「世の中」を見る眼

 私は2010年6月から2015年6月まで、NPO法人かながわ総研の理事長を務めた。この団体はどんな組織なのかというと、ホームページによれば、神奈川の「県民及び県民諸団体と共同で、医療・福祉、教育・文化、労働・地域経済、環境、まちづくり、平和と国際協力など神奈川県民をとりまく諸問題に関する政策の研究、相談および情報提供等をおこなうことにより、県民の政策提言づくりを支援協力し、住みよい神奈川をめざす県民活動の発展に資することを目的」として設立されている。横浜に住んでいることもあって、私は現在も理事の一人であるが、もはや会合にもほとんど顔を出していないので、名前だけの存在に過ぎない。

 昔書いた文章を整理していたら、このかながわ総研の理事長をしていた時の挨拶文が出てきた。毎年6月頃に総会が開かれるのであるが、その時に理事長は冒頭の挨拶をすることになっている。その挨拶文である。こうした時の挨拶など誰も真剣に聞いているわけではないのだから(笑)、まあ型通りでいいようなものであるが、私としてはできるだけ自分の頭で考えたことを、自分の言葉で話そうと試みたくなる。そんな「癖」が何時までも治らない。「癖」には、当然ながら私の「世の中」を見る眼がかなり率直に示されることになる。それを感じ取ってもらえたならば、私としては嬉しいのであるが…。

 以下の挨拶文のほとんどは、NPOかながわ総研が隔月で発行している『研究と資料』に掲載されたものである。当時のものに若干の加筆や修正を加えてあるが、大筋はいじっていない。2013年の総会での挨拶は、身辺が慌ただしかったこともあったのか、まったく型どおりの挨拶で終わらざるをえなかったので、割愛してある。
 
●露わになった「社会の断面」(2011年)

 昨年度(2010年)の総会で理事長に選ばれましたが、その時にはどうしようもない用事と重なり欠席せざるをえませんでした。そんなわけですので、最初に簡単に自己紹介をさせていただきます。1947年生まれの63歳。現在小田急線の向ヶ丘遊園駅から15分ぐらいのところにある専修大学の教員をしており、担当している科目は「労働経済論」です。日本の労働問題、とくに賃金や労働市場、労使関係について研究しています。しばらく前まで大学の行政に携わっていたこともあって、とんでもなく忙しい日々を過ごしていましたが、このところようやく自由な時間が持てるようになり、研究活動にも徐々に復帰しつつあるところです。

今年でかながわ総研は創立30周年を迎えるそうですが、私がかながわ総研に関わりを持つようになったのは田中所長の時代からです。当時は米倉さんが事務局長を務めておられましたから、あの頃からだいぶ長い時間が経ちました。その頃私は(財)労働科学研究所に勤めており、下山房雄さんに連れられてここに顔を出したわけです。総研で何ほどのことをしたわけではありませんが、時々雑誌に雑文を書いたりしていました。

 今ではいつの頃か忘れかけていますが、梶田さんや岡本さんに口説かれて理事になり、副理事長になり、そして前理事長の中西新太郎さんの後任で理事長になったというわけです。ご存じのように、中西さんは現代の若者をめぐる状況に関する鋭い分析で知られ、たくさんの著作もある方ですが、そのために超の付くぐらい多忙な方です。私などは気が弱いものですから、端で見ていて「身体は大丈夫ですか」と本気で心配してしまいました。そうしましたら、そんなに心配ならおまえがやれということで、引き受けざるを得ない羽目に陥ったというわけです(笑)。理事長としてたいしたことはできそうにありませんが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 ところで今日7月2日には、明治公園で「原発ゼロ」をめざす集会が開催されています。市民のパレード(私のような古いタイプの人間には、デモの方が収まりがいいのですがー笑)、福島での集会、そして労働組合も参加した今日の集会と続いていますが、大きな集まりとなっていると嬉しいです。これからは、さまざまな人々が「原発からの撤退」の一点で力を合わせることが必要です。反原発も、脱原発も、原発ゼロもともに手を組んで、原発からの撤退に向けて大きな流れを作り出していかなければならないのではないでしょうか。

