東日本大震災私記(二)

 第1章 福島の人間として

 東日本大震災に見舞われた2011年7月にNPOかながわ総研の総会があり、当時理事長だった私は、開会の挨拶のなかで当然ながら震災にも触れた。しかしながら、場所が場所なだけに、いささか型どおりの挨拶とならざるを得なかった。それはそれでやむを得ないとは思ったのではあるが、私の胸の内には、こうした無難な挨拶からはいささかはみ出したものも含まれていた。そんなものを素直に吐露すれば、誤解もされるであろうし批判もされるに違いない。だがそれを承知で、あえて胸の内を吐露することにした。

 2011年9月7日の『読売新聞』は、先頃「死のまち」発言で辞任した当時の鉢呂経済産業相の、「計画段階の原発を新たに建設するのは困難」であり、工事中の原発については工事再開の是非を「今後検討していく」との発言に対し、建設推進を求めてきた地元関係者が反発を強めているとして、関係する二つの村の村長の談話を紹介している。もちろんながら、『読売新聞』は村長談話を批判的に紹介しているわけではまったくなく、批判は「唐突な発言」をした大臣に向けられているのであるが、あれだけの大事故があっても、まだ地元関係者が原発建設の姿勢を反省さえしていないし、『読売新聞』という大マスコミが旧態依然のままでであることにあらためて驚かされる。そしてじつは、こうした地元関係者の姿勢は、今回緊急避難を余儀なくされた福島の地元関係者の3.11以前の姿勢そのものでもあったことに思い至るのである。

 骨の髄まで原発交付金に頼り切っていた地元の町長や村長は、国や東電に「だまされた」と発言したのであるが、「だまされた」とはいったいどんな物言いなのであろうか。騙されることによって受け取ってきたおこぼれには口を拭って、まったくの被害者(たとえば飯舘村のような)ででもあるかの如くに語ることは許されまい。映画監督だった伊丹万作は、「戦争責任者の問題」(『伊丹万作全集第1巻』筑摩書房、1961年所収)という小論で、「だまされるということ自体がすでに一つの悪」であり、そして「あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体」なのであると指摘した。

 さらに視野を広げていけば、原発推進派の町長や村長、さらには県知事を選挙で選び続けてきた地元の町民や村民や県民にも、そしてまた、ここまで原発を乱立させた自民党を長らく支持し続けてきた国民にも、同じことは言えるのではあるまいか。「自発的隷従」の世界が日本を覆っていたのである。だからこそ、「第二の敗戦」とまで評されるのであろう。伊丹のような厳しい指摘を、私はもはや他人事のように聞くことはできない。

 彼は「だまされたといえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人」は、「おそらく今後も何度でもだまされるだろう。現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいない」とも述べたが、確かにその通りである。日本経団連の米倉会長(当時)は、「1000年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」などととんでもない暴言を吐いたが、そんな老害の見本のような人物が辞任もせずにいられるのだから、原発がなければ産業界は国際競争力を失うといった「別のうそ」の効能は、結構強力なのだろう。

もう一つ書き留めておきたいのは、放射能被害に関するあまりにも神経症的な対応についてである。京都では、「五山送り火」に陸前高田の薪を使用することにしていたらしいが、市民からの批判があって取りやめることにした。しかし、そのことにも批判があって再度取り寄せたものの、今度は表皮のついた薪からセシウムが検出されたとして、その使用を中止したのである。現実の死者を弔うことさえできない「五山送り火」など、遺物のなれの果てに過ぎないということだろう。福岡では、開店予定だった産地直送品の販売店「ふくしま応援ショップ」が、出店を取りやめたという。「福島からのトラックは放射能をばらまく」とか「九州に福島の物を持ち込むな」といったメールがあったからだという。そのうち、福島の人間は福岡に来るなとでも言いかねないほどの、何とも潔癖なる衛生思想ではある。

