理事長撃沈す(笑)

 以下の文章は、自分が住む団地の管理組合が発行している「広報誌」の第3号に載せた文章である。かなりの部分はそのままにしてあるが、一般の住民向けの文章なので、余りに本心をそのまま曝け出すと余計な摩擦を生み出しかねないので、ある程度は抑制をきかせておいた。しかしながら、ブログに投稿するにあたっては、ところどころでかなりはっきりと今の自分の思いを記してみた。そうでなければ、ブログに投稿している意味などないようにも思われたからである。そんな経緯を感じ取って読んでいただけたら嬉しいのであるが…。

 第3号の「広報誌」に何か書かなければならない時期となった。第2号が出てからそれほど時間は経ってはいないようにも思えるが、年をまたぎ早春の息吹も感じられる季節となった。「刑期」を終えて「娑婆」に出るまで、残すところあと僅かである(笑)。しかしながら、何事もそうであろうが、ゴールまであと僅かとなったこの時期、胸突き八丁のこの頃こそが、もっとも苦しいのである。ご多分に漏れず現在の私もそうである。

 先日、ある理事の方から「理事長、袋だたきにあってましたね」などと言葉をかけられた。慰めとも、励ましとも、冷やかしとも取れるような言葉であった。当の私はそこまでとは思っていなかったが、傍目にはそんなふうに映ったのであろう。例のペット問題に関するアンケート事件である。管理規約に違反して猫を3匹も飼っている理事長が、あろうことか、今後のペット問題に関してアンケートを実施することなど許されないということなのだろう。まったくの「正論」ではある。さまざまな事情で頭を下げる羽目に陥った。私の方が、年を取っている割には子供であり、おっちょこちょいなのである。

 今回ここに書く文章についても、これまでと違って一瞬迷いが生じた。第1号でも第2号でも、管理組合という「組織」から、そしてまた理事長という「役職」から意識的に離れて、自分の言葉で文章を綴ろうとしてきたのだが、今回も同じように書いていいものかどうかという迷いである。誰かから何かを言われたわけでもないのだが、「組織」の言葉で「役職」らしく書くようにというささやきが、どこからともなく聞こえてくるのである。これもまた「正論」である。今風に表現すれば、「少しは空気を読め」といった無言のプレッシャーとでも言おうか。

 何のプレッシャーも感じない時に、無邪気に振る舞うことなど誰にでも出来るだろう。それこそ以前の私である。品のない文章ではあるが、自虐や諧謔や道化を装って笑いを取ろうとしているからである(笑)。だが、そんな人間の真価が問われるのは、今のようなプレッシャーが感じられる時である。今回私は二重、三重の「正論」に取り囲まれて、いささか身動きの取れない事態に陥った。まさに不徳の致すところである。組合員の皆様にもご迷惑をおかけした。元々がすっかり禿げあがった頭なので、頭を下げるとそれだけで文字通りの「坊主懺悔」となる(笑)。「プロ」や「ベテラン」や「専門家」を自称する周りのお歴々からは、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と思われていたのかもしれない。

 そのうえでのことだが、私の皮膚感覚からすると、「正論」ばかりが声高に叫ばれる状況に、わずかながら(本心はかなりだが-笑)居心地の悪さを感ずるのである。身体が強ばってしまって、少し(本心はかなりだが-笑)窮屈になるのである。さらに付け加えておけば、声高な「正論」が何とも怪しげなのは、当の本人が自らの「論」の綻びにまったくと言っていいほど無頓着、無神経で、他者が反論しにくい立場にあるのをいいことに、微に入り細にわたった攻撃(正確には口撃か-笑)に熱中し続けていることである。弁が立つことに、あるいはまた、あれこれと物知りであることに酔ってさえいる。昔の職場にもそんな人間がいたが、愚かしいまでの自己絶対化に平気な人間は、どこにでもいるものである。

 同じ「セイ論」なら、「政論」や「聖論」や「性論」の方がずっと好きである。「政論」(「世論」でもいいがこれだとセロンと間違われる)、すなわち世の中の動きをああだこうだと論じたいのである。論ずべきことは山のようにあるではないか。「聖論」はどうか。こちらは芸術の世界のことである。読んだ本や観た映画、聴いた音楽のことを自由に語りたいのである。こちらも語るべきことはあれこれある。私としては、「論」にタブーを設けるつもりはまったくないので、「性論」であっても気にはしない。こうした話が少しでも混じった「正論」、言い換えれば、ちょっとでもゆとりの感じられる「正論」だと嬉しいのだが…。
 
 なかなか「空気」を読むことの出来ない私にとって、ストレス解消法はまずはお笑いである。夜寝るときにユーチューブであれこれ探し、笑いながら寝ている(笑)。人間は「考える葦」でもあろうが、「笑う哺乳類」でもある。寝しなの笑いが、声高な「正論」によってもたらされた心身の強ばりをほぐしてくれるので、朝起きるとすっかり元気になっている。綾小路きみまろ、サンドウィッチマン、博多華丸・大吉ときて、和牛や東京03を過ぎ、小朝や小三治へと辿り着いた。スマホがこれほど役に立つツールだとは思いもよらなかった(笑)。

 そしてもう一つは自己流のブログである。パソコンに向かって好き勝手に文章を紡いでいると、いつしか心が穏やかになる。広報誌の原稿にはタイトルは付いていないが、これまでに書いたものは、「管理組合の理事長となって」や「理事長奮戦中!」という題を付して、ブログに投稿してある。ではこの第3号はどうか。タイトルだけは既に予告済みで、「理事長撃沈す」である(笑)。恨み辛みを書き散らすだけでは、他人に読んでもらえるような文章にはならない。そんな臭みが少しは濾過されるようになったら投稿してみたい(それほど濾過もされてはいないのに、こうして投稿しているのではあるが-笑)。

 先日配布物を配るために夜団地内を一人で徘徊した。自分で蒔いた種は自分で刈り取るしかなかろうとも思ったからである。まだ8時を過ぎたばかりだというのに、「清く正しく美しい」(いささか皮肉交じりの形容詞ではあるが-笑)団地は、物音ひとつたてずに冥い闇に沈んでいた。明日からは弥生、春爛漫の季節まであと少しである。今年はことのほか春が待ち遠しい(笑)。理事長の仕事を終えたら、気心の知れた住民の方々と酒でも酌み交わしながら、「政論」やら「聖論」やら「性論」を心ゆくまで語り合ってみたいものである。そんな楽しみが待っていることを期待して、残された最後の仕事に精を出す日々である。