世界の動きを見てみますと、IAEA(国際原子力機関)のあるオーストリアには原発は1基もなく、イタリアは国民投票によって原発廃止を決め、自然エネルギーの転換に大きく舵を切ったドイツは、2022年までに原発から撤退することを決め、スイスも原発から撤退する計画です。こうした世界の流れを見れば、わが日本でも原発からの撤退は十分に可能なはずです。原発に関する「安全神話」は「依存神話」でもあったわけで、こうした神話に今でもしがみついている自民党などは、原発からの撤退の流れを「集団ヒステリー」とまでこき下ろしました。こんな時にオリンピックの招致などをぶち上げる親も親なら、「菅〈直人〉降ろし」をヒステリックに叫ぶしか能がなさそうな子も子です。これまで原発推進政策を進めてきたことに対する反省の言葉など、一欠片もない。ほとんど常軌を逸しています。

 最近内橋克人さん編で『大震災のなかで』〈岩波新書、2011年〉という本が出版されました。手に入れてパラパラと眺めていたのですが、目にとまったのは内橋さんと湯浅さんの文章です。内橋さんは、「災害はそれに襲われた社会の断面を一瞬にして浮上させる」との印象深い言葉で稿を起こし、民主党が原発増設を計画し輸出産業にまで位置付けようとしていたことを批判した後、地震と津波による死をサドン・デス、放射能による死をスロー・デスと呼んでその無残を描いています。しかし、スロー・デスは放射能によるだけではない。16年前の阪神・淡路大震災からこれまでに、災害復興住宅での孤独死が900人を超え、被災地の一般住宅まで含めると孤独死は2009年だけで524人、そのうち自殺者は60人だと報道されています。復旧ではなく復興だなどという大上段の議論は、被災弱者を忘れがちなのだということに、あらためて気付かされます。

その辺りのことを、湯浅さんは次のように述べています。つまり、被災者にとっては被災地は「生活」の場であるが、、それ以外の者にとっては「事件」の場だと言うのです。「事件」の現場だと思って出かけていくと、そこには「生活」があり不意を衝かれることになる。被災地にも連綿と続く「生活」があることを忘れてはならないということなのでしょう。「事件」は次の新たな「事件」に取って代わられるが、「生活」はそうはならない。被災地の生活再建に注目しなければならないのは、そのためでしょう。

 湯浅さんは、「今回の大震災が、さまざまなものの転機になってくれればと私自身も思う反面、壮大な文明史観を持ち出すような前のめりの言説に違和感を抱くのは、それが『事件』の切断面にのみ着目しているように見えるからだ」と指摘しています。きわめて鋭い指摘なのではないかと思います。われわれもまた、「生活」にではなく「事件」に着目している可能性が無きにしも非ずだからです。

昔詩人は戦死した若者たちの死を悼んで、生き残った者のなすべきことは「死者の夢を再組織化する」ことだと述べたことがあります。死者の数を概数で示したりするのはいささか粗雑な神経のようで嫌なのですが、1万5千人の死者、9千人の行方不明者の「夢」とは何だったのかと問うてみると、そこには実にささやかな「生活」が浮かび上がってくるに違いありません。それを奪う者、軽んずる者、無視する者に対する人間としての怒りこそが大切なのではないでしょうか。創立30周年を期に、そんな思いを新たにしたことをお伝えして、私の開会の挨拶とさせていただきます。

●求められる「明日の考察」(2012年)

 60も半ばにさしかかってきますと、一人部屋にいて来し方を思い出したり、行く末を案じたりすることがたまにあります。これまでにも時代の画期となった出来事はあれこれとありましたが、3.11後の今の時代も後で振り返ってみると注目すべき時代の節目となるのではないか、どうもそんな気がしてなりません。この間大きな政治的争点として浮かび上がってきたのは次の4つのイッシューです。「社会保障と税の一体改革」と称する消費税増税問題、TPP(環太平洋経済連携協定)参加問題、沖縄の米軍基地の辺野古への移転問題、そして原発の再稼働問題というわけですが、そのどれをとっても、問題の帰趨がわが国の将来の姿を決めていくのではないかと思われます。

 消費税の増税が国民の生活難、業者や小零細企業の経営難を生み出すことはいまさら言うまでもありませんが、それが国内市場を狭めて日本経済のデフレからの脱却をさらに困難にすることも憂慮すべき問題です。ILOリポートの言ういわゆる「緊縮政策の罠」です。帝国データバンクの調査によれば、企業の海外進出の理由の第一にあげられているのは「国内市場の縮小」です。消費税の増税はさらなる「産業空洞化」をもたらすに違いありません。

