないが、この私は誰に対しても先生と呼ぶのが嫌な人間なので、親しみを込めて敢えて早川さんと書いてみた。他人を先生と呼ぶのが嫌であれば、自分が先生と呼ばれるのも嫌であって当然である。たまに高橋先生と呼ばれることもあるが、そんな時は「もう先生は辞めましたので、高橋さんでお願いします」などと明るく返すことにしている。

 そんな話はともかくとして、ここで話題にしたいのは早川さんからのメールのことである。ブログを読んだ方が私宛に何かを書いてくることなど、滅多にない。1年に1、2回と言ったところか。私は別にそうした交流が欲しくてここに雑文を書き散らしているわけではない。繰り返し語っているように、老後の道楽でやっているにすぎない。だからなくて当然なのだが、そんな私が珍しくメールを受け取ったので、こちらもまた驚きかつ嬉しかった。ブログを読んでくれる人がいるとわかれば、俗人の私などはついつい頬が緩んでしまう。

 先日『しんぶん赤旗』を広げていたら、2月6日号に大平一枝と言う方が書かれた「『私』を書く際の注意」と題したエッセイが目に留まった。この方は「著作28冊のほか、雑誌や新聞に連載が毎月7~8本」という売れっ子のようで、肩書きは作家、エッセイストとなっている。この私はそんなことはどうでもいいと思っているので、そう書かれたからといって特に何の感慨も催すことはないが、記事の内容は非常に興味深かった。彼女は、「文章を書くとき念頭に置け、ボスに何度も教え込まれたのは、『誰も自分の文章など読まない』である」と書いている。その通りであろう。そう思っていたから嬉しかったのである。早川さんは次のように書いてきた。ご本人の許しを得たので、そのまま転載してみる。

 早川です。ご無沙汰しております。今日の「ブログ」に「『冬の星座』を聴きながら』とあったので、いささか感慨深くお便りします。以前の河島英五の話以外には、あまり音楽の話はなかった(?)高橋さんのブログだけに、意外な側面を発見し、うれしく思いました。元歌のラブソングまで聴くことができ、御礼申し上げます。堀内敬三は外国の名曲を日本に分かりやすく紹介したユニークな音楽家として私も知っています。ドボルザーク「新世界」の第2楽章を「遠き山に日は落ちて」と歌えるようにしたのはあまりにも有名です。子供の頃、毎週ラジオの「音楽の泉」の解説と楽曲を楽しみに聴いていたものです。それで音楽好きになったといってもよいくらいです。今でも手元に、堀内敬三『音楽の泉』全6冊(音楽の友社)が置いてあります。

 「冬の星座」は中学以来、私の愛唱歌でもあります。中学生の頃、私はクラリネットを演奏しており、いわば器楽部の花形でした。おまけに生徒会長でしたから—-。学校での人気ぶりは推して知るべし?!今でもカラオケで、まず喉を慣らすのに歌うのは、「赤とんぼ」ついで「冬の星座」です。(カラオケの採点ではいずれも90点台が出ます)。私自身、音楽好きで大変よかったと思っています。一人になって寂しさをまぎらすため、月に2回ほど、都心のコンサートに出かけています。それが最大の楽しみです。ではまた、5月にお会いしましょう。お元気で!

 以上が早川さんから受け取ったメールである。早川さんが私の「意外な側面」を発見して嬉しく感じたように、私もまた早川さんの経歴に「意外な側面」を発見して驚いた。時折カラオケに行くこともしばらく前に知ってびっくりしたぐらいだから、ましてや中学生の頃の人気者ぶりなど想像だにしなかった。思春期にそんな思い出がある人は幸せ者であろう。私には無縁の世界なので、尚更そう思うのかもしれない。しかしまあ、そんな話を嬉しそうに書いてくる早川さんも、可愛げがあり、お茶目であり、無邪気である。こんなふうに人を冷やかすのが私の悪い癖であるが、老人はすべからく早川さんのようにありたいものである。苦虫を噛みつぶしたような顔をした面倒な老人などは御免被りたいし、自分もそうはなりたくない。

 中学以来の愛唱歌である「冬の星座」を歌うと、カラオケの採点では90点台が出るとのことだが、大したものである。それだけ大好きだということなのだろう。私は恥ずかしがり屋で引っ込み思案な人間だったので、人前で歌を歌うのは苦手であった。昔々職場の教員仲間で温泉に遊びに行き、宴席の後カラオケということになったので、どんなものかと付いて行った。同席した友人のKさんに、「人前で歌うのが何だか恥ずかしいんだよね」などと心境を吐露したところ、「高橋さん気にしなくて大丈夫。誰も聴いてないから」と言われていたく驚いた。それ以来気持ちが吹っ切れて、カラオケに開眼した。

 馴染んでみると、自分が歌っている時に誰も聴いていないのが、どうにも釈然としなくなる。そんなわけで、「ほら僕が歌ってるんだから少しは聴いてよ」などと宣うまでになった。お笑い種である。人は変われば変わるものである。現代労働問題研究会の次回の同窓会は5月に予定されているようだが、食後にカラオケにしけ込むという趣向はどんなものだろう。「誰も聴いてない」のではなく、聴きたくても耳が遠くなって聞こえないといったこともあるかもしれない(笑)。文章も誰も読まないし、歌も誰も聴かないと思い定めることが、悟りを開かんとする老人にとっては肝要なのではあるまいか。老人の話もまた同じであろう。誰も聞くはずがない。

 話はここで終わりにしていいのだが、「冬の星座」の続きとして同じ土居裕子さんが歌っている「ロンドンデリーの歌」も聞いてみた(下の「YouTubeで見る」をタップしてみてください。映像も素晴らしい)。彼女の歌は野上彰訳詞のものである。この野上彰という人物が、小林秀雄作曲の「落葉松」(からまつ)の作詞者でもあったことを今回初めて知った。一つの楽曲から、実にさまざまな人々の繋がりが浮かび上がってくるものである。この「ロンドンデリーの歌」は「ダニーボーイ」の名称でよく知られており、またたくさんの人々が訳詞しているようが、親元を去った子を想う母の嘆きと哀しみが切々と歌い上げられており、何とも胸に迫るものがある。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2024/02/16

陽光煌めいて(1)

 

陽光煌めいて(2)

 

陽光煌めいて(3)