初空を眺めながら

 年が明けて2022年の新年を迎えた。それほどの感慨もなく、いつの間にか年が改まったような感じが無きにしも非ずである。そして今日はもう3日。元日の朝、のんびりと起きてベランダから初空を眺めてみた。冷気に包まれているとはいうものの、抜けるような蒼空が広がっていた。穏やかな日差しもあって、何とも清々しい正月である。三が日ともにこんな天気が続いたので、それにつられて和らいだ気分となった。テレビから離れた暮らしを続けている所為もあるのか、ひときわ静かで穏やかで落ち着いた新春である。

 『大日本歳時記』の新年の巻を開いてみると、「新玉のうら淋しさの故知らず」(富安風生)とか「新年のゆめなき夜をかさねけり」(飯田蛇笏)とか「年いよよ水のごとくに迎ふかな」(大野林火)といった句が紹介されており、そうした作品にどこか心惹かれるものがあった。老境に差し掛かってからの新年とは、きっとそうしたものに違いなかろう。めでたいことや愉しいことは、既に過去のものである。そんな思いを人に向かって口にすることはないが、心の中では密かに感じている。

 片付けるべきものは暮れにあらかた片付けたので、それが終わってから年越しまではいつも以上にのんびりと過ごした。空白の時間が訪れたので、散歩かたがた近隣の寺社巡りに出掛けたりもした。御節料理は既に注文済みなので、あとは雑煮の材料を一通り買いそろえるだけである。最早買い出しというような感じはない。近所のスーパーは4日からの営業だが、2日から開いている店もあるので、沢山の食材を買い込む必要もなくなっている。

 大晦日には、近くの温泉施設に出掛け、夜はレストランで外食することにしていたので、年越しの準備もそれほどのことはない。こんなふうなので、正月を迎える準備に追われることもなくなったのだが、その分だけ新年を迎えるという細やかな高揚感がさらに薄らいできたようにも思われる。如何にも年寄り二人の正月らしい。玄関や家の中に正月の飾り物を掛けたり置いたりしたが、それらだけが新年の到来を予告しているかのようであった。

 レストランからの帰りは、肌を刺すような冷気に包まれた。温暖化の影響で例年よりは穏やかなのだろうが、やはり冬は寒い。寒くて当然である。こんな時には、高村光太郎の詩「冬が来た」を思い出す。「きりきりともみ込むような冬」や「刃物のような冬」を、たとえ一瞬ではあれ感じるからである。しかしながら、都会には光太郎が謳うような冬はもう殆どない。冬らしい冬は、昔々の遠い想い出としてあるに過ぎない。田舎の福島であれば今頃はもっと冷え込んでいることだろう、そんなことをふと思った。

 暮れから正月にかけて、ちょっとばかり面白いことに熱中していた。撮りためた写真の整理に精出していたのである。年の瀬に生まれた空白の時間を利用して、かなりの枚数の写真を2Lサイズで現像したので、それを大きく三つのテーマに分けて、台紙に貼って透明のポケットファイルに入れてみた。何故そんなことに熱中していたのかというと、自分の撮影した写真で写真集を作ってみたくなったからである。そのうちの一冊は、画家小出楢重(こいで・ならしげ)の絶筆とも言うべき「枯木のある風景」にちなんで、そしてまた、シリーズ「裸木」と称している冊子にちなんで、「裸木のある風景」と名付けてみた。

 これまでは、デジタルカメラ(旧い人間の所為なのか、どうもデジカメといった表現を使う気がしないー笑)で写真を撮ると、それをパソコン(これはいいのかと揶揄われそうだが)に読み込んでタイトルを付けて保存してきた。しかしながら、それだけでは家族に手軽に見せることすらできないので、人物写真のうちのよく撮れたものだけは近くの写真屋で現像し、アルバムに保存している。同じ色と形のアルバムが10冊ほど並んでおり、家人のダンス写真集を除けば、我が家の写真はこれですべてである。

 アルバムに保存した写真の多くは、言ってみれば記憶を定着させるための写真であって、撮影者である私の「作品」と呼べるようなものではない。勿論人物写真を撮る場合でも、背景やアングルなどをそれなりに考えているから、「作品」らしきものもたまには生まれることがある。だが、被写体が生身の人間であれば、撮影者はどうしてもその影響を受けることになる。これまではそれもやむを得ないと思ってきたが、数年前からもっと自由に写真を撮影してみたくなってきた。人物写真も撮ってはいるが、私の眼が徐々に風景写真に向かい始めたのである。

 風景写真とは言っても、たんに美景を撮りたいわけではない。老境に向かっている心境を、風景写真に託してみたいのである。だから、正確に言えば風景と言うよりも「私景」と言った方がいいのかもしれない。私小説ならぬ私写真である。昨年11月末に渋谷でUさんと飲んだ際に、たまたま古本屋に立ち寄ったのだが、その店でマツシマ ススム写真集『琵琶湖私景』(東方出版、1992年)を見付け購入した。「私景」というタイトルに惹かれたからである。収録された多くの写真は冥く沈んでおり、撮影者が静けさのなかに佇んでいるといった趣が色濃く漂っていた。まさに「私景」である。

 この写真集を見て、私もまた自分の「私景」を写真集として残しておきたくなったのであろう。時折撮る風景写真はパソコンに保存されているだけなので、それだけでは余程のことがない限り繰り返し見返すことはない。まったくの死蔵である。どれ程の宝でもないことは重々承知しているが、これでは宝の持ち腐れと言う他はない(笑)。何時でも何度でも見ることができるようにするためには、現像しておくことが必要なのでる。

 写真集に収録して残すものは自分なりに厳選して現像してもらったはずであったが、出来上がったものをじっくり眺めていると、気に入らないものが次々と生まれてくる。こちらの選択眼が甘くなっているからであろう。人は他人には厳しいくせに自分には優しいのである。もったいないとは思ったが、40枚ほど処分した。

 もしかしたら、そんな振る舞いが「私景」に向かう眼を鍛えてくれるかもしれない。是非ともそう願いたいものである。新年を迎えて、もう暫く「私文」(私立の文系の意ではない-笑)と「私景」を愉しみたくなっている自分を発見したといったところか。老後の道楽のちょっとした広がりである。

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