晩夏の両毛紀行(二)-熊谷駅に降り立って-

 前回、人文科学研究所が編集した『人は何を旅してきたか』という本について触れたので、その続きから。ここに収録された5本の論文のうちの3本は海外に向かった旅の話なので、私のような興味や関心の範囲がきわめて狭い人間には到底読めないだろうと思い、残りの2本を読んでみた。亡くなられた青木さんが書かれた「産業観光への誘い」と、同じ学部で同僚だった永江さんが書かれた「近代日本の旅と旅行産業」である。ともに学ぶことが多かった。もっとも、こちらはうした分野に関しては元々何も知らないに等しいので、どれを読んでも学ぶことになるわけではあるのだが…。

 この二つの論文は、「産業観光」あるいは「観光産業」と、ともにタイトルに「産業」と付いている。近年の私は、それだけでいささか読書意欲を削がれがちになる(三業であればそうでもないのだが)。何故なのだろう。すっかり年寄りになって、現代よりも過去への郷愁に心が動かされがちになっているからであろうか。あるいは、私が離れてしまった経済学の匂いのようなものを感ずるからであろうか。はたまた、私が好む旅の姿には似つかわしくない言葉のように思うからなのであろうか。

 そんなわけだから、それほどの意欲も持たずに読み始めたのだが、中身は予想したものとはすっかり違っており、いい意味で裏切られた気分に陥った。とりわけ青木さんの論文などは、タイトルを考え直した方がいいのではないかとさえ思ったほどである。読書の愉しみはこうした発見にもある。寺社への参詣から始まった観光が、物見遊山へと広がり、さらには旅する人間の関心も見物から名物へと向かっていったようなのだが、その世俗化の流れが豊富な文献の渉猟によって跡付けられていた。

 それに対して、永江論文の方はJTBを軸にして日本の観光産業の発展を丁寧に整理しており、こちらも勉強になった。明治初期に始まった観光に関する政策は、外貨獲得のための外国人観光客の誘致を目指していたようなのだが、それが国内の人々の観光旅行への関心をもたらし、戦後になるとその関心は国内旅行から海外旅行へと発展していくことになる。Go To トラベルなどが世情の大きな話題となったことからも分かるように、観光産業は現在の日本経済にとってきわめて大きな比重を占めているのである。そんなことがよく分かる論文だった。

 9月の初めに出掛けた調査旅行では、最終日に中禅寺湖の湖畔に建てられた英国大使館別荘や金谷ホテル歴史館を訪ねた。そこで感じた明治の残影に関しては、後に詳しく触れてみたい。名前だけしか知らなかったイザベラ・バードやアーネスト・サトウの事績にも触れることになったので、繋がりはいろいろなところにあることを改めて感じた。そう言えば、青木論文には銭屋五兵衛の旅の話が出てくるが、そこには信州の村々が養蚕と製糸業で変貌したと記されていた。そこに添えられた一茶の句「村中にきげんとらるゝ蚕哉」も興味深かった。

 話が大分脇道にそれたようなので、タイトル通りに社会科学研究所の実態調査に戻すことにしよう。今回の夏期実態調査では、「近代化遺産を通して学ぶ社会変化」のPart2ということで、前回に引き続き北関東を廻ってきた。この実態調査に参加させてもらった私は、初日の9月6日に集合場所である熊谷に向かった。前回の春に行われた実態調査でも高崎線に乗っているのだから、当然熊谷駅を通っているわけだが、ただ通過しただけなのでまったく記憶に残ってはいなかった。夏の暑さで知られるこの町に降り立ったのは、今回が初めてである。

 自宅からどのようなルートで行けばいいのか知りたければ、スマホが教えてくれる。どうせ時間に余裕のある身だし、掛かる時間にそれほどの違いはないので、最安値のルートで熊谷に向かった。駅の側の食堂で昼賞をとり、その後駅前を歩いていたら、ラグビーに関する記念碑がいくつか目に付いた。野球にもサッカーにもラグビーにもまったく関心を払っていない私のような人間には、何故そんなものがあるのか分からなかった。上の小僧はラグビーが大好きで熱中しているようなので、スマホで写真を撮って送ってやったら、熊谷はラグビーの聖地だということだった。

 知らない場所に出掛けると、時間があれば本屋に顔を出すのが常である。覗くのは地元関連の出版物のコーナーである。ブログに文章を綴る際の資料を漁ろうとの魂胆である。駅の構内にあった大きな書店で見つけたのは、『世界遺産 富岡製糸場』(勁草書房、2016年)という著作である。春に富岡製糸場を訪れた際にも、あれこれの関連する著作を買い求めたが、その時には気付かなかった。著者は遊子谷玲(ゆすたに・れい)という方で、著者紹介欄には「絹産業、世界遺産などについてフィールドワークで調査・研究を行う在野の研究者」とあった。名字もたいへん珍しいが、その内容もきわめてユニークである。著者は、この著作の狙いを次のように述べている。紹介しておく。

 この書は、富岡製糸場の世界遺産登録に触発され、この施設についてこれまであまり語られてこなかった視座から、産業の世界遺産登録の意義をあらためて問い直してみたいという目的で書かれたものである。とはいっても、すでに様々な研究のあるブリュナや和田英のことを詳しく語ろうという内容ではない。 正史のど真ん中ではなく周縁部分、あるいは少し脱線をしながらも意外なつながりを発見できるような視点から、富岡製糸場や生糸を挽くという産業について語ってみようという試みである。

 富岡製糸場に関してにわか勉強を始めた私は、「正史」のような文章ばかりを読んできたので、正直なところいささか飽きがきていたが、この著作はまったく違った。「周縁」までたいへん丁寧に調べ上げられているので、読んでいて飽きることがない。富岡製糸場を語る際の必読文献であると言って間違いなかろう。何故この著作をこれまで知らずにいたのだろうか。考えると何とも不思議な気がする。こちらの文献渉猟が雑だった所為ではあろうが、もしかしたら、タイトルがあまりに「正史」風なので、もういいと思って敬遠した可能性もあったかもしれない。そんなわけだから、この後の叙述に際して大いに参考にさせてもらうつもりである。

 それにしても、熊谷でこの著作に巡り合うことができたのは幸運だった。こういうこともあるから、本屋巡りは大事なのであろう。今回の実態調査は3泊4日だったが、そのうちの初日と翌日は前橋のホテルに連泊した。そんなわけで、前橋でも駅前にあった大きな書店に顔を出してみたのだが、そこには地元の出版物のコーナーすらなかった。県都前橋であり、「詩(うた)のまち」前橋だというのに、いったいどうしたことだろう。念のために駅の構内にまで足を伸ばしてみるべきだったかもしれない。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2022/11/12)

実りの秋三様(1)(近所の農園にて)

 

実りの秋三様(2)(近所の農園にて)

 

実りの秋三様(3)(近所の農園にて)