 ここに登場する市民とはいったい何者なのか。たとえ基準値以下であろうとも、自分の身の回りに放射能の害のありそうなものは一切置きたくないと考えるような人間が、果たして市民かどうかは疑わしい。そうした人々は、「私益」には敏感であっても他者に対する想像力を欠落させたただの「私民」に過ぎないのではあるまいか。壊滅し尽くした陸前高田の被災地に立ってみれば、そしてまた福島の緑豊かな農村地帯を通ってみれば、先のような行為が、どれほど無神経かつ愚劣きわまりないものであるかがよくわかるはずである。

 最近あちこちで引っ張りだこの放射線防護学の専門家である安斎育郎は、2011年9月9日の『朝日新聞』で次のように書いている。「基準以下でも放射能のあるものは一切嫌だと判断して行動する自由もあります。一方で、『それは生産者を苦しめる非理性的な行動だ』と批判する自由もあります。被災地の産品を買わなければ罰金をとるといった強制的な方法ではなく、まずは両方の自由は自由として認めあうことが大切です」。「被災地の産品を買わなければ罰金をとるといった強制的な方法」が、いったいどこでどのように具体化されようとしているというのか。そもそも「私民」ばかりが蔓延したわが国のような社会で、そんなことができるとも思えない。

 今起こっているのは逆の展開である。京都や福岡の事例を「非理性的な行動」であると真っ向から批判する言論など、ほとんど聞かないからである。安斎のような専門家のあちこちでの発言が、そうした批判を阻む壁になっているのであろう。「私民」社会で叫ばれる「絆」や「連帯」がどれほど薄っぺらいものかは、この二つの事例が余すところなく示している。

 震災直後に現地を走り、「いま思い出しても肺腑を抉り抜くような怒りがこみ上げる未曾有の大惨事」を裸眼で直視した平山夢明は、『仙台学』の12号で書いている。「善意はそれを施す者に〈正しく生きることを要請する〉。しかし、その正しさは相手の正しさではなくて〈社会が理想とする正しさ〉だったりするのだ。俺は自由になって下さいと云いたい。金も受けとって下さい、どうせ余った金なんです好きに使い散らして下さいと云いたい。酒でも良い、博奕でも良い、女でも良い、とにかくもう一度〈生きてみるかな〉と思うまでは社会のあれやこれやから自由でいて下さいと云いたい」。

 さらには、「ぬくぬくと飯喰って風呂入って、心地いい部屋にいて目腐れ銭を投げたぐらいで俺たちの莫迦をやる自由、底の底を着くまで呆れ果てられるまで絶望する自由を奪うなと云って下さい」とも書く。私には、このやたらに行儀が悪くて人間臭い叫びばかりが深く心に染みる。大震災後の被災地の呻きを「忘却」し「排除」しようとする「私民」には、平山のこうした叫びがどのように聞こえるのであろうか。

 こんなことを書き連ねているうちに、藤枝静男の作品「妻の遺骨」(『藤枝静男随筆集』講談社文芸文庫、2011年所収)を思い出した。彼は亡くなった妻から、骨のかけらを大好きだった倉敷の大原美術館の庭の隅にでも埋めてくれと頼まれていたので、受付嬢の許しを得て2センチばかりの骨を埋める。だが翌日事務長から、埋めた骨を掘り出して持って帰るように言われる。そこで持って帰ろうとするのだが、慌てていたり骨の形も不確かだったために、石片を骨と間違えてしまう。そこにまた件の事務長が現れ、彼から「これでしょう」と骨片を渡される。

 こうした残酷なめにあって彼は年甲斐もなく涙をこぼすのである。そして最後の一行に書く。「大原美術館は実に素晴らしい美術品でいっぱいである。しかしもう二度と行きたくない」と。余りにも愚劣なのである、こうした事務長のような人物が。京都には歴史的な神社仏閣がたくさんあるし、福岡にも旨いものは多い。だが「私民」がもともと好きではない私は、京都にも福岡にもすっかり興味を無くした。福島に育った一人の人間の真っ当な感性が、そうさせるのだろうと勝手に思っている。