 TPP問題はどうでしょうか。影響を受けるのは農業だけにとどまりません。食品の安全や公共事業、保険、医療などの分野にまで影響が広がることが明らかになってきました。「非関税障壁の撤廃」を梃子にわが国の経済主権が根底から失われ、アメリカに有利な形で社会が「改造」される危険に直面しているのです。また沖縄の基地問題について言えば、日米両政府は沖縄県民の意向を無視して依然として普天間基地の辺野古への移設に固執し続けています。米軍基地と県民との矛盾は限界点を超えつつあり、基地問題の根源にある日米安全保障条約のあり方を問うところまできています。

 それらの問題に加えて今大きな関心を払わなければならないのは、原発の再稼働問題です。先月5月5日には、わが国の原発がすべて運転を停止しました。それに危機感を抱いたのか、日ならずして野田首相は関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に関して、「原子力行政に空白ができてはいけない」などと述べました。原子力行政の継続とは原発を運転し続けることだというのが、首相の偽りのない本音なのでしょう。福島であれだけの大事故を起こしながら、彼はそこからいったい何を学んだのか。厚顔無恥な人物だと言うしかありません。自分自身も主張していたはずの「脱原発依存」など、もはや雲散霧消したも同然です。

 今月に入って6月8日には、原発再稼働問題で首相の記者会見があり、そこで彼は「国民生活を守る」ことが「唯一絶対の基準」であり「再稼働すべきだというのが私の判断」であると表明しました。停電が起きれば命の危険にさらされる人が出る、再稼働しないと電気代が上がり、企業や家庭に影響が出る、空洞化も加速する、などと強調したのですが、これではまさに恫喝していると言うしかありません。民主党政権がこうしたことを言うとは、思いもよりませんでした。

 福島の事故の原因究明もなされておらず、新しい安全基準も定まっていない、新たな原子力規制機関も発足していない、とりあえず定めた安全対策についても、例えば事故の際の拠点となる「免震棟」がない、放射能の拡散を防ぐフィルター付きベントもない、そんななかでのゴーサインなのです。「二度と原発事故を起こさない」との決意があれば、事故は起きないとでも言うのでしょうか。これでは「安全神話」の最悪な形での復活であると批判されて当然でしょう。

 「免震棟」について一言だけ付け加えておけば、「想定外」を連発して自己弁護に走り原発をほとんど放棄しかかった東電でさえも、「本施設がなければ福島第一原子力発電所の対応は、継続不可能であった」と述べているのです。福島と同じような状況が生まれれば、関電は制御不能となった原発を放棄するしかありません。それほどまでに大事な施設が、まだできてもいないうちからの再稼働なのですから、あまりにも無謀な話だと言わなければならないでしょう。「国民の生活を守る」などと称して国民の安全をないがしろにしている首相が、「私の責任で判断する」などとよくも言えたものです。

 しかも驚くべきことですが、首相は「夏場限定の再稼働」だけではなく、「原発は重要な電源」であり、今後も運転を続けるというのです。財界が原発を「基幹電源」として位置付けてきたことはよく知られていますが、そうした姿勢を忠実に踏襲しているのでしょう。NPOかながわ総研でもゲストとしてお呼びして話を聞いたことのある京都大学の植田和弘さんは、インタビュー記事(『朝日新聞』6月2日)ので次のように指摘しています。

 「関電幹部は大飯原発を再稼働させたい理由について『夏場に電気が足りないから』とは決して言いません。『安全だから』動かすという風に言うんです。『足りないから』だと、暑い時期だけ一部の原発を動かせば済む話になる。そうじゃないんです。関電はすべての原発を動かしたい。その背後には経営の問題が透けて見えます」。さらに続けて、「この夏を原発なしで乗り切れたら、原発不要論が強まるでしょう。『原子力を基幹電源として維持し、電力会社の経営を助けたい』。経済界から出ているそんな声に今、政府が懸命に応えようとしているようにしか見えません」と述べていますが、まったく同感です。

 ところで、東電は福島の事故に動転して原発を放棄しかけたわけですから、こうした企業に原発を維持・管理する資格などないも同然ですが、企業も企業ならここの労働組合も労働組合です。東電労組の委員長は、民主党内で脱原発を主張する議員に怒りを露わにして、「裏切った民主党議員には、報いをこうむってもらう」と述べたそうです(『朝日新聞』5月30日)。原発の推進勢力であった東電労組あるいはその上部団体である電力総連は、あの大事故の後は今度は再稼働の推進勢力となっているのです。その言い草が何とも凄い。「(東電に)不法行為はない。国の認可をきちっと受け、現場の組合員はこれを守っていれば安全と思ってやってきた」と言うのです。会社が言いたくても表だって言えないことを、労働組合が代弁しているといった構図です。企業依存の労働組合のなれの果てと言うべきでしょう。

 福島では、この11日住民1,324人が東電幹部や国の関係者ら33人を相手取って、業務上過失致死傷などの容疑で告訴・告発状を福島地検に提出しました。昨日15日には、再稼働に抗議して1万人が首相官邸を包囲しました。来る7月16日には著名人の呼びかけに応えて「さよなら原発10万人集会」が代々木公園で開催されます。また菅前首相は、国民投票がない日本では、来年までには実施される国政選挙で原発の是非を問うべきだと述べたようですが、こうした発言も波紋を呼んでいます。例の小泉郵政選挙ならぬ野田原発選挙になりそうな気配もありますし、また是非ともそうしなければならないでしょう。これに消費税、TPP、沖縄と加われば、世論は大いに沸騰するのではないでしょうか。

 あのチェルノブイリの事故後も20基を超える原発を増設させてきたわれわれですから、安全神話は東電にだけあったわけではありません。われわれの側にもあったと考えるべきでしょう。その安全神話が完膚無きまでに打ち砕かれたわけですから、この現実を踏まえてわれわれもまた新たな道を、自分の頭と足で模索するしかありません。政府や財界やマスメディア、はたまたアメリカ任せでいるわけにはいかなくなっているのです。金子勝さんの紹介によれば、90歳を超えた元レジスタンスの闘士ステファン・エセルは、21世紀を担う若者たちに愛を込めて言っています。「創造は抵抗であり、抵抗は創造である」と。閉塞した現状を打ち破るためには、「平和な反乱」が必要なのでしょう。

 今から100年も前に、石川啄木は「時代閉塞の現状」において次のように述べました。「今や我々青年は、此自滅の状態から脱出する為に、遂に其『敵』の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望や乃至其他の理由によるのではない、実に必至である。我々は一斉に起って先ず此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。自然主義を捨て、盲目的反抗と元禄の回顧とを罷めて全精神を明日の考察--我々自身の時代に対する組織的考察に傾注しなければならぬ」と。彼に倣って言えば、われわれもまた「自滅の状態」から脱出するために「時代閉塞の現状」に宣戦しなければならず、そのためには全精神を「我々の時代に対する組織的考察」に傾注しなければならないのでしょう。

 これまで積み重ねられてきたNPOかながわ総研の地道な営みは、きっと「明日の考察」に役立つはずですし、また「時代閉塞の現状」を打破する社会運動の前進に貢献するに違いありません。最後に、今後とも皆様方のNPOかながわ総研に対する変わらぬご支援をお願いして、私の挨拶とさせていただきます。

●「毎日がニュースの日々」のなかで(2014年)

 去年の総会では、「毎日がニュースの日々」であるなどと述べましたが、ことしもまた昨年以上に「毎日がニュースの日々」が続いており、安倍内閣の異様なまでのはしゃぎっぷりによって、何とも落ち着きのない社会となっているように思われます。いい加減うんざりしかねない時代の相ですが、そこに目を凝らしてみると、内部に孕まれた対立が顕在化し、大きな目に見える亀裂が生み出されております。

 まず注目しておきたいことは、安倍内閣のあまりにも危険な正体が明らかになってきたことです。安倍内閣は当初から「戦後レジーム」からの脱却を悲願としていることを隠そうともしませんでしたが、そこで言われていた「戦後レジーム」とは、われわれが戦後民主主義として尊重してきたものに他なりません。つまり、主権在民、平和主義、基本的人権の理念です。これを破壊しようというわけなんでしょう。そのために、憲法や教育基本法、さらには労働法制や社会保障法制への剥き出しの敵意が示されてきました。

