新春の寺社巡りから

 年金者組合は、毎年正月に新春の寺社巡りを行っており、この私は何時もそれを愉しみにしている。何故かと言えば、年が改まって最初に寺社に赴くと、何とも清々しい気分になり、いつも以上に心が洗われるように思えるからである。俗人の私であってもそう思うのだから、普通の人々であれば尚更であろう。賽銭を上げるわけでもなく、手を合わせるわけでもなく、頭を垂れるわけでもないのだが、いつも先のような気持ちになる。今回は町田駅の近くにある寺社を4カ所巡ったが、この企画は昨年末には知らされていたので、能登での大地震の直後ではあったが計画通りに実施された。皆が能登の被災者のこと思いながら、寺社を巡ったに違いあるまい。

 私にとっての町田は、小田急線と横浜線が交わったかなり大きな繁華街であり、猥雑で喧噪を極めた街のイメージだったから、駅の近くにたくさんの寺社があるなどとは思ってもみなかった。2年ほど前に、三橋國民さんの作品を見に駅の側にある勝楽寺釈迦堂に出向いたことしかないので、今回廻った寺社はいずれも初めてだった。町田というと思い出すことがある。大分昔になるが、既に亡くなったTさんと年に何度か町田で会い、いささか古びた喫茶店で旨いコーヒーを飲みながら愉しい雑談に耽った。そんな場で彼から俳句の話を聞くのが好きだった。

 彼は俳号を青魚(せいぎょ)と称していたが、その由来は、鯖(さば)の字にあるとのことだった。鯖を魚と青に分けたのである。鯖と言えば「鯖を読む」という諺がよく知られているが、この読むも俳句を詠むに掛けていたのであろう。「鯖を読む」とは、いい加減に数えたりごまかしたりすることの例えであるが、Tさんは「自分の俳句なんていい加減なものだよ」と言いたかったのであろう。その先をもう少し読むならば、肩肘張らずにいい加減な気持ちで作句した方が、かえっていいものができると教えたかったのかもしれない。芭蕉の俳句の神髄である「軽(かろ)み」のことででもあったのか。

 私にとっての最近の町田と言えば、まずは、駅から少し離れたところにある「梅の花」という湯葉と豆腐の店である。元同僚の3人と時折ここで会食している。個室がとれて落ち着いた雰囲気で食事ができるので、何時もこの店に集まるようになったのである。毎回の店探しが面倒になったことも、その理由としてあげられるのかもしれない。もう一つは、小田急デパートの最上階にあるレストラン街である。ここではやはり元同僚のKさんとたまに会う。Kさんは現在一人暮らしなので、時折無性に雑談を交わしたくなるのであろう。私も雑談は嫌いではないから、こちらから誘うこともある。前回は牛タンと和牛焼きの店だったが、なかなか美味だったので、これからは何時もここになりそうである。

 そんなわけだから、私にとっての町田は飲み食いする場所であって、寺社巡りをするような所ではない。駅の北口を出てしばらく歩くと、街の風景は一変して繁華街からごく普通の街並みに変わる。最初の寺は、金森山宗保院(きんしんざん・そうほういん)という名の曹洞宗の寺であった。入口の左右に金森山と宗保院と書かれた立派な石柱が建てられていた。隷書体のような独特の書体であった。山門の両脇には仁王像があり、その面構えが見ているこちらを圧倒する。この日は訪れる人が誰もいなかった。

 次に訪ねたのは町田天満宮である。空は晴れて日差しはあるのだが、風が殊の外冷たい。手袋をしてこなかったことを悔やんだ。天満宮というのだから、菅原道真を祭神とする神社であり、天神とも呼ばれている。道真が優れた学者でもあったことから、天神は「学問の神様」となったのだという。この辺りのことはよく知られていることだろう。年金者組合のウオーキングに出掛けると、参加者は全員一言感想を書く。その感想文が翌月のニュースに掲載される。それを読んでいたら、次のような文章が目に留まった。

 「受験シーズンで子供連れの方等、参拝に行列が出来ていました。 広い境内は毎月一日(ついたち)にがらくた骨董市 (こっとういち)が開かれます。 コロナを経て一昨年秋から再会。玩具、着物、焼き物、がらくた骨董何でも勢揃い。 100店以上の店が並び朝の7時から午後3時まで、それは賑やかなものです。 冷やかして歩くのは面白いです」。浮世離れした私などは、これを読んで何故ここだけ参拝者の行列が出来ていたのかがよく分かった。そして、そのうち骨董市にも出掛けてみたくなったのだが、毎日が断捨離日の身なので迂闊に物は増やせない。我慢するしかなかろう。

 この天満宮には寝そべった牛の像が置いてあった。かなり大きくて立派な牛である。「撫で牛」と言うらしい。案内人のSさんは、「自分の身体で具合の悪いところをさすり、その手で牛を撫でると効き目があるらしいですよ」などと語っていた。そんなことをやっている参拝客が多いと、見ているこちらもついついその気になってやりたくなる。それならば、自分の禿げ頭をさすりその手で牛の頭でも撫でてみるかと思ったが、あまりにも児戯に等しい振る舞いのように思われたので断念した(笑)。この年になると、髪の毛があろうがなかろうがまあどうでもいい。

 天満宮を後にしてしばらく歩き緩やかな坂道を登って行くと、次の目的地である龍澤山祥雲寺(りゅうたくさん・しょううんじ)に出る。高台にあるお寺なので、ここからは町田の住宅街が遠望された。家々がびっしりと立ち並んでおり壮観である。ここも曹洞宗の寺であり、今年の干支である辰年に因んで、今回この寺を訪れることになったのであろうか。ところで、「辰」と「竜」と「龍」はどう使い分けられているのであろうか。そんなことがふと気になった。調べてみると、「辰」は中国由来で干支に用い、「竜」は西洋由来でドラゴンのことであり、「龍」はこれも中国由来で四霊(しれい)のひとつとあり、王権の象徴らしい。

 この寺にはたくさんの見所があり、七福神像や五百羅漢(悟りを開いた高僧のこと)像、地獄で亡者の審判を行うとされる十王像、それに十二支像などがあった。たくさんの像が並んでいるのはいいのだが、どれもこれも比較的新しいので、まだ趣を感じさせるには至っていないように思われた。寺内の池には、何匹もの大きな鯉が悠々と泳いでいた。私が眺めていて胸に迫ったのは、赤子を抱いて立つ巨大な観音菩薩像であった。澄みきった空に立つその像を見上げていたら、急に昔のことが思い出された。その所為だったのか、カメラを向けたらその像が僅かに歪んだ。

 最後に訪ねたのは、室町時代の創建と伝わる旧高ヶ阪(こがさか)村の鎮守神である高ヶ阪熊野神社である。昔は村の素朴な神社だったのであろうが、今は立派な作りである。ここには余計な物がほとんどなかったので、落ち着いた時間を過ごすことができた。4カ所廻ったうちの最後の寺社となったが、それに相応しい場所であったようにも思われた。寺社巡りの最後となったので、ここでも被災した能登の人々のことをあらためて思った。北国の寒い冬をどう乗り切ろうとしているのか。家族の死と崩れ果てた家を前に、途方に暮れているに違いなかろう。もしかしたら、「神も仏もない」と嘆いておられるのかもしれない。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2024/01/16

新春の寺社巡りから(1)

 

新春の寺社巡りから(2)

 

新春の寺社巡りから(3)

 

 

新春の寺社巡りから(4)