相模川の河原にて

 7月の年金者組合のウオーキングは7月23日に行われた。旧暦で言う大暑の真っ最中であり、朝からうだるような暑さであった。コロナの感染者も爆発的に増えてきており、一瞬出掛けるのを自重しようかとも思ったが、目的地が「相模川ふれあい科学館アクアリウムさがみはら」(随分と長たらしい名称であるー笑)という場所で、野外を歩き回るわけではなかったので、気分転換を兼ねて思い切って顔を出してみることにした。

 この間「早春の上州紀行」と題して長らく書き継いできた文章も、ようやくにして終わった。そして、それらの文章を紀行文として社会科学研究所の『月報』に掲載してもらうべく、体裁を整えたうえでメールで送付しておいた。ついでに書いておけば、『遠ざかる跫音』というタイトルにした今年のシリーズ「裸木」の第6号の原稿も、7月の初めに冊子の作成をお願いすることになったYさんと会って、既に彼女に渡してある。つまり、あれこれの懸案事項が片付いて、これまでのいたってシンプルな年寄りのブログ三昧生活に、ようやくにして戻ったというわけである。こういう時には、一息付きたくもなるし気分転換もしたくなる。

 これまでもブログにはほぼ1週間ほどの間隔で投稿していたので、これから先もそれを変えるつもりはなかったが、投稿日を分かりやすくして忘れないようにするために、毎週土曜日に書いたものを載せることにした。定年後は、週単位で動いていた仕事から離れたので、どうしても曜日の感覚があやふやになってくる。だとしたら、先のように曜日で決めておくのもいいのかもしれないなどと思ったからである。次の土曜日までに何を書こうかと考える、そんな日常生活もボケ防止には有益なのだろうし、細やかな愉しみの一つの形なのではあるまいか。

 それともう一つ決めたことがある。この機会に長すぎる文章からおさらばしようと思ったことである。私の癖ではあるのだが、思い付いたこと、気になったことをそのままだらだらと書き継いでしまいがちである。話はそれほど長くはないはずだが、文章にすると意外にも長い。軽妙さや軽薄さ(洒脱と書きたいのだが、とてもその自信はないー笑)を残しながらも、もっと端的にシンプルに分かりやすく書くことにし、字数の上限を2,500字辺りに再度設定し直すことにした。

 昔は一回に4,000字ほども書いていたが、隙間の時間にスマホで読むには長すぎると言われたこともあって、昔よりは短くするように心掛けてはきたのだが、自分ではっきりとした規準を設け、それを意識するようにしていないとどうしても長くなりがちである。2,500字以内に収めることが基本だが、長くなりそうであれば意識的に分割することにした。

 話をふれあい科学館に戻すと、ここは相模川の持つ魅力と豊かさを、川とその周辺に生息する淡水魚を中心に展示して、紹介しているところである。もともと川というものは、古くから人々の暮らしと深く関わっており、生活を支える存在だった。そして、現在も多くの生き物たちがその流れによって支えられている。相模川も同じである。

 この水族館の見所は二つあった。ひとつは、全長113㎞に及ぶ相模川の水源から河口までを、長さ40mの大型の水槽で表現した流れのアクアリウムである。流域で変わる生き物を眺めていると、相模川の多様性が実感できる。大型のスクリーンに映し出された四季の映像も美しかった。もうひとつは、鯉や鮎、ウグイなどの川魚に直接餌をやることができる屋外の水槽である。上からだけではなく外からもよく見えるので、餌に食らいついてくる魚たちを眺めるのは、なかなか壮観である。私が感心するぐらいだから、子供たちも興奮していた。

 その他に学習ゾーンや体験教室ゾーンもあったが、こちらは私のような年寄りにはあまり関係がない。できることなら館内に飲み食いしながら一休みできる場所があればよかったのだが、そうしたものはない。ゆったりとした広場となっている外の木陰で一休みしようかと思ったが、一度出ると再入館はできないとのこと。このあたりが何ともである(笑)。いろいろと事情はあるのだろうが。

 昼近くになって戻ることになったが、せっかく相模川の側まで来て川も見ないで帰宅するのはもったいないと思い、一人で川まで歩いてみることにした。高田橋の側にあった食堂で昼食をとり、河原に降りてみた。かなり広い河川敷であり、クルマでも入ることができる。あまりに暑いので、橋の下の日陰となった場所にクルマは止められており、テントがいくつも張られていた。かき氷屋さんが店を出していたので、私も買って暑さをしのいだ。昔田舎では氷水(こおりすい)と呼んでいた。

 相模川を一目見ようと思ったのが河原まで来た動機だったが、もしかしたらいい写真が撮れるかもしれないなどと思っていた所為もあったかもしれない。気に入った写真を何枚か撮ることができた。夏に川と橋が揃うと、幼かった頃の田舎の情景をいつも思い出す。そこには父もいたし、弟もいたし、近所の遊び仲間もいた。こんなにも鮮やかに思い出すところを見ると、少年時代の印象というものは、心のフィルムに焼き付けられた写真のようなものなのかもしれない。

 ところで相模川の魚といえば、なんと言っても鮎であろう。私は釣りに関してはまったくの門外漢だが、ここの鮎釣りはたいへん有名らしい。私は末っ子に鮎子という名前を付けた。そうしたら、彼女は何度か「お父さんは釣りが好きなの」と尋ねられたことがあったらしい。若くて元気のいい女性を若鮎のようだと評したりするが、その元気の良さに因んで命名しただけであったのだが…。

 幼い頃は無邪気で天真爛漫で若鮎そのものだったが、結婚し子供が生まれてからはあれこれの苦労もあり、もはや若鮎と形容することはできなくなった(笑)。既に親鮎である。たまたま『新日本大歳時記』(講談社、2000年)を開いたら、夏の季語である鮎(若鮎は春の季語だとのこと)について、「姿に気品があって川魚の王」であると記されてあった。こうまで書かれれば娘もきっと満足であろう(笑)。

 言わずもがなのことではあろうが、きっと誰もが同じような道を辿って生きているはずである。楽なだけの人生など何処にもない。帰り際に土手から空を眺めたら、夏の雲が力強く湧き上がっていた。鮎の塩焼きにビールというのも乙なものではないか、などと好き勝手なことを夢想して帰宅した(笑)。家人からは、この暑い日に外を歩き回っていたら熱中症になると、心配のあまりの小言を頂戴した。確かにそう言われてもやむを得ないような暑さではあったのだが…。(これで2,725字である。次回はもっと短くするつもりである。)