 集団的自衛権をめぐる議論や意思決定のあり方を見ていると、これはもう憲法破壊のクーデターとでも呼ばれるべきものでしょう。内閣総理大臣の判断によって、従来の憲法解釈を一気に変えるというのですから何とも凄いものです。こうして「海外で戦争をする国」への大転換が画策されているわけですが、そうなれば、アメリカの戦争に自衛隊が参加し(参加などと言った生易しいものではなく、傭兵として動員されるとでもいうべきものでしょうが)、殺し、殺される状況のなかに放り込まれることになるはずです。現実の戦争状態の下では、いま議論されている「制約」などあっという間に吹き飛んでいくことでしょう。

 では経済分野で注目を集めてきたアベノミクスはどうでしょうか。「世界で一番人々が暮らしやすい」社会を目指すというのであれば話は分かりますが、今目指されているのは「世界で一番企業が活躍しやすい国」づくりだと言うのですから、何をか言わんやです。その転倒は成長戦略のいかがわしさによく表れています。今注目されている労働改革の中身を見ると、「人が動く」をキーワードとして労働法なき社会への移行が目論まれているようにさえ見えます。解雇の自由化や、限定正社員制度の導入、生涯派遣の拡大、サービス残業を合法化する残業代ゼロ制度などが画策されてきましたが、こうした状況が広がればまさに日本は「総ブラック化」するに違いありません。

 法人税の減税が成長戦略の柱だというのにもあきれます。消費税の増税とはあまりにも対照的であると言わなければなりません。その他もろもろ登場してきたものをあげてみると、原発再稼働、原発輸出、武器輸出、カジノ解禁、さらには混合診療導入、農協改革、外国人労働力の活用などがあります。景気の回復は誰もが賛成する国是となった感がありますが、それを利用して、「成長戦略」なる美名のもとに、まさにやりたい放題だと言っても過言ではないでしょう。

 安倍内閣は、靖国神社への参拝を強行したことからもわかりますように、復古的で反動的なイデオロギーの教化にも力を入れており、教育改革と称して教育基本法、学校教育法、教育委員会制度、教科書検定基準の改悪を目指しております。大事なことは、若者が落ち着いて自由に学べる環境を創造することのはずですが、そんな課題ははなから問題となっていません。教育統制を強めることによって、いったいどのような人間が育つというのでしょう。この間問題とされてきた学級崩壊、校内暴力、高校中退、学力低下などの深刻な問題が、安倍内閣の教育改革の先に見通せるとはとても思えません。あまりにもイデオロギッシュな改革であると断ぜざるを得ないのです。

 このように、政治、経済、教育とまさに全面的な反動攻勢が展開されているわけですが、こうした野望を実現するために、安倍内閣はメディア戦略にも力を入れています。懐柔であり、介入であり、露出であり、圧力でありと危険なものばかりです。NHKのニュース番組を見ていると、安倍総理が、安倍総理がと首相の動静と与党協議の状況ばかりを報道していますね。公共放送ではなく国営放送にかなり近付いているような気もします。

 ところで、原発問題のその後の状況はどうなっているのでしょうか。福島県内外の避難者は依然として15万人にも上っており、「収束宣言」後も深刻な汚染水対策に追われ続けています。最近になって、手記等を通じて原発事故をめぐる当時の真相が明らかになってきていますが、『朝日新聞』の報道によると(『読売新聞』はまったく報じていませんが…)、東電はすっかり当事者能力を失っていたことがわかります。制御不能で手に負えなくなるものを扱っているという自覚がないものだから、またまた懲りずに再稼働などと言っているのでしょう。その厚顔無恥ぶりは相変わらず大変なものです。そんななかでの唯一の救いは、大飯原発再稼働の差し止め訴訟判決が勝訴したことでしょう。

 これからのことについても一言、二言触れて挨拶を終わりにしたいと思います。安倍首相の異常なまでの「高揚」ぶりが際立っているのですが、それに触発されたかのように反対運動もまた「高揚」してきています。まさに全面的な「対決の時代」へ入ったということでしょう。政策を変えることへのアクションが広がっており、戦後民主主義の危機が社会運動の「うねり」を生み出しつつあります。原発への関心に加えて憲法への関心がこの間急速に広がってきたわけですが、それとともに、旬報社の本のタイトルではありませんが、まさに『日本の雇用が危ない』ということで、労働への関心を広げていくことも重要になってきています。

 こうしたなかで政党状況はどうなっているのでしょうか。目立っているのは、中間政党の液状化状況です。維新とみんなは分裂して支持率を大きく低下させています。民主党は虚脱状態から脱することができず、支持率は低迷したままで内部分裂の可能性さえうかがわせています。公明党も政権にすり寄るばかりで、安倍内閣の危険性をカムフラージュする役割を担っているようにさえ見えます。いま大事なことは、共闘の幅と深みをどう広げるのかということに工夫を凝らすことでしょう。sらに付け加えれば、対案としてのわれわれの構想を提示していくこと、すなわちオルタナティブを提示していくことが大事になっているのです。

 こうした時代状況のもとでは、政策研究を目指すかながわ総研の役割は大きなものとならざるを得ないでしょう。今日の社会的要請に応えるためにも、かながわ総研の課題を時代に即応しつつより鮮明にしていかなければなりません。幸いにして少し広めの新しい事務所を確保することができました。財政立て直しの見通しもようやくにして立ちつつあります。まだ新体制を確立するところまではいきませんが、今後ともそうした方向を追求してまいりたいと思います。今後とも引き続き会員の皆様のご支援をお願いして、私の挨拶とさせていただきます。

●「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(2015年)

 毎年6月にはNPOかながわ総研の総会が開催される。そして、いつものことだが総会の冒頭で理事長が挨拶をする。どのような組織の集まりも、まあだいたい同じようにして始まるのだろう。かながわ総研の理事長となってもう5年も経ったことになるが、理事長としてやったことは、毎月の理事会で司会らしきことをし、総会で挨拶をし、たまに『研究と資料』に原稿を書いたことぐらいである。だから、せめて総会の時の挨拶ぐらいはちゃんと準備をして臨みたいと思うのだが、今年はさまざまな悪条件が重なって、挨拶の準備さえままならない状況に陥った。今年の総会で理事長を退任することにしていたので、せめて最後ぐらいはきちんと準備して臨みたかったが、それもかなわなかった。ふらりと出かけて行って、それなりに聞かせる挨拶ができるような才は、私にはもともとない(笑)。そんなわけで、以下に書くことは当日の挨拶とはかなり違っている。後日談となるわけだが、何卒ご勘弁いただきたい。

 「安全保障関連法案」という名の戦争法案に対する反対運動が広がり、アクティブな人々にとっては忙しい最中だったはずですが、それにもかかわらず、さまざまな人々に総会に顔を出していただき、ありがたく思っています。去年の総会でも、「毎日がニュースの日々」であるなどと述べた記憶がありますが、今年などは状況が状況なので、昨年どころの比ではありません。昭和10年頃のある一家の日常を追った「小さいおうち」の作者である中島京子さんは、「平和な日常は必ずしも戦争の非日常性と相反するものではなく、気味悪くも同居してしまえる」のだと述べ、「怖いのは、市井の人々が、毒にちょっとずつ慣らされるように、思想統制や言論弾圧にもなれていってしまったことだ」と指摘しています(『朝日新聞』2014年8月8日)。「毎日がニュースの日々」のなかに生きていくのはいささか面倒ではあるのですが、日常生活にまとわりつく無関心を排する姿勢がなければ、戦争の非日常性は平和な日常の裏側に密かに潜んでいくに違いありません。

 昨年の総会以降のこの一年を振り返ってみましょう。総会直後の7月1日には、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定が強行され、憲法解釈が一内閣の手で突如大転換させられました。この時点で共産党の志位委員長は、「一片の『閣議決定』で自衛隊を動かせるわけではありません。たたかいは今後も続きます」と述べ、「歴史的な暴挙」には「空前の国民的な反撃」をもって迎え撃ち、そして打ち破る必要があると指摘していました。正直に言えば、ほんとうにそのような事態が生まれるのどうか当時はまだ半信半疑でしたが、事態はまさに志位さんが指摘するように進んできたと言っていいでしょう。「一点共闘」の提起も大きかったのではないでしょうか。自公政権の議席数からは想像もできないような事態が出現したのです。

 憲法学者の小林節さんは、「緊急でない話を緊急と偽り、国民には時間をかけた冷静な議論をさせず、与党だけで憲法を破壊する。その後、国民が忘れるように時間を置き、国際的には話を進めて、『国際公約』の大義で国民を納得させる―。こんな反省のない政権はもはや倒す以外に国民主権を守る道はありません」と喝破しましたが、そうした批判の拡大を恐れ、そしてまた新たな4年の任期で改憲のためのフリーハンドを得ようとして、安倍政権は憲法問題でではなく消費税増税の延期といった争点にもならぬ争点で昨年末に解散・総選挙に打って出て、小選挙区制の下で再びけっこうな議席をかすめ取りました。

