夢見ヶ﨑動物公園を歩く

 今年の正月明けには五島と島原に出かけ、さらに2月末から3月始めにかけては三度目となる群馬に出掛けてきた。前者は人文科学研究所の、後者は社会科学研究所の調査旅行である。その旅日記風の見聞録を纏めるために、「新春の五島・島原紀行」と題して11回に渡って書き、それが終わるとすぐに今度は「早春の北関東紀行」と題して7回に渡って書いてきた。このとんでもない猛暑の最中に、よくもまあ飽きもせずに書き綴ってきたものである。そうなったのは、両研究所の『月報』の締め切りが定められていた所為ではあるが、こんなことをしていては、日頃標榜している老後の道楽を踏み越えているような気がしないでもない。「早春の北関東紀行」の最終回などは、字数にして4,800字にもなったので、いつもの倍近い分量である。もはや無理は禁物である。

 書き上げてほっと一息ついたものだから、気分転換していつもののんびりしたペースに戻そうと思い、今日は朝から近くにあるプールに出掛けて泳いできた。このプールは、清掃工場の余熱を利用した温水プールであり、高齢者は安く利用できるのだから利用しない手はないのだが、一人でプールに出掛けることなど滅多にない。たまに小僧たちと出掛けると、水の中でふざけあうので面白いのだが、一人で黙々と泳いでいても余り面白そうには思えなかったからである。久方ぶりに一人で出掛けたのだが、水泳は全身運動なので思った以上にいい気分転換になった。頭はまったく使わないで、普段使わない筋肉を使った所為もあるのだろう。プールには高齢者が結構来ていたが、泳いでいる人よりも歩いている人の方が断然多い。私も泳いだだけではなくプールの中を一緒に歩いたりした。

 帰り際に、裸のまま更衣室にあった大きな鏡の前に立ってみた。頭は禿げ上がり、目の下はたるみ、背は丸くなり、皮膚は張りをなくし、腹は出かかった自分の姿をまじまじと眺めた。昔、作家の井上光晴を撮った『全身小説家』(監督・原一男、1994年)というドキュメンタリー映画があったが、それをもじって言えば、まさに文字通り「全身高齢者」である。醜いと言えば醜いのではあるが、それが紛れもなく等身大の我が身であると思えば、何となく愛おしくもなってくる。ここまで来れば、若さ自慢などはもうどうでもいい。

 プールの隣は地区センターとなっており、そこには食堂もある。ビールを飲みながらカツカレーを食べた。実に爽やかないい気分である。帰宅したら昼寝がしたくなり、スマホをいじりながら横になった。長かった猛暑もようやく盛りを過ぎつつあるのか、爽やかな風が入ってくる。こんなどうでもいい日常が高齢者の贅沢というものなのだろう。しばらくうとうとしてから、このブログに向かい始めた。長期に渡った2つの連載は、いくら旅日記とはいえなかなか重いテーマを取り上げざるを得なかったので、そこから離れたのを機に、この間あれこれとあった出来事を気儘に纏めておくことにした。これからしばらくははそんな魂胆で書いてみたい。

 先ずは6月の末に実施された年金者組合のウオーキングの話から。6月は川崎にある夢見ヶ崎動物公園に出掛けてきた。近くにある動物園ではズーラシアや野毛山動物園がよく知られており、特にズーラシアには何度か足を運んだが、今回出掛けた夢見ヶ崎動物公園は初めてである。一度行きかけたことはあったのだが、交通の便が悪そうなので諦めていた。そこで今回での企画である。日吉駅の東口からバスに乗り、乗ってしまえば20分ほどで動物公園前に着く。公園はそこから坂道を歩いて10分ほどでのところにある。日吉駅に早めに着いて、東急デパート内にある「魚弁」で何時もの美味しい弁当を買い、駅側の慶応大学の構内で写真を撮った。銀杏の若葉が緑滴るようで何とも美しい。

 その夢見ヶ崎動物公園だが、無料だということもあってか大型の猛獣はいない。シマウマや、猿、鹿、リス、キジ、ペンギンなどがいた。小さな子どもを連れた若い夫婦に似合いの動物公園だった。みんな幸せそうである。その名称だが、地名でもない夢見ヶ崎と名付けられているのは珍しい。公園内にあった天照皇大神(あまてらすすめおおかみと読む。何とも仰々しいの一言であるー笑)の神社のパンフレットを手にしたところ、 室町時代中期に太田道灌(おおた・どうかん)がこの神社に参籠(籠もって祈願すること)した際に、暁の夢に東北の空に縁起のよい丹頂鶴が舞うのを見て、その地に江戸城を築いた、と伝えられているとのこと。まさに「瑞祥(ずいしょう)の夢見」である。夢見ヶ崎の由来はどうもここにあるらしい。私にはまったく縁遠い夢の話であった。

 動物たちを眺めるのはほどほどで切り上げて、近くにあった公園や了源寺をゆっくり巡り、買ってきた弁当を広げた。この弁当は、味も量もどことなく高齢者向きに作られているような気がして、それで気に入っているのである。公園は運動公園ではないので、ゆったりと落ち着いて弁当を広げられる。公園の端には、場違いのようにも思われる何とも巨大な慰霊塔が建てられていた。川崎市長を7期も務めた金刺不二太郎の「慰霊塔記」によれば、この塔は「明治以降幾多の戦争において護国のために散華された戦没者並びに戦災死者の霊を慰め」るために建てられたとのこと。建てられたのは1960年のことである。

 そう言えば、動物公園の入口付近には、8期目を目指した金刺を破って新市長となった伊藤三郎の名が入った小さな碑もあった。川崎に初めて誕生した革新市長として私もその名を覚えていた。昔美濃部都政を初めとして革新自治体が叢生した時代があったのである。抽象化された小動物の下に、川崎市長伊藤三郎の名とともにあったのは、「愛」の一文字である。その碑を眺めながら、あの頃から長い年月が過ぎ去ったことを懐かしく思い返した。そんな気分でいたからなのか、公園にあった長い木のトンネルを潜った際も、何故だか過ぎ去った時間というものが意識された。夢を見ているかのような時間の流れであった。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/09/01

夢見ヶ崎動物公園にて(1)

 

夢見ヶ崎動物公園にて(2)

 

夢見ヶ崎動物公園にて(3)

 

夢見ヶ崎動物公園にて(4)