 しかしこの選挙では共産党も21議席を獲得し、その後の統一地方選挙でも神奈川を中心に躍進が続きましたので、すでにこの時点で「空前の国民的な反撃」の序幕は切って落とされたと言うべきでしょう。その後の事態はご存知の通りです。多くの国民の批判や危惧、多くの憲法学者、元内閣法制局長官、自民党の長老たちの違憲発言を無視して、衆議院で戦争法案を強行採決したことが、名実ともに「空前の国民的な反撃」に火を付けることになりました。さまざまな人々が街頭に出て声を上げ始め、不安を抱くだけの国民から、政権に反撃する市民へと脱皮していったのです。かくいう私も、勤務先の専修大学で「九条の会」を立ち上げるために、ささやかながら力を尽くしてみました。
 
 しばらく前に『朝日新聞』(2015年7月12日)を見ていたら、次のような文章の一面広告が目に留まりました。そこには、「安倍政権が強行しようとしている戦争法案に、私たちはひとりひとりとして強く反対したい。戦争中に渡邊白泉という俳人は『戦争が廊下の奥に立っていた』と詠んだが、いま、戦争は土足で玄関から入ろうとしている。『万歳とあげて行った手を大陸において来た』(鶴彬)とならぬよう、私たちは、いま、声をあげる」と書かれていました。俳句と川柳を使って戦争法案を批判していたのがいかにも新鮮で、私としては気になったというわけです。

 プロレタリア川柳の旗手として活躍し、わずか29歳で獄死した鶴彬(つる・あきら)はよく知られており、彼には「手と足をもいだ丸太にしてかへし」、「屍のゐないニュース映画で勇ましい」といった作品もあります。彼の作品も収録されている楜沢健編の『アンソロジープロレタリア文学③ 戦争』(森話社、2015年)を手にしていたら、そこには森田一二(かつじ)という人の川柳も紹介されていました。「安全地帯にゐたので死にました」とか「危険です危険です危険です」などです。ともに戦前の作品なのですが、何だか時空を超えて今の首相の国会答弁をコケにし、皮肉り、嗤っているようにさえ響きます。戦場に安全地帯などはなく、どこも危険に満ち満ちていることを忘れて、いったいどうするというのでしょうか。

 もう一人の渡邊白泉(はくせん)の方はどんな人物だったのでしょう。中村裕さんの『疾走する俳句』(春陽堂、2014年)を読むと、渡邊白泉は1940年の「京大俳句」を中心に起こった弾圧事件(新興俳句弾圧事件)に連座して、その後沈黙を余儀なくされた俳人だということです。「赤く青く黄いろく黒く戦死せり」といった、戦闘で絶命した死体が変色していく様を冷徹に描写した句もありります。先の句「戦争が廊下の奥に立ってゐた」に付された中村さんの解説は、次のようなものです。「『海坊主綿屋の奥に立っていた』の海坊主が、ついにその正体を現したのである。軍部が軍の施設以外で会議をするときは、機密保持のために廊下に歩哨を立てたといった事実関係にかならずしもとらわれることはない。庶民の家の薄暗い廊下の奥にまで、物の怪のように戦争が侵入してきているという慄然とするようなイメージ」だと述べています。

 当時戦争の恐怖を明確にイメージできたのは、俳句界では白泉ぐらいだったようですが、そうなってしまってからでは遅いのです。「日本人の中で戦場へのリアルな想像力が衰弱している」と述べる吉田裕さんは、今の事態は自衛隊員が殺し殺される状況に投げ込まれる事態に他ならないと警告し、「国民は自衛隊員を自らと同じ人間ととらえ、彼らの問題だと逃げずに自分だったら耐えられるのか」と自問すべきだと述べています(『朝日新聞』2014年6月25日)。自衛隊の最高司令官でもある安倍総理は、戦争法案成立の暁には、自衛隊員に「国のために死ね」と命ずることになるはずですが、彼の発言からは、その責任の大きさなど垣間見ることすらもできません。もしもそんななか戦地に赴くことになったとしたら、自衛隊員はあまりにも悲惨です。

 今こそ、「戦後レジーム」からではなく安倍レジームから脱却し、自公政権からこそ日本を取り戻さなければなりません。暑い夏はまだまだ続